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嫁と姑

このタイトルだけで、ドロドロとした、あまり関わりたく無い話が始まりそうだが、然りその通りなので読んだあと、そう思っても責任はもてない。

結婚してすぐ、最初から姑と同居した。実家の母も相当な人物だったので、ちょっとしたドラマ程度のイザコザなら大丈夫だろうと思っていた。もしかしたら想像以上に大切にされるかもしれない…と小さな希望を胸に新婚生活が始まった。姑は離婚し、仕事を持ち、必死に隠していたが彼氏がいた。(独身なんだから良いんだけど…)

家事のやり方、食事の好み等、個人的な違和感はお互い慣れていくしかない。が、毎日の晩酌とタバコはなかなか慣れなかった。そして最も困ったのは、夕方仕事から帰宅すると親戚や長女に電話をかけ家に呼び寄せることだった。多分、屁理屈の多い嫁とサシで食事するのは嫌だったのだろう。

当然、夕方5時過ぎに来た親戚はそのまま帰せず、毎夕食、家族以外のメンバーとの酒盛りが始まるのだが、もちろん姑は電話で呼び寄せたとは言わないので、夕食の準備が終わって来客という困った事態に、なんと偶然が重なるんだろう…と不思議に思っていた。ある日、電話をしている姑の声が聞こえ「せめて事前に言ってほしい」とお願いしてみたが、言ったがために蟠りを残す羽目になった。

正月、GW、お盆は姑の姉妹が泊まり掛け、親類縁者子どもを含め20人以上の大宴会。小姑は近所に住んでいて、週に2-3度子どもを連れて来ては「兄のお金を使い歩いて、幸せな嫁ねー」と文句を言う。小姑の感情的なやっかみは仕方ないし(ドラマでも多々ある)姑なりに気を使ってたようで、楽しいことも嬉しいこともあったが、気を許せば悪口雑言の親戚まみれの来客は、10年以上変わることはなく、基本的に自由はなくて、人生の大半は姑とその親戚が中心だった。

嫁と姑は友人ではない。夫で息子という存在を間に、上下関係を保ちながら強制的に仲良くする関係。性格が合っても世代で考え方は違う。お互い相容れなくても、カモフラージュしながら一生付き合わなきゃいけない。果たして一緒に暮らすのは無理があるのだ。嫁と姑は、惚れて一緒になった訳じゃ無い。

時がたち、嫁もそれなりにズーズーしい年齢となり、姑もよりワガママな年寄りになった。そして姑は、残りの時間を「好きなように生きる!」と決意表明をした。しかし「やりたいことをやる!」ではなく、気を使わず言いたい放題言い、思うままワガママを通すと言う意味だった。人の話を聞かず怒鳴り散らすのだ。さすがにズーズーしい年齢の嫁も我慢の限界で、言い返した瞬間、激しい頭痛と共に気を失ってしまった。病名は「くも膜下出血」だった。

楽しいを期待しない…という人生は、いつの間にかストレスだったらしい。単純明快な夫は、複雑な女性の気持ちが分からず、姑をあしらえない「頑固な妻」と思っている。多分ほとんどの男性がそうなのだろう。夫の立場で言いたいことはあるだろうが、仕事が忙しい、たまの遊びだ、と走り回っている間、妻は家事と子どもと家計に追われ、貴方の母と親戚に雁字搦めにされていた。

手術後、恐くて姑の住む家に帰れなくなった。夫は姑と住み、私は家を出ることにした。夫婦仲は悪くないのに別居という妙な暮らしだけど、人生はこれからなのだ!






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