あのひまわりの花唇のように

 畑のひまわりを、できるだけ胸に抱えて。あぜ道を駆けました。駆けて、駆けて、そうしてやっと見えてきた、山際に茂る、濃い竹やぶ。せり出した緑の影が、道を覆っていました。

 そんな厚い色に迫られている、一軒の平屋。すぐそばを、用水路が這っていて。その脇に、ひまわりを置いて。日陰に座り込み、緑色の染みた指で、花びらをむしって。一枚一枚、スカートのポケットへ。そっと、詰めました。汗を垂らしながら。お尻がじりじり、焦げました。

 入れて、しまって、二つのポケットがたくさんの黄色でふっくらしたとき、平屋のチャイムを何度も鳴らして。丸っこい返事。すぐに出てくるよう伝えました。そうして、花びらを用水路に流して、流して。夏日を吸った花弁が、光の尾を引きながら、ひらりひらりと水面へ落ちて、漂って。張っていた銀色のクモの巣に、深緑のこけに、何枚か、引っかかって。

「夏海(なつみ)ちゃん!」

 振り返って叫んだら、ヘアゴムをくわえた夏海ちゃんが、ひょっこり出てきて。後ろ髪をまとめている、二つの手。紺色の学校のジャージが、日差しでぎらついていて。駆け寄って、こぼれていたそのやわらかい手首を引っ掴めば、黒い輪っかがぽとりと落ちて。構わず、走りました。

「ちょっと! なに!」
「えぇから!」

 なだらかな下りになっている農道を、用水路に沿って駆けていけば、花唇の群れに追いついて。何枚もの花片が、用水路の側面にくっついていました。足を緩めれば、夏海ちゃんは、荒っぽく息をしていて。生え際に、汗がにじんでいます。

「どうしたん」

 湿った声。濡れた花びらを指差せば、夏海ちゃんはしゃがみ込み、置いていかれた流れのかけらをつまみ上げて。

「ひまわり?」
「ほら、早く!」

 夏海ちゃんの二の腕を掴んで引っ張れば、その指から花が散って。転びそうになっていて。どんくさ、と笑いながら、二人で追いました。途中から、想像以上に速くなって。必死に足を動かしました。用水路を流れ落ちていく、透明な輝き。小さな小さな白滝に呑まれては浮かび上がる、真っ黄色。水流を覆う、石のふたに、鉄のふた。いくら隠されても、隠されても、まぶしい黄色は、顔を出して。何度でも何度でも、私たちの前に。

 単線の踏切を渡って、旧道を越えて。そうして流れ着いた先は、大きな大きな川でした。水面から水の底まで、花緑青で。向こうに見える青い山が、水にゆらゆら、映り込んでいます。たどり着いたひまわりは、ゆったりと、川面に川面に、散らばって。何匹もの茶色い蛾が飛び回っている、石にあふれた、燃える河原で、両腕を広げて仰向けば、濃い青空と真っ白い雲に、目玉を抱かれました。ちかちか、じんじん、痛くって。どれだけ息を吸っても、足りなくて。

「なん、なん。こんなとこまで、連れて、きて」

 となりに目をやれば、夏海ちゃんは腰を曲げ、ひざに手をついていて。荒々しい息遣い。私も、座り込まずにはいられませんでした。

 肩で息をしながら、川の水に勢いよく手を浸せば、冷たさが乱暴にキスしてきて。すくいました。すくって、すくって、夏海ちゃんにかけたんです。そうしたら、夏海ちゃんは赤いほっぺたをふくらませて。二人で水をぶつけ合いました。笑声が飛び立って、反響して。笑って、ムキになって、怒って。浅瀬で取っ組み合いに。そうして二人、尻もちをついて。夏をびっしょり、かぶりました。

「夏海ちゃん」
「なにぃ」

 両手で水を持ち上げて、顔を洗っている夏海ちゃん。指と指の隙間から、透明が、糸を引くように、滴って。

「あのひまわりの花みたいに、私、どこまででも、いけるから」

 水面でたゆたう夏海ちゃんに向かって、言葉を放りました。

「だから東京いって、もししんどくなったら、どうにもならんくなったら」
「凛子(りんこ)」
「私、ひまわりみたいに、流れていくから」

 夏海ちゃんのように顔を濡らして、濡らして。にっこり、微笑みました。微笑んだ、つもりでした。

                               (了)

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