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なにゆえヒッカドゥワ!?

スリランカのシーギリヤは石見荘という日本人の経営する宿にチェックインしたとき、シンハラ人のおじさん従業員に「明日はどこに行くんだ」と聞かれた。

スリランカ4日目はヒッカドゥワという海辺の街で過ごす予定であった。僕がヒッカドゥワと答えると、おじさんは目を丸くして「ヒッカドゥワ!?」と聞き返してきた。「イエス」と答えると彼は「ヒッカドゥワイズソーファー」と苦笑いしながら続けた。

確かに地図で見ると今いるシーギリヤはスリランカの真ん中の少し北の方。対してヒッカドゥワは島の南西。沿岸部に位置する。

参考: スリランカは北海道の面積の0.8倍、台湾や九州の1.8倍くらいの面積である。

「どうやって行くのがベター?」
バスで行くつもりだったが、念のため聞いてみる。

「んー、遠すぎてよく分からんけど、まあバスじゃない?10時間くらいかかるかもね」
ヒッカドゥワという街はそれほど遠いのか……距離にしてみると300キロほどだから大したことはないのだが、山がちな地形であるのと高速道路なるものが全然ないためか、かなりの時間を要するみたいだ。にしても、前日に聞いてみなければどの程度時間がかかるか分からないという旅の計画性の無さには自分でも呆れる。が、こういう時に自分以外の何者にも迷惑がかからないというのが一人旅のいいところだ。

シーギリヤで登山をしたからか、野良犬に追いかけ回されたからか、出会った日本人の方からたらふくご馳走してもらったからなのか、その日の夜は爆睡であった(前回記事)。

シーギリヤがとても静かであることもそのひとつの要因なのかもしれない。この街は岩山とホテル以外本当に何もない場所であるから、朝起きれば、鳥の囀り、風が椰子の木を揺らす音が出迎える。「音のソノリティ」で紹介してもらいたいくらい心地いい。

清々しい朝であることに変わりないのだが、にしてもこれから何時間もかけてヒッカドゥワに行くのは憂鬱である。

こういうとき、ドラえもんがいたらいいなと思うのだが、冷静に考えると僕が求めているのは猫型ロボットでも青狸でもなく「どこでもドア」である。金のない女が、「金持ちの彼氏がほしい」と言うのと同じである。

せっかくドラえもんの話になったから少し考えてほしいのだが、ドラえもんの道具で一番欲しいものといったら、僕はどこでもドア以外考えられない。どこでもドアよりタケコプター派の人とか、通ぶって誰も知らないような最強秘密道具を得意げにほしいと言う人間とは仲良くできないと思う。

そんな妄想をしていてもヒッカドゥワへ移動できる訳ではないので、重い腰を上げて身支度を整える。長いバスの戦いの前に朝飯だ。ホテルのルーフトップで朝食が無料でいただけるとのことだったので、階段を登ってシーギリヤロックビューのテーブルの前に座る。

朝食を取っていたのはGoProを自分の方に向けてモッパンのようなことをしている韓国人の若い男ただ一人だけであった。彼はシーギリヤロックが彼自身の背景に映るように、岩山を背に向けてカットされたフルーツにかぶりついていた。ときより韓国語でモニャモニャカメラに向かって話している。

YouTuberなのだろうか。もしかしたらチャンネル登録者何万人もいる有名な人なのかもしれない。

僕が席に座ってから30秒もせずに、昨日話した従業員の男が僕のところへやってきて「ブレックファーストか?」と確認しにやってきた。僕が頷くと愛くるしい笑顔で「ちょっと待っててや」と言って厨房に戻って行った。

聖なるシーギリヤロックをじっーと見つめ、何を言ってるのか分からない韓国語と鳥のささやきをぼーっと聞いていると、すぐに丁寧にカットされたフルーツとヨーグルトが運ばれてきた。隣の韓国人のメニューをチラ見していたから、完全にネタバレではあったのだが、それでもテンションの上がる美的な盛り付けである。

さすがは南国。
フルーツミックスシェイクも美味しい。

紅茶ティー?コーヒー?」
無論、紅茶である。カフェインに弱い性質もそうだが、ここスリランカでいただく紅茶は格別なのだ。逆に言えばスリランカに来て紅茶を飲まないという所業は、長野の戸隠で蕎麦以外のものを食うであったり、鎌倉・江ノ島でしらすを食わずして帰ることと同じかそれ以上に罪深い。

