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また建築を好きになった話

私は建築を好きでしたが、一度嫌いになります。
ただ、その後にまた好きになりました。
そんな話をしていけたらと思います。


写真は後で関係するのですが、国立新美術館が好きでここ最近こちらの展示物は欠かさず見に行っています。


まず、どうしてこの記事を書こうと思ったきっかけはTwitterで見かけたロンロ・ボナペティさんの #建築をスキになった話  のツイートを見て私も気になったので来年からの私のことも合わせて自分自身のためにも書きたいなと思い今回書いていきます。


目次
1.私って何者か?
2.建築(理系)が嫌いになった
3.就職〜祖母の死
4.再び建築を好きになった



1.私って何者か?

大学は社会学を専攻していたガチガチの文系です。
高校はちょっと特殊で、ビジネスコミュニケーション科という都立高校で2つしかない学校に通っていました。

次の項目でも詳しく話していくつもりですが、私の親は会社をやっていて祖父の代から考えると父親で3代目の建築の会社をやっています。
内容は排煙オペレーターというちょっと聞きなれない業界で父は職人兼社長をやっています。
会社はとても小さい会社で細々と40年以上続いています。

排煙オペレーターというのは、大きなビルや美術館などの天井近くについていて、火事や換気をするときに使う機械です


写真で見てもわかりにくいかとは思うのですが、ハンドルボックスと書いてあるところで窓の装置を動かしています。

話は少しずれますが、換気のために週に1回はこの装置を使っていかないといけないということを初めて知りました。
業界の方々すみませんでした。

なので、この仕事は建築というカテゴリーには属しているのですが、あまり建築業界の方もあまり知らない方もいるぐらいマイナーな業界です。

それは建築=設計、土木(鳶職、左官など)

というイメージしかないからかなと思います。
目に見えて行う仕事で就労人口が多いので、このように思われてしまうのも仕方ないのかなとも思うのですが、この機会にぜひ知っていただいたら嬉しいです。

なので、正直父親の仕事を物心ついた幼少期は言っている意味もわからず、家ではスーツの日か作業着(いわゆるニッカポッカのようなもの)のどちらかだったので何の仕事をしているかもさっぱりわかりませんでした。
家は5歳から会社が入っているビルに住んでいたので、1階は工場、2階は事務所、3階は実家、4・5階は人に貸していたアパートという町工場にプラス家とアパートがついている何ともへんてこなところに育っていました。

父親のことが大好きだったので、休日に急に修理や点検に行かなければいけない時があるときは必ずついていっていました。
小さい頃は父親が建築という仕事をしていると知らなかったので建築という言葉は知らずとも父親がやっている仕事が何だかかっこいいという感覚なので、父親が好きだから父親のやっていることも好きという考えだったのだと思います。

というのも、父親に職業のことを聞くとサラリーマン、消防に関する仕事などと彼なりに小さい私でも理解できるように説明をしていたのだと思うのですが、統一されていないので逆に謎は深まるばかりでよくわからなかったのが実態です。

今でこそやっと人に簡単に説明できるようになりましたが、今でも父親のやっていることがそれで正しいのかはわからないです。笑


2.建築(理系)が嫌いになった

そして、私が建築(理系)を嫌いになっていった話をしていきます。

今考えると、父親としては(もしかしたら)将来自分の仕事を継いでほしいと思っていたのかもしれないです。
そんな行動を思わせるところが小さい頃からありました。

高いところに連れて行く
例えばジェットコースター、東京タワーなどの高いところに連れて行ってくれたことをよく記憶しています。
推察ですが、父の仕事が基本的に高いところにあるので、高いところに慣れてもらおうと思ったのだと思うんです。

私は性格がひねくれていたので、ジェットコースターのような動いているものは怖くないのですが東京タワーのような動いていないところに立っているのは怖くなってしまう高所恐怖症になってしまいました・・笑

博物館に連れて行く
国立科学博物館や科学技術館など、建築とは関係ないですが、理科に関係するところには旅行中でも連れて行ってくれていました。
理科や算数に対して好きになって欲しくて、自然と身に付けて欲しかったんだと思います。

