考えていること

人に会わない時間が多いぶん、思考が巡るのは人間の摂理なのかもしれないし、常に哲学的にものごとを捉えてしまう私の考え方が起因しているのかもしれないし、はたまたどっちもだったりもするけど、、、
とにかく毎日考えてる。いや考えてるのいつものことなんですが。。。

テラスハウスの件もしかり、今アメリカで起きているデモ、香港と中国の問題、自粛生活によって巻き起こる論争。
全て無関係な人はいないし、こういう問題の原因に誰もが少なからず関わってると思います。
直接的な要因にはなっていないとしても、一角、一滴にはなっているんだと。
(この話は作家の朝井リョウさんがラジオで話していて、強く共感しました。。。)

私たちは、誰かを亡くしたり、失わないと気づかない。いや、失ってもさえ気づかない。一時は、覚えていてもすこししたら忘れる。
それが悪いことではないですよね。私たちの日常は続くから。私たちの生活は続くから。
考えなくたって生きていけますしね。
それは、それでいいと思います。人の苦しみや悩みは、相対的に比べられるものではないから。

人種差別について、、、
27年間生きてきたなかでのたった1年だけど、海外で生活した経験から今思うことを書きます。
私は、差別されたなって明確に感じたことは記憶の限りなかった、と思います。
でも、それは私が言葉を100%理解できていないことで何か言われていても気づかなかったり、バンクーバーはとにかく様々バックグラウンドやルーツをもった人たちが住んでいる国ということもあって、外国人に寛容な街だったからだと思っています。

ただそんな私も逆差別の意識が働いてしまうことは多々ありました。
白人と呼ばれるカナダ人と接するとき私は怯えてました。それは、潜在意識のなかで感じていた白人の英語が正しい英語であり、そんな彼らの前で砕けた、発音がパーフェクトではない英語を話したらどう思われるんだろうかということ。
それも一種の差別ですよね。彼らが本当はどう考えてるのかなんて、わからないのに。勝手に私が壁をつくって、心にシールドをまとってしまっていました。

日本は、圧倒的に日本人が多い。それでも、さまざまなかたちの差別が存在しています。
それぞれの人種について、私たちが抱いているステレオタイプのようなものだって、差別につながります。

Black lives matterのハッシュタグは、彼らの意見を表すために使われているきいたので、ここでは使いませんが、心の底からアフリカ系アメリカ人に対する構造的な差別がなくることを願うし、私はずっと考え続けていきます。

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