おじさんは「ティーね、オーケー」と言い、それから続けて「スクランブルかオムレツどっちがいい?」と聞いてきた。前日にキャンディのホテルで食べたオムレツが美味しかったので、オムレツを選択した。彼は昨日結婚しましたと言わんばかりのニコニコ笑顔で厨房へ戻って行く。

フルーツをむしゃむしゃ頬張っていると、隣の韓国人がカメラを止めて黙食し始めた。それからいきなり、「こんにちは。日本人の方ですか?」と流暢な日本語で僕に向かって話しかけてきた。

「えっ、日本語上手っ!」
僕は日本人か否かという質問に答えることを忘れて驚きの反応をしてしまう。彼もまた笑顔である。

「日本語話せるんですか?」
「あーー実はあんまり話せません」
とはいえ上手な日本語である。韓国人は割に日本語を話せる人が多くて関心する。国際関係はいつまで経ってもあまり良くないが、一対一のコミュニケーションにおいてそれは関係ない。彼はその後、脳内にあるスイッチを切り替えたみたいに唐突に英語で質問してきた。

スリランカは何日間の滞在なのか、シーギリヤの前はどこの街にいたのか。そして、「今日はどこに行くのか」。

僕がヒッカドゥワと答えると、彼もまた目を丸くして「ヒッカドゥワ!?」と聞き返す。ちょうど僕のオムレツができたみたいで、おじさんがテーブルの上へ丁寧に皿を置いた。卵3.5個くらいは使っているだろう、かなり大ぶりで美味しそうなオムレツであった。韓国人がおじさんに向かって「彼はこれからヒッカドゥワに行くらしいよ。ヒッカドゥワってめっちゃ遠くね」と英語で話している。

「イェア、ソーファー」
おじさんが信じられないぜ、みたいな顔をして口を開く。

もう遠いのは分かった。ホテルも予約しちゃったし僕は何と言われようとこれからそこに行くのだ。

「どうしてヒッカドゥワに行くのさ?」
韓国人は僕への質問を止めない。しかし、よく考えればヒッカドゥワへ行く理由はこれといってない。スリランカのビーチを見てみたい、世界遺産であるゴールに近い(ホテルの物価がゴールより安い)といった理由であるが、別にヒッカドゥワじゃなくてもいいっちゃいい。それに自分ひとりで旅程を組んでおいて当日思う、物理的距離について。この後の移動を考えると身体が重くて重くて仕方がないのだ。

「スリランカの海が見たいからだよ」
僕が考えに考えた返答である。

「なんで?ビーチならトリンコマリーの方が近いじゃん」
まあそうなのかもしれないが、空港があるコロンボへのアクセスとか、ゴール観光とか理由はいろいろあるんだわ。この韓国人、とても素敵な笑顔だし言語能力はあるし、韓国の平均くらいのまずまずなイケメン度ではあるのだが、決定事項に代案を言ってくるあたり、多分モテない。うんうん、そうなんだ、大変だねと話を聞いてくれればいいのだ。それが女心というものであろう。僕もよく分かっていないんですけど。

会話が面倒だったので僕はサーファーであると嘘をついた。ヒッカドゥワはサーファーの聖地として知られる場所であるらしい。なぜなのかは波の高さ以外にはよく分からない。

すると彼はそれ以上質問してこなくなった。サーファーにしては肌が白すぎるのではないかと疑われてそうだが、気にしないことにした。

オムレツを食べすすめているとトースト2枚とポットの紅茶が運ばれて来た。一人だしそんな飲めねえよと思ったが、美味しくてビールみたいにごくごく消費しました。入れてくれたのはセイロンティーであるはずだが、これでインド産とかだったらショックで2日は寝込むだろう。まあスリランカでいただく紅茶は産地関係なく全てセイロンティーということにしておこうではないか。

バスは9時半だよ、とおじさんが教えてくれたので、僕は余裕を持って9時すぎにチェックアウトした。荷物を持って外へ出ると、おじさんがお見送りに来てくれた。

「ヒッカドゥワね」
シーギリヤからヒッカドゥワへ1日で移動する人間は相当マイノリティなのだろう。僕にとってみればスリランカ自体が非日常であるが、彼にとってはここスリランカが日常である。そんな日常にヒッカドゥワへ行く変わり者と出会えたのだから、彼からしてみても僕との出会いは非日常だったのかもしれない。

「イェア!ヒッカドゥワ。ソーファー!バット、アイ アム リアリィ エキサイテッド!!」
ぐちぐち言っていてもうだつが上がらないから僕はテンションを上げて答えた。やはり楽しみなマインドに持っていくことは旅行中盤では必要不可欠である。