ここでも私は博物館に行って展示物を見るのは好きになりましたが、学校の授業は理解ができなくなってしまい嫌いになってしまいました。

思春期に私の理系嫌いが加速してしまい、そこから派生して建築というか父親の仕事はかっこ悪いのではないか・・?と思ってしまうようになりました。
今だったら本当に申し訳ないとは思っているのですが、工場や会社で働いている人と外で会ってもちゃんと挨拶をしないということが増えてしまい相手からしたらすごい感じ悪い学生時代を過ごしていました。

父親に対しても、この頃から「私は理系になんて好きにならない!文系を好きになる!!会社なんて興味ない!絶対継がない!!!」とよく言って喧嘩していました。
絶対傷ついていたとは思うのですが、何も言われなかったのも今になるとなんだか寂しい気もします。

3.就職〜祖母の死

そうしているうちに私も大学4年になり、就活をするようになりました。
父親の会社には絶対行かないと決めていて、本当に就職浪人するようなことになったら就職しようとは思っていたものの、そんなことをしても怒られることは確実だったので絶対にしまいと思いやっていました。

就職先は介護の会社に決めて、親の会社のことなんて何も考えないでいました。
新卒の研修の時に自己紹介のプレゼンを行う日があり、そこで私は事業所のことを小さな会社と例えてプレゼンしました。
このプレゼンは研修グループの人や上司にも褒められて嬉しかったのですが、無意識に親のことを意識しているのでは・・・?と考えるようになり、そうはなりたくないという思いもあってあまり考えないようにしていました。

仕事にも少し慣れてきた8月に私の祖母が亡くなりました。
葬式の時に親戚から言われた一言で驚いたことがありました。

「あなたは最初からお父さんの会社に行かなかったのね。どうして?」

その人が発した言葉はその人からすれば何気ない、素直に思ったことをそのまま言ったのだと思います。
私からすれば、親戚からは当たり前のように親の会社に入ってゆくゆくはその会社を継いでいくことを望んでいたのだとそこで感じました。

そこで、自分の仕事の目的を責任者になって、自分の親の会社でもやっていけるような人材になりたいと考えていきます。

ただ、その考えはうまくいかなかったです。
それはまた別のnoteでゆっくり書かせてください。


4.再び建築を好きになった


就職してからは休みが木金というがっつり平日で、友達ともなかなか遊ぶ予定が合わないので一人で楽しめるところに行くようになっていました。
小さい頃から美術館や博物館にいくのは好きだったので、土日だと混んでいて疲れるので平日のゆっくりした時間が流れているところで過ごすのが好きになりました。


大学生になってからたまたま国立新美術館に行きたい展示があったのですが、なかなか行く機会がなくて、就職してから「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」をみに行ってきました。


展示内容も素敵だったのですが、国立新美術館の建物自体に魅了されていた自分がいました。
あの建物は本当に人間が作ったのか?!と未だに行くたびに思ってしまいます。
ここまで毎回感動する施設ってなかなかなくて、毎回子供のようにはしゃいでしまいます。

ここから少しずつ展示物だけでなく、なんとなく建物の構造をみて行くことも増えていきました。


私の中で決定的に会社を辞めて親の会社を継ごうと思ったきっかけが「くまのもの 隈研吾とささやく物質、かたる物質」を見に行った時でした。


正直、隈研吾さんのことは国立競技場のデザインになった人という感覚しかなく、ほとんど知らないに等しかったんです。
だけど、たまたま見てみたいという気持ちになって思い切って行ってみました。
隈さんが展示の中で、自分が苦手意識を持っている物質にも挑戦して設計している文章があり、それがとても印象的でした。

自分も苦手意識を持っている建築に対して好きになろう、もっと建築のことを知りたい、親の仕事のことを知りたいと思えるようになりました。

そこから親の会社で働こうと思い、6月に退職届を出して今に至ります。
来年から通信大学で建築の勉強をしながら親の会社で働き、建築の世界と触れ合っていこうと思います。

まだまだわからないことだらけで不安もありますが、楽しみたいと思います。


ここまで付き合っていただきありがとうございました。

 

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