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そのほほえみに恋をした

「知らない人にはついていかない」
誰もが幼き頃から耳にしていた言葉である。

大人になってしまえば知らない人について行く機会がそもそもなくなってしまうから、こんな言葉は意識することなく生活ができる。

だが、異国においては知らない人から声をかけられることがやたらと多い。無論、旅する国によって異なるのだろうが、スリランカに関していえば、もうそれはそれはモテモテである。

「このグットなTシャツが絶対似合うよ」
「これからツアーに出かけないか?」
「俺の父ちゃんがやってる紅茶屋で一杯やってかないか?」

声をかけられるのは大抵の場合、同性である男であるが。

お昼が過ぎて、雨上がりのキャンディの街をあてもなくふらふらしていた。トラックの中に大量に積まれた果物や野菜を搬入している人。見栄え良く綺麗にフルーツを店先に並べている人。カオスだけど、ちょっと愛くるしい。そんなキャンディの街には陽気な風が心地よく流れている。

「マーケットに行かないか」
知らない人にはついて行ったことのない僕が、30過ぎたスリランカ人の男について行ってしまったのにはそれなりの訳がある。

「お兄さん、どこから来たの?」
信号待ちをしていたら、男がニコニコ笑顔で話しかけてきた。日本、と答えると彼は口角をさらに引き上げて「グットカントリー」と返答した。

「日本はいい国だ。君はオオサカ出身か?」
どうして東京より大阪という地名が先行して出てくるのか。不思議と今年の阪神タイガースの強さを知っているように見えた。

「いや、トウキョウだよ」
僕の出身は神奈川県小田原市ですが、説明するのも面倒だし、関東圏ということで東京にしておいた。

「ワーオ、トウキョウ イズ モダンシティー」
僕は愛想笑いを浮かべた。東京なんて年に何回かしか行かない、僕にはよく存じ上げないモダンシティーだから。

信号が青に切り替わったので、横断歩道を渡る。途中何人かは赤信号の中、何食わぬ顔で横断歩道を闊歩していたが、多くの現地人は信号をきちんと守っていた。彼も当然のことのように僕の真横にピタッと着き、横断歩道を歩く。

「僕のやってるお店来てよ。ワタシ、ジャパンが好きなんです」
彼はぶっきらぼうな英語でそんなことを伝えてきた。きっと僕が韓国人だったら「ワタシ、コリアが好きなんです」と言うだろうし、中国人でもキルギス人でも同様であろう。しかし、彼の笑顔には騙し取ってやろうとか、いいカモが来たという背景が読み取れなかった。直感的に。

暇だし、僕は彼の後を歩いた。キャンディのマーケットは祝日ということで閉まっていたが、ファッション市のような衣服がメインのマーケットは営業していた。半露店のような佇まいの店が多く、ドアや窓といった概念が存在しないオープンな店が立ち並んでいる。

「ここだよ」
彼に従って店の中に入ると、そこには5,60代の小柄痩せ細った、白髪のおじいちゃんにほど近いおじさんが笑顔で出迎えた。店内はとても狭い。都内一人暮らしの6畳の部屋と同じといったところだろうか。ドンキホーテの駄菓子コーナーの一角みたいにその狭いスペースを最大限に活用して、仏像やら紅茶やらスパイスやらTシャツやら、観光客をターゲットにしたようなお土産品が並ぶ。

「いらっしゃい、よく来たねえ」
少し薄暗い店内だったがおじさんの笑顔ははっきりと目に見えた。

「ゆっくりくまなく観てくださいな。慌てないで。君は日本人ということも聞いているからディスカウントもするし」
ありがとう、と言って僕は店内の商品をじっくり見ていたが、時間をかけるほど大きな店ではない。3分くらいで一通りの商品を観ることができた。その間、おじさんはずっと僕に日本のどこに住んでいるのか、スリランカの滞在は何日なのか、キャンディは何日間いるのか、これからどこの街へ向かうのか、といった基本情報を聞いてきた。

正直言って気になる商品はなかった。が、1番に目に入った木彫りでiPadと同じくらいの大きな仏像が気になる。こちらを見守ってくれているような、どこか優しい表情をしている。

「これ、いくら?」
値札などはない。試しにいくらか聞いてみる。

「それ単体だけだと高いよ。ハンドメイドだし。何かと合わせて買ってくれたらディスカウントしてあげるよ」
さすがは商売のプロである。

「じゃあこれとセットでどう?」
僕は小さな木箱に入った紅茶を指さす。どうせなら二つくらい買っておこう。木箱には「ピュアセイロンティー」と書かれている。アップルティーとバニラティーそれぞれ一つずつを机の上に置いた。

「他はどう?」
そういえば大学院の友人に仏像を頼まれていたんだ。

「じゃあこのブッダ」
仏像は仏像でも、モノによって顔が異なる。最も和ませるような笑みを浮かべた仏像を手に取った。色はゴールドで、小ぶりの手のひらサイズといったところである。きめ細かく表情、螺髪が表現されている。

