「リアルフェイス(知念実希人)」を読んで。

リアルフェイス (知念実希人、「改貌屋 天才美容外科医・柊貴之の事件カルテ」の改題、オリジナルの初版は2015年) を読みました。

本を日常的に読み始めて日が浅いながらも文体もキャラクターノベル然としてとても読みやすかった。
ですがぼくがこんな形で感想を纏めようと思ったのはそんなありきたりなことを伝えるためではなくて、ぼく自体が抱える顔へのコンプレックスに対して改めて思うところがあったからです。

ぼくのは人並み以上には顔に関するコンプレックスを抱えていると思います。

今はSNSや写真で自分や他人の顔を簡単に見て比べることができますが、自分の顔のことに関しては鏡と自分の写真さえ避ければ忘れて振舞うことができました。爽やかな笑顔だと言われて嬉しかった日もありました。ですが自分の笑顔を見て醜いと思うこと、それを自分の顔だと思うことが未だにぼくは怖いです。
すでに同じ感情を他人に対して抱いてしまっているから。このままではいつか誰かを傷つけてしまうのでは、すでに傷つけたかもしれないという不安があります。

本当に少し前までは自他問わず醜いものを見下していました。もちろん顔のことを言われて傷つく苦しみはわかるので口に出すことは少なかったと思いますが、それでもその場の空気でブスに通じる言葉を言ってきた全ての人たち、本当に申し訳ない。そんな心ない言葉にぼく自身が人生を歪められてきたのにな。自分のことを言われて気にしていたのと同じくらい他人のソレを醜く思いながらも自らを律し振舞っていました。自分の顔の要素がこういう思考を作ったのだと、顔の要素のせいにすれば楽だと思っていました。

同じように悩んでいてもっと度合いが強いと醜形恐怖症と診断されるようです。整形を繰り返す患者がこれに陥っているケースが少なからずあるようです。ヘルタースケルターとか有名ですよね。
醜形恐怖症という障害は抗うつ剤を投薬して治療する立派な病気ですが、もちろん精神のことなので、人によっては環境や考え方で乗り越えていけるものであるとは思います。

少し前にInstagramに証明写真をアップロードしたのはそのリハビリでした。
目の見開きは不自然だし顎は目立たないよう前に突き出していますが、醜かろうとも他人が見ている自分はこれなのだから、この顔のせいで得られない恩恵があったとしても、なんらかの形で受け入れなくてはならない、という意思というか諦めがあります。
自他問わず人の顔を醜く思い本質を見ていない心こそが醜いと何人にも言われパッとしなかったのですが今ならその意味を実感できるような気がしています。まあ大抵ブサイクって人に言ってる人が自分を守るために言っていた言葉だったからだと思いますが、、

とは言っても変わらずヒゲも剃るし髪も最近はミディアムボブがかっこいいと思って伸ばそうとしてるところです。。なってみたい自分になろうと努めること自体は別に無理のない範囲で好きにしたら?って感じなので。自他ともに。
最終的な願いはなるべく早く自分の笑顔を許せる心を持てたらいいなぁということです。
知ってますか?ここでアドラー心理学の自己受容に通じるんです。世界はつながっているんだよなぁ。

ということでした。

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