カンニングと自殺を繋ぐのもの(教育とは何か)

叱るという行為は、その人の態度についてではなく、ある物事に対して行われるべきです。その人に対する批評と、間違った行為を正すことは異なる行為だからです。

『オードリー・タンの思考 IQよりも大切なこと』


期末試験でカンニングをして、
自殺した男子学生のニュースと、

そのコメントを読んでいて、
ひどくモヤモヤした。


上記、
オードリー・タン氏の言葉を思い出し、
私個人の見解が明確になった。


カンニングをした行為を正すことと、
「(お前は)卑怯物だ」と
人格を否定することは、全く違う。


よって、この教育機関と教師の、

教育方針は明らかに
間違っている。


と、私は主張する。



教育とは、
これまでの世界の成り立ちと、
現時点で判明している
全ての知識を系統立てて説明し、
学生の思考の基礎を作ることだ。

そして、

学生は、
自らの経験や思考を通じて、
既存の知識を捉え直し、
新たな発見と共に、
それらを自らの血肉として再構築する
(ことを求められる)。


教育者とは、
その経験や思考、
知識の再構築の過程で起こる、
学生の過ちを許容し、
正しい方向に導くために存在する。



教育の目的とは、
罰を与えることでも、
罪を償わせることでもない。

(それらを担う、専門の職業は他にある)

教育の目的は、
学生に、不断の思考を促すことだ。


よって、

(結果的に)学生の思考停止を誘発し、自殺という選択をさせてしまう教育は、明らかに間違っている


としか、私には思えない。


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