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昭和世代と合理的配慮

 先週の出来事とこれから考えなければいけないこと。

昭和世代について

 私たち昭和世代は、世間の標準化の枠組みの中で優劣がつけられて生きてきました。
 30人から40人程度のクラスの中には数人、どうしようもなく勉強についていけない、人間がいたかと思います。昭和の世代の感覚では、それを頭が悪い人間として、単純に定義していたと思います。

一方、令和の教室

 私はまだ環境の良い方と言われる学区に居住しているため、必ずしもすべての地域がそうではないということと、大阪府の北部地域が一番先進的なようなので、まずそこは前提の話とします。
 勉強についていけない子供は、合理的配慮が必要という判断が学校側でなされます。
 もっとも、保育園、幼稚園と自治体の間で、発達の障害、遅れ、知的な問題の懸念が巡回されている地域もあると思います。

頭が悪いという状態への考え方の変化

 保護者と学校側が状態を共有した結果、合理的配慮が必要という結果になると、かなり支援が受けれるようになります。その配慮を受けるか否かという部分では大きな差が生まれる訳ではありますが。

合理的配慮という考え方のなかった昭和の世代

 息苦しい中で、それでも生きると決めて生きている人は多いと思います。私の職場でもその疑いのある人間がいるのですが、気合で生きてきた、かつて親方型の職人をしていた方と、まったくそりが合いません。

合理的配慮的視点での仮設

 合理的配慮的視点であるスタッフを見たときの仮説です。
・頭の中の短期的記憶の不足。
・頭の中の長期的記憶の不足。
・自分を引き合いにしたコミュニケーション能力の不足。
・マルチタスク能力の不足
・複数の指示系統に対する整理力不足。
等々あります。

仮説が真実として

 昭和世代が、今更その事実を知ることは残酷であります。また、それを判断できる側の人間も昭和世代には少ないです。
 どちらの側が知るにしても、残酷さが残る現実です。

そんな中で来年から施行される法律

 来年、障害に対する法律が改正されます。

 この法律の難しい点として、のちに合理的配慮が必要と判明した場合、そのことに対する、エビデンスが必要ではないように書かれていることです。つまり、検査結果、手帳等なくても、本人が合理的配慮が必要らしいとなれば、配慮しなければいけないのです。
 これは雇用者側からすると、事後になると非常に不利であるため、就業規則を改定する必要があるのではないかと懸念します。

今日はこれにて。

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