心を開くということ


自分に呪いをかけてしまうことって誰にでもあると思う。
私の呪いは「トラブルの原因になるから感情的になってはいけない」だったり「男の人には気を使う」だったりした。それは、ある日突然そうなったのではなくて、徐々に、長い年月をかけて私の心を凍らせた。

私にとっての長い長い冬であり、それが終わるのは19歳の11月だ。

原因は私の幼少期の家庭環境にあると考えられる。

父の存在
私の父は飲食店を経営していた。私の前には経営者として責任を背負って生きる父の姿があり、幼いながら、その状況を理解していた。故に私は、父が良い気持ちで居ることを望み、成長すればするほど、父に対して我儘を言うことが困難になっていた。(父とは仲が悪い訳では無い。私は、父が私に対して、普通の父親のように、いや、それ以上に愛を注いで育ててくれたという事を理解している。周りからは仲の良い親子と言われるし私達も互いをそう認識している。)

祖父の存在
祖父が心不全で病院に担ぎ込まれ、ペースメーカーを入れる手術をしたのは私が年長の頃である。
初めて身内が大病を経験した。
術後の病室には、沢山のチューブに繋がれて顔色の悪い祖父が居て。見舞いに行った時にはこれはただ事では無いなと感じたのを覚えている。一倍繊細な子供であった私の心にはショッキングな出来事として記憶されている。
大事には至らず、驚くようなスピードで回復した祖父は年内に自転車、マラソン、スキー、ゴルフなどのスポーツを楽しんでいたからきっと術後は良好だったのだろう。大丈夫だと言われても、私は祖父がいつ倒れてしまうか分からないと、2人になるのが怖かった。

そんな環境の中で、幼い私の中には不可抗力的に、「周りの人に自分がネガティブな影響を与えてはいけないし、気を使うべき(特に男性)」という認識が生まれていた。
幼少期の記憶は、愛され、幸せなものばかりだけれど、それと同時に私の中で長い冬の始まりでもあった。

私に辛く当たる大人はいなかった。
しかし常に顔色を伺い、人を怒らせてはいけない。人に迷惑をかけてはいけない。と考えていたのは家族という群れの中で一人子供であった自分の、生き抜く術であったのだ。



19歳の夏、大学に入学し一人暮らしを始めた私はあるひとりの男性と出会った。(今後は彼をAと呼ぶ)
Aとの出会いは少々特殊で、好きなアイドルのSNSコミュニティで互いをフォローしたのが始まりだ。
コンサートに行く相手を探していた彼とチケットを探していた私。パズルのピースがカチリと合って、一緒にコンサートに行くことになった。会場の座席に腰掛けて周りが今か今かと開演を待つ中、私達は趣味の話に花を咲かせた。好きな映画の話、海外ドラマの話、互いのプライベートの話。
何となく心地が良くて気を使わなくても良い様な気がして。自分の思っている事を包み隠さず気持ちよく話した記憶がある。
終演後は友人達と合流したが初対面でもいとも簡単に人の懐に入り込み、さらには私の終電の心配までする彼に魅了されると言うより、正直圧倒されていた。笑
ああモテるんだろうな。というのが第一印象。
また共通の友人にとても魅力的な女の子がいて、その2人は息もぴったりだった。わたしにはお似合いカップルに見えていたくらいだからその時はAを恋愛対象として考えてはいなかった。

19歳の冬
その後も2人で映画に行き、やがて彼からは週に1、2度電話がかかって来るようになった。
私は徐々に彼に恋愛感情があるのでは無いかと感じ始めた。また、私も惹かれていた。
しかし、暫く経つと会う予定を後にずらしたり、電話の約束を忘れたり。少し気まぐれな所のある彼に不安な気持ちがつのった。

私からの電話にも出て欲しい。
もっとメールの連絡をして欲しい。
私を不安にさせないで
言えない、そんな我儘言ってはいけないと、私は吹雪の中で足を取られ、先が見えず、ただ悶々と立ち止まってしまっていた。

「ごめん!遅くなって。怒ってる?」
怒ってるに決まっている。
その日も電話の約束を忘れて、私は理由も分からず待たされたのだから。
「怒ってるに決まってるじゃん…」
溢れた怒りに、つい、そう言ってしまった。その時、私の手は震えていた。自分の中で最大のタブー、感情的になる事(それも男性に対して)を犯してしまったのだから。
感情的になるなんて。しかも付き合ってもいないのに嫉妬して不安になってうじうじ怒って。鬱陶しいにも程がある。彼には怒られるかもしれない、嫌われるかもしれないとさえ思った。

しかし、結果は私の思っていたものとは180度違った。Aは誠実な態度で、遅れた理由と電話をする意思はある事、暗に私への気持ちがある事を話した上で、心からの謝罪をしてくれた。

その時私の冬が終わったのだ。
私は気がついた。
感情的になる事が、常に最悪を引き寄せるばかりでは無い。自分の気持ちを隠して我慢する事ばかりが、全て丸く収めるための方法では無い。
その時、私の中で、純粋に人を信頼し、疑わず、愛する準備が整った。
その時、春が訪れ、私の足元の雪を溶かしていった。

その後から彼は遅れるならば理由を説明するようになった。予定の事も、約束も、彼の生活環境的にそうなってしまっていた事も理解できた。私達は確実に恋人という関係に向けてのコミュニケーションをとっていった。

この事から人間関係において大切な事は、相手に気を使って良い思いばかりしてもらうことではなく感情で繋がることなのでは無いかと思う。これは恋愛だけではなくて家族、友人、上司と部下など様々な関係に言えることだ。楽しい事だけではなくネガティブな悲しみ、怒りを共有し、時にはぶつかり合い、感情の交換をする事で、人は人を理解する。私は、それが深い関係を築く上で大切なスパイスのひとつであると考える。


Aの存在
Aは非常に社交的な人間だ。
友達も多く、明るく、気配りのできる人だ。
おまけに私には手の届かない良い大学に通っている。人間として尊敬できる人だ。
沢山笑わせてくれ、そして私は彼に対して怒る事もある。怒ることが出来る。私は人と、感情を通した繋がりを持てる。その事に幸せを感じる。彼は、私の人生に、新たな気が付きと人間的な成長をもたらしてくれる。

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