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沈没家族

共同保育

子育てを核家族でするのは無理だ。
私たち夫婦は健康で、仕事も生活力もある。
それでも、夫婦だけでの子育てには無理がある。絶対にある。

子を持つまでは、どうして何組かの親子が公園に集まって遊んでいるのか分からなかった。でも、実際に何組かの家族で集まって遊ぶとその良さが分かる。

・子どもが何人かいると遊びが広く、深くなる。
・子どもが何かできたとき、親以外が褒めてくれる。
・自分の子なら咄嗟に怒ってしまう子どもの失敗も、他人の子なら笑って許せる。自分の子も許してもらえるし、自分の子に対しても怒るほどのことじゃないと思える。

子どもの数に対する大人の数は、多ければ多いほどいいと思う。親が子どもを叱るのは、多かれ少なかれ子どもの将来に責任を感じるからだが、親個人の価値観は世界の全てではない。子どもの将来に責任を感じない大人が軽率に褒めたり慰めたりする。そんな逃げ場所が子どもにあったら親も子どももどんなに楽だろう。「沈没家族」はまさにそんな感じだ。「多様性」を生きたまま学べる、すごくいい環境だと思う。憧れる。いいなあ。

山くん

そういう前提で観進めていったが、なんと、私が一番自分を投影してしまったのは土くんのお父さん、山くんであった。
彼は沈没家族をよく思っていないらしい。自分は土くんの人生に責任があるのに、責任のない奴らが土くんをわいわい囲んでいる。その輪には入れない。

山くんそれ分かる〜、と思うのだ。
私も山くんの立場だったら上手く入れないかも知れない。俺の家族を壊さないでくれ!と思うかも知れない。

ここからは私の想像だけれど、山くんはホコさんと土くんと3人で暮らせたらそれだけで良かったのだと思う。ケンカしたり、会話がなかったり、たとえ苦しいことばかりだったとしても、夫婦と血の繋がった息子がいるというだけで「家族」だったんじゃないだろうか。

山くんはホコさんを繋ぎ止める努力をしたと言っていた。それでも彼は彼の思う「家族」を手に入れられなかった訳だから、切なくなってしまう。山くんの住まいは我が家から近くて、親近感も湧く。

家族って何だろう

やっぱりここに来てしまう。
ホコさんと土くんは家族だし、山くんと土くんも家族だし、沈没家族も家族だ。山くんが手に入れたかった家族もまた家族だ。

沈没家族は家族だけど、ホコさんと土くんの繋がりは、沈没家族のメンバーと土くんのそれとは違うんだろうとも思う。でも、血の繋がりだけが二人を特別たらしめているわけでもない。
家族って何だろう。

子どもを夫に頼んで一人で観に行ったのだが、夫と話し合いたくてAmazonプライムで観てもらった。
重い映画ではないのに、この映画を思い出しては、考えている。



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