日本の道路事情とEV三輪車

言うまでもなく日本は少子高齢化が激しく進んでいる。その日本における、今後の道路事情を予想する。その上でEV三輪車の強みを語る。
この記事を読んで実際に三輪車を探してみたい方は、前回の記事を一読されたい。

日本の道路の歴史

私は歴史に関しては全く詳しくないのだが、日本の道路の歴史をざっくりとおさらいしておきたい。

主要都市を結ぶ東海道や中山道といった幹線は、戦前に作られた。
戦後の焼け野原と化した日本は、そこから復興する。オリンピックに合わせて新幹線ができたように、首都高も整備される。
日本の車メーカーは1970年代前半に三輪車の製造から撤退し、軽自動車の製造に切り替える。マイカーは夢ではなくなる。それまで鉄道に頼りきりだった物流に対してクロネコヤマトが登場したのも、この頃である。バブルの頃に政治家はオラが村に高速道路を走らせたが、自動車が増えたことを思うとそれなりに需要はあったのだろう。一概に否定できない。

バブルの頃と言えば、近所の女子大の卒業式の日には大量のお迎え車が女子大の周りを埋めつくしていた。しかしバブルが弾けてからはデートカーという言葉は死語になった。それでも当時の若者は大きな車を乗り回す。
いわゆる3ナンバーが増えた。道路の拡張工場のためにセットバックして家を建てる必要が出るなんて話もしばしば聞くようになる。普通に国道や県道を走っている時にも、歩道の向こうに並ぶ家が凸凹して並んでいる光景を目にすることもある。恐らくセットバックに反対している住民がいるのだろう。
駅前の再開発もそうである。開かずの踏切で交通渋滞が発生するのを回避するために、トンネルや陸橋が作られた。昔ながらの駅前の個人商店は立ち退きを求められ、どこの駅前も駅ビルがあってバス乗り場があってタクシー乗り場があるという、似通った感じに再開発される。せいぜい違うのは沿道に置かれたアニメキャラのオブジェくらいなものだったりする。

恐らく、バブルが崩壊してから、公共事業で経済を支えようと頑張ったのだろう。しかし日本はかれこれ30年も不況である。お偉いさんの思いとは裏腹に、東京オリンピック2020は景気の起爆剤にはならなかった。
そして前の東京オリンピックの頃に作られた道路はボロボロになりつつある。試しに「首都高 老朽化 危険」なんて検索すると、その悲惨な道路事情は色々と出てくる。

予想される近未来の道路事情

ここで道路は生活に欠かすことのできないインフラであることを強調しておきたい。
同じくインフラとして、電気・水道・ガス・学校などが挙げられる。少子化によって小学校の教室が余るのなら、統廃合することができる。しかし道路は統廃合できない。
『電気がなくても、人は死なない。』というタイトルの本があるくらいだから、電気というインフラがなくなったとしても何とかなる。ガスもそうである。代わりの方法は、いくらでもある。
その点、水道は厳しい。下水に関しては各家庭で処理ということもありうるかもしれないが、疫病の原因になりうるだけに、安易に水道というインフラの質は下げられない。上水もコレラと井戸の関係を出すまでもないだろうし、本州でもエキノコックスの話が出てきている以上、安易にインフラの質を下げる訳にはいかない。

実は道路の質を下げることは可能である。試しに近所の人通りの少ない道をスケボーに乗って走ってみればリアルに感じるが、滑らかに滑らない道路は沢山ある。ヒビ割れた道路もある。
予算の消化のために年度末になると道路工事をしていたバブルの頃とは違い、不況で道路の補修をしないということは十分に考えられる。
不況だけではない。日本は少子高齢化が激しく進んでおり、十分な税収が期待できない。それどころか高齢者の福祉のために莫大な予算が取られてしまう。そうすると道路の補修は後回しということは余裕で考えうることである。