「オーケー、じゃあこれからディスカウント開始だ」
彼はそう言うと電卓を叩き始める。

「スリランカルピーで、これはどうかな」
電卓には「50,000」という数字が浮かび上がる。日本円でいうと25,000円である。いくらなんでも高すぎである。

「無理無理無理」
思わず僕の口から日本語が出た。僕の表情からこの価格では買わないことが伝わったのだろう。じゃあこれは、と彼は再び電卓を叩き始める。

40,000。
いきなりの五千円値下げである。
だとしても無理。

「高すぎ。買えるわけないわ」
木彫りの仏像は気に入ったが、さすがにこれでは買えない。縁がなかったということで僕は店を出ようとすると、おじさんは「ウェイト!ウェイト!」と言って僕を引き止めた。

「じゃあいくらがいい?」
もうありえない金額を提示して彼を呆れさせて帰りたい。僕はおじさんから電卓を受け取り、「5,000」と打ち込んだ。2,500円で買わせてくれるはずがない。

「オーウ、それはいくらなんでも…これでどう?」
おじさんはすぐに呆れると思ったが商魂たくましいのか、ディスカウントはまだ続く。

「20,000」
1万円になった。が、高いよなあ。禁じ手を使おう。

「アイドントハブマッチマネー、ビコーズアイアムステューデント!」
禁じ手とは「学割作戦」である。なんなら学生証を叩きつけてやろうかと思った次第だ。

「オー、ユーアーステューデント…オーケー、これでどう?」
再びおじさんは電卓を叩く。
「15,000」
「ディスイズファイナルプライス!」
だいぶ下がった気がするが、もう一声といったところだ。

「んーー、、」
あえて何も言わずに悩むふりをする。狭い店内を物色することよりもディスカウントに時間を費やそうぞ。

店内にパーマをかけたイケイケのスリランカ人が入ってくる。僕をこの店まで連れて来た男と外で談笑していたようだ。

「あ、これワシの息子」
全然似ていないが、確かに面影はある。息子は何も言わずに僕へ会釈して微笑み、机の上に置かれた僕が選んだ商品をビニール袋に入れ始めた。木彫りの仏像は紙で丁寧に包んでいる。いや、まだ買うなんて一言も言っていないんだけれど……

「わかった、スペシャルサービス!14,000!」
僕は彼の電卓を手に取って「10,000」と入力する。

「おーい、頼むよ〜」
おじさんは苦笑いを浮かべている。

「13,500。これで本当にラストね!」
僕は再び電卓に数字を打ち込む。13,000。これでどうか。

「500ルピーくらい大したことないじゃーん」
おじさん苦笑い。なんだか可愛く見えてきてしまった。息子も愛嬌のある表情でこちらを見ている。

「わかった、13,500ルピーで買うよ!」
「オー!サンキュー!!ストゥーティー!」
おじさんは合掌して微笑んでいる。僕は13,500ルピーをぴったり渡し、ビニール袋に入った商品を受け取ると、彼はニコニコで握手を求めてきた。もちろんその手を握る。少し強くて、あたたかく優しい握手だった。

「ねえ、記念に写真撮ってもいい?」
「もちろんだよ」
僕がカメラを彼に構えてファインダーを覗くと、息子は写真に入らないように狭い店内の端へ寄った。

「息子さんも一緒に入ってよ」
僕がそう言うと、彼は参ったなぁといった表情で父の横に立った。

「1,2,3…」

「ありがとう〜!」
正直まだ値切れた気がしたし、その後仏歯寺の横にある、個人営業ではない綺麗な冷房完備の仏具ショップに入ったら同じような木彫り仏像は日本円で3,000円ほどだったから、いくらまとめ買いとはいえやはり相場よりも高い買い物であったのだろう。

しかし、僕がここで買い物をしたのは知らない人について行った結果の「縁」によるものだし、その仏像の微笑みも親子二人の愛くるしい頬笑みも唯一無二である。

帰国後、ここで購入した紅茶は大切な友人と職場の人間に手渡した。ゴールドの小さな仏像は予定通り大学院の友人へ。彼らもまた頬に笑みをたくわえていた。

木彫りの仏像は自宅の玄関に据えている。特段、我が家は神仏に対して深い思い入れなどない無宗教のごくありふれた日本人家庭であるが、父、母、弟が玄関に横並びになって仏像へ朗らかに合掌をし、家族総出で自宅へ迎え入れた。

木彫りの仏像の微笑みを見ているとキャンディを包むやわらかなあの風を思い出す。遠い島に住む彼らのあたたかな笑みが、目の前にいる仏像の微笑みの背後のすぐそばにあるような錯覚を覚えるのである。

※この記事はスリランカ旅行記の連載です。次回の旅行記もお楽しみに!是非これまでのストーリーも覗いてみてくださいね



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