写真について語るということ

写真を見るのはとても好きだしわたしの周りには写真を撮っているひとや撮られているひとが多いから、嫌でも写真に関する話題は耳に入ってくる。

彼らは写真について語る。写真はこうあるべきだ、あのひとの写真は上手い下手だ、写真には魂が写る、生きている、写真は人生、などなどそれぞれが写真に対する思い入れがある分強い気持ちの入った言葉で語ってくる。

それが最近つかれてしまった。わたしには上手いとか下手とかはなくて好きか嫌いかしかないから。彼らの写真への思いはわかるけど、いまのわたしはわたしが見る写真に余計な情報を入れたくない。誰かが言う写真とはこうあるべきだという型にはめられたくない。その枠の中でしか捉えられなくなることが苦しい。写真について語らないでほしい。マウンティングも必要ない。ただそこにあってわたしが好きかどうか、それだけだから。

語らないでほしいといいつつわたしもこうして語っているのだけど。何様なんだと言われれば確かにそうだけど、いまのわたしはそう思ってるよってだけで、すこしつかれているだけだから、またすぐに彼らの話を楽しく聞けるようになるんだろう。

わたしは今日も好きな写真を眺めます。好きだなとか切ないなとか触りたいなとか入りたいなとか、そんな風に。

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