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私にとっての椎名林檎とは.

女史の誕生日の後に林檎班のシードル友の会に投稿したけど載せてもらえなかったので(笑)

急に思い立って思いっきり改編して長編化させてここに載せます。

ちなみにぽむたろうのぽむは女史由来で、フランス語で林檎はpommeだからです。
たろうは祖父の名から一部もらいました。



貴女にであったのは私が8歳の頃。



あの頃の幼き私は貴女と言う唯一無二の存在に衝撃を受け、ちょっとおっかなく、そして引きつつも何故かどんどん惹かれ、いつの間にやら夢中になったのです。

あの頃の私はコンサートがあっても、CDが発売されても、幼かったために金銭的な面から一切何も出来ず、悲しく悔しい思いをしながら、ただただラジオで流れる貴女の曲に聴き惚れ、TVに流れる貴女の姿に驚いてはまた見惚れておりました。


私も貴女も齢を重ね、お互いの人生を生きてきたことと思いますが、昨年、ようやく貴女に椎名林檎と彼奴等のいる真空地帯、林檎博 不惑の余裕×2と3回もお会いすることが叶い、ただただ幸せで3度とも泣きました。

私の拙い語彙力で貴女との邂逅を表現しきれませんが、本当に幸せで、なにより私が貴女を愛するように、貴女も愛好家達を信じ、愛してくれているということを生で感じ、これが幸福ということかと噛み締めました。

貴女はナース服姿でガラスを割りながら太陽酸素海風でもう充分だったはずと歌っていたけれど、貴女の気持ちは愛好家として分かっているつもりだったけど、それでもやはり言葉で愛好家達への想いを伝えてもらった有難みは他の何にも変えがたかったのです。
そして貴女の言葉に、貴女が存在している今という時間を共に生きられる悦びを心から感じました。

それに、思い返せば私の人生はその節々で貴女の存在、歌詞、メロディに支えられて生きてきたので、なおのことその感動はひとしおだったのです。


正直に言えば、出会ってから20年の間を100%ずっと大好きだったとは言えない。
それは時にあなたを堂々と好きだというには時代がついてくるのがとても遅すぎて。
時にもうきっと潮時?と歌詞の通りに頭に過ったりもして。
燻る思いにそっと蓋をしかけた時もあったけれど。
そこからまだまだ新鮮なような、それでいてどこか熟成されていくような感覚もあって。


そんな最中も貴女が椎名林檎としてだけではなく、椎名(弥吉→児玉)裕美子として生きてきたから椎名林檎という貴女がいる。

林檎博’08では若旦那がナレーションをしていたが、林檎博’18では若女将がナレーションをして。

さらに林檎博’18のだいぶあとになって分かったことだけど、児玉裕美子は3人の子の母になっていた。
その全てを含めて、貴女という存在全てが好きなのだと改めて強く感じさせた不惑の貴女。
母として、女として生きてきたから、なのですね。


あのデビュー当時の鮮烈な貴女も、今の日本の淑女たる不惑の貴女も、どんな貴女にも貴女の魅力があるなあと、そんな安定感と、時に驚きをも超える衝撃と、そしてこれぞまさしく『椎名林檎』か!という既視感にも似た愛好家としての貴女への信頼と。

遠くても近くても、変わっていっても、なお貴女が貴女でいてくれた事、それはおこがましいながらも私が私でいていいのだ、私も進んで、そして変わっていいのだと言ってもらっているような気がしたのです。



人生は夢だらけ。



貴女は私にこれまでもたくさんの夢を見させてくれましたが、特にこの曲は私にこれからも貴女に夢を見たいと切望させました。


貴女が貴女と中の人の人生を生き切るように、私も私自身の人生を生き切るべく、生きてゆきますが、その人生には必ず『椎名林檎』という、貴女の存在、貴女の曲、貴女の歌声があると今もこれからも信じていきます。


貴女にまた逢えるように、逢えた時は誇れるように、私もがんばって今日を使い切って生きて生きて生きていきたいと心から思い、願い、行動したいのです。

つまり椎名林檎とは

私が私の命を燃やすために必要な私のガソリンであり、敬愛してやまない唯一無二の存在である。

なーんて、結局椎名林檎女史のことがひたすらに大好きだ!という話.


あ、あと、不惑の余裕のDVDの発売が決まり、参戦した11月22日、25日の映像と知って歓喜!

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