恐らく、そう遠くないうちにアスファルトのハゲた道路は増えるだろう。アスファルトはヒビ割れたあと、意外と簡単にほじれる。ヒビ割れたアスファルトの上を車が走ることでほじれる可能性も高い(パンクのリスクも高いが…)。
セットバック工事の予算はなくなり、ヨーロッパのように縁石やガードレールで仕切られた自転車専用レーンを設けるなんて夢のまた夢だろう。そして、いつまでたっても高速道路はフリーウェイにはならない。ユーミンの中央フリーウェイはリフレインの如く悲鳴を叫んでいるかもしれない。

三輪車が増えると道路にも良い

私が子供だった頃は、21世紀という未来は輝いていた。しかし21世紀も5分の1が過ぎ去ったというのに、輝かしい21世紀はおろかデストピアのような21世紀が見えている。

道路の補修が間に合わない、道路の補修に回す予算がないのなら?
シンプルに「道路を大切に使えば良い」と私は考える。

過積載の予防に三輪車を

効率重視で積めるだけ積んだ過積載のトラックは道路を痛める。それでも日本の企業は積めるだけ積ませるかもしれない。そういうブラックな流通をなるべく使わないようにすることは誰もが取り組めることだろう。

そこで、もし三輪車なら、と私は思う。
三輪車なら積める量は限られる。積みすぎると走らない。走ったとしてもカーブで横転する可能性が高い。かつてミゼットは、あちこちで倒れていたらしい。

道路を大切に使うために三輪車を

ひょっとしたら奥まった家に行くのに、舗装されていない私道を歩いたことのある人もいるかもしれない。人がすれ違うのが精一杯、車椅子だと通れなさそうな細い私道は、せいぜい少し歩く人がいないと雑草が生えるくらいで、普通に使っている分には補修などいらない。ホームセンターで砂利でも買ってきて敷けば立派なメンテナンスである。
サイクリングロードや自転車専用道路を走ったことのある人は、そのアスファルトが自動車の道路よりも状態が良いことに気付くかもしれない。道路が自転車のタイヤから受けるダメージは自動車のそれよりもはるかに小さい。逆にダンプ街道はボロボロになりやすい。

要は、車体重量の軽い車なら道路は傷みづらい。バッテリーの重さを加味しても高々300kgしかないEV三輪車は、道路に優しい乗り物である。

自転車レーンの確保は三輪車で

セットバックは道路を拡張するために行われる。道路を拡張するということは、それだけ大きなトラックを走りやすくすることである。結局、満足な歩道や自転車レーンは後回しになる。
逆転の発想で、道路はそのままに、車を小さくしてはどうだろうか。大型車だけでなく普通自動車もやめにして三輪車だけ走るようにすると、余裕で自転車レーンを作ることができる。何しろ三輪車は軽自動車の半分くらいしか車幅がないのだ。

そもそも欧米諸国と比べて日本は狭い。人口密度も高い。
戦後の日本は、そういう欧米諸国に追いつけ追い越せで頑張って成長してきた。しかし、悲しいかな、敗戦国としての劣等感からか、欧米諸国のものを大量に取り込んで欧米諸国の真似事をしてきたとも言える。
欧米諸国では「ウサギ小屋」に例えられるくらい日本の住宅は狭い。それも日本の国土が狭くて人口密度が高いせいだが、道路はどうだろう。やはり道路も欧米諸国と比較して狭くて混雑している。なのに欧米諸国から輸入した3ナンバーを走らせるのは、本当のところは敗戦国のコンプレックス丸出しなのではないか。国産車も欧米諸国の車と張り合うのは、そろそろやめにしたら良い。
ダウンサイジング。日本は日本の身の丈に合ったことをしたら良い。その方が長期的・結果的により良い日本につながるだろう。

まとめと次回予告

少子高齢化による税収減と必要な支出の増大により、日本の道路の質の低下が見込まれる。質の低下を緩やかにするには、車体重量の軽い三輪車が好都合である。また、三輪車をメインとした道路設計なら安全な歩道や自転車レーンの確保も容易である。

次回は、そのような道路事情を考慮した上で、私のEV三輪車に施す特別なカスタマイズについて書く。

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