「エンジョイ!」
おじさんは相変わらず愛くるしい笑顔で、右手をYouTubeの高評価ボタンと同じ形にして高く空へ向かって差し上げて言った。

「サンキュー!グッバイ!」
僕がそう言うと、「今度はシングルじゃなくてガールフレンドと一緒に来いよ〜!」と冗談混じりの英語で言ってきた。

余計なお世話だわ!中学生の頃から「一言余計」と親や友人から散々言われてきた僕でも思うことである。

「約束するよ!またね!」
僕は「行けたら行く」くらいの感覚で約束を交わしてしまったが、ここシーギリヤは——あるいは石見荘は、一人で満喫するにはもったいないほどのいいところだった。

木が邪魔で建物が見えねえよ。

ホテルから歩いて5分もかからずにバス停の近くまでやってきた。もう目と鼻の先でバス停のピクトグラムとベンチが見えているが、そのバス停の前方で野良犬が一匹、「ヴー」と重低音を喉で響かせながら耳を触覚のようにピンと張ってこちらを睨みつけている。

やば怖。スリランカは人の怖さを感じることがない一方で、野良犬の脅威はすこぶる感じる機会が多い。これで野良犬に目をつけられるのは3日連続である。

多分、僕がガラガラと引いているスーツケースの音が威嚇の対象になっているのだろう。

僕はスーツケースを持ち上げて、引かずに進む。だが犬は未だに「ヴー」と唸っている。僕の身近には犬派の人間たちが多いのだが、こういったシチュエーションでも堂々と犬派であると答えられるのか疑問に思えてならない。僕はどちらかといえば犬派なのだが、狂犬を前にすればおもいっきり猫派に傾く。

「僕は悪い人じゃないですよ〜」
そう犬に言い聞かせて一歩ずつゆっくり進むのだが、犬の唸り声は次第に大きくなっていく。

これ以上は危険という直感が脳に伝達されて歩みが止まる。静寂と犬の唸り声、僕の早めの心臓の鼓動だけがここにある。

参ったなあ。一本道なので引き返す訳にもいかないし。1分くらい狂犬とにらめっこしていたら、バス停の横にある平屋の民家からおじいちゃんが出てきて、犬に向かって何か言っている。犬は唸り声をやめ、おじいちゃんの方へ尻尾を振って吸い付くように寄っていく。

飼い犬だったのか?まったく、公共交通機関の前で放し飼いは勘弁である。しかしまあ助かった。

おじいちゃんは動物に好かれるタイプの人間であり、一方で僕は動物に好かれない人間であるだけなのかもしれない。

そう考えると僕は実家にいる犬や鳥から嫌われているような気がするのだが、それはいったい何故なのだろうか。何の要素を持っていれば動物に好まれるのだろうか。やはり、顔なのだろうか。

お前ら(動物たち)、人を見た目で判断するなよな。あの韓国人のことをモテないだろと散々に思った僕が言うのも何ですが。

バス停の前にて。右奥の民家からおじいちゃんが出てきた。
犬は怖くて撮影していない。

バスは予定より5分遅れてやってきた。荷物を後ろのトランクルームに預けて、開閉の概念を持たないガン開きのドアから乗り込む。そのバス停から乗車したのは僕ひとりで、降りる人間もいなかった。

車内は99パーセント現地人。無論、エアコンなどない、窓を全開にした空調設備である。僕は赤子を抱いた若い母親の隣に腰掛けたが、腰掛ける前にアクセルがすごい勢いで踏まれる。

「ワンワン!」
座席からドアを見ると、先程の唸り声の犬がバスと一緒に吠えながら走っているではないか。しかも尻尾を振っている。

ふーん、なんだかんだ僕って動物に好かれるんじゃん。好かれる要素はね、顔なんだよ。ルッキズムだと揶揄されるかもしれないけど所詮はそういうことなんだと今回ばかりは都合よく捉えることにした。あと僕はやはり、犬派の人間です。ただ、この「ワンワン!」が「次はガールフレンドを連れて来いよ!」と聞こえてしまったのは気のせいだろうか。

そんなシーギリヤであたたかなおじさんとちょっと怖い犬に見送られて、ヒッカドゥワへの長い移動がはじまった。


つづく!



※ この記事はスリランカ旅行記の連載です。次回の旅行記もお楽しみに!
 是非これまでのストーリーも覗いてみてください!



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