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339日目(つながらない①)

この日は小学校の運動場に集まって親子で遊ぶ。そんな中、霰が降ってきてなかなか珍しい光景。あられやこんこん。

学校に行けない

学校に行けなくなった子どもの話を聞いた。我が自治体では子ども適応指導教室というものがあり、そう言った子どもたちが集まってくる。

つながらない

そういった場所に繋がるのは案外難しいらしい。そんな時にありがたいのがスクールソーシャルワーカーの存在だ。

我が自治体では、子ども応援委員会なるものがあり、各区に一拠点運用されている。わたし自身も、学校教育職員として、とてもお世話になった。

スクールソーシャルワーカーは、我が自治体では子ども応援委員会に在籍しているのだが、そもそも、子ども応援委員会なるものにつながらないのだそう。

これは由々しき問題だ。この話が本当なら、スクールソーシャルワーカーソーシャルワーカーが必要になってしまうからだ。さらに、スクールソーシャルワーカーソーシャルワーカーにつながらなかったとしたら、スクールソーシャルワーカーソーシャルワーカーソーシャルワーカーが必要となる。

無限の後退

まさか、ソーシャルワーカーが無限の後退を起こすとは思わなかった。

いや、そもそも、ソーシャルワーカーなんて昔はいなかった。一体どうしていたんだろう。

地域の長

むかしは、どの地域にも村長さん(長老)みたいな人がいてその人に聞けばなんでもわかるみたいな存在だった。

いまは、そういった立場不明の存在は忌避され、専門職が取って代わられることとなった。

でも、専門性があれば、つなげられるわけではない。むしろ、専門性があり、専門的な機関にいればいるほど繋がりにくい。私たちとの溝ができるからだ。

溝、格差、分断

情報強者はこういった溝を乗り越えられるが、そうでないと乗り越えられない。そして格差が生まれる。次第に、アクセス不能な分断となる。

悩める保護者

ちなみに、その保護者は、一般的な主婦や会社員よりは、行政の事情に長けていて、自力で支援につながることができた。

それでも、半年かかったのだそう。つまり、こういうことだ。溝は、私たちの間ではなく、むしろ支援そのものとの間にある。これが、2020年代の子育て事情である。

公的や支援は私的な支援を弱体化させ、結局のところ、公的な支援も届かない。

必要なのは、わたしたちが受け身にならず繋がれる、ということなのだが、これがまた難しい。つながりはいかにして生まれるか、よくかんがえたい。



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