いつのものだかわからない日記

最近人生で初めて失恋をして、恥ずかしいけどそれに引きずられてメンタルの病気が再発してしまった。
感覚たちの感度がぐしゃぐしゃで狂いそうだし、いつも恐怖や虚無感や焦燥に支配されている 日々ただ毛布にくるまっていることしかできない。
何も楽しくなくて何もできない でもそれでもなぜか写真を撮らなければという義務感があって、何も考えられない抜け殻のような写真を撮り続けている。

今朝も起きるのが辛かったけど、写真の授業だけはがんばろうと思っているから最低限の荷物で学校に向かった。
パソコンもクロッキー帳もなくてカメラとお財布しか持ってなかったから断って図書室に行って何冊か写真集を借りてきてそれをずっと眺めていた。どれかにカラーネガを一面に並べたページがあって切り取られた時間に押しつぶされそうで過呼吸になりかけた。

その後に先生に勧められた展示に寄った。障害者や共感覚についての展示が多くて他意はないのだろうけど進められた理由を変に勘ぐって、街中の音に関する展示があって興味を持って触れていたけど、感覚過敏がひどいのですぐ体調不良になった。
電車に乗って静かな街に帰ったけれど気分はおさまらないままで、でもそれでも写真を撮らなきゃと思って半分パニックになりながら空き地を撮っていたら見知らぬ人に話しかけられた

「うちにもそのカメラあります!作品作ってらっしゃるんですか、いい作品ができますように。」「お姉さん自身もどうか幸せに。」
と言われた。

時間が止まったような感覚がして視界がかすんでいた
あの人はわたしの何を感じて話しかけてきてなぜそんなことを言ったのか全くわからないし、知らない人に声をかけられてそんなことを言われるのは初めてだし、そんなことを言われたら不審がるのが普通かもしれないけれど人に幸せを願われることなんてほぼないわたしはとても驚いてしまった。
ただうれしかった。不思議な感覚になった。
号泣しながら歩く道には下校途中の子供がいてシルバーさんがみんなにおかえりと声をかけているのが聞こえるからわたしもおかえりと言われたような気分になって走り出したくなった。
家の前の木から葉がひらひらと落ちて曇り空に鳥が鳴いていた。

ひどい孤独の思い込みだって他者に観測されればその時点で孤独ではない
外に出て前を向こうと思いました。


2021年の冬かな

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