見出し画像

『体育教師を志す若者たちへ』後記編11        バレーボールの教材価値再考

「ミスを怒っていたら、バレーボールの指導者にはなれない」

 日本バレーボール協会の川合俊一会長が最近興味深い発言をしています。指導者による体罰など、不祥事が続く現在のバレーボール界。「指導ですか?暴力ですか?」のキャッチフレーズで日本バレーボール協会は今年の3月、「暴力撤廃アクション」をスタートさせました。その中で、暴力と指導の間にあり、明らかな暴力や暴言でない言動を「未暴力」と位置付けました。未暴力は、何かのきっかけで明らかな暴力に変化してしまう可能性もあるとしています。
 川合会長は「バレーボールではミスするのが当たり前」という認識を指導者が持つことが必要だと訴えます。バレーボールは、アタックが外れたり、レシーブでボールをうまく拾えなかったりした瞬間に失点となります。こうした競技特性上、ひとつのミスが試合に与える影響が大きく、ミスしないことが重要視されます。このことからミスに対する注意や指導が行き過ぎた先に、「未暴力」や暴言、暴力が起きてしまう恐れがあると川合会長は指摘します。

 そして川合会長の興味深い発言というのは、バレーボールというスポーツの特性のとらえ方です。川合さんは言います。「バレーボールはミスの連続のスポーツで、誰かがミスしないと点数が入りません。指導者はミスをいちいち怒っていたら成り立たない。『またミスった』『またミスった』そんなことを言っていたら、ずっと怒らないといけません」。指導普及委員会など指導者が集まる場で、こう繰り返し伝えているといいます。「なるべくミスしないほうが勝てるのだったら、どういう風にすればミスが起きないのか、ミスをしない技術があるのかを勉強して教えるのがこれからの指導者です」。「ミスを怒るのではなく、ミスしない方法を教える。バレーボールやスポーツの指導はそういうものだとシフトしていかないといけません」と。 

  授業でバレーボール教材を選択する視点になる考え方

 このことは、『体育教師を志す若者たちへ』、第2章の「3 バレーボール」および題6章の「教材化と教育課程の編成」で私が述べたことと繫がっていて共感を覚えました。近年体育の授業研究においては、バレーボールの特質として、「コンビネーションによるアタック(ネット際の攻防)」が大事なのか、「落とさずつなぐバレー」が大事なのかが論議されています。その議論の際に気をつけたいのは、前者の「ネット際の攻防」に関わる戦術が大事な学習内容だとして、バレー、テニス、卓球、バドミントン、プレルボール・・・等の学習内容を「ネット型」としてひとくくりにして扱っているという問題があります。「ネット型」の球技を全て「ネット際の攻防が大事」とひとくくりで考えてしまうと、バレーボールではボールを「はじいて、つなぐ」難しさがあって攻防の戦術を学ばせることは無理だから、ワンバウンドやホールディングを許可するなどの教材化が必要であるという考え方になっていきます。あるいは中学校では「はじいて、つなぐ」バレーは無理だとして、バレーをやめて「ネット際の攻防」が学べるアタックプレルボールにしたり、バレーボール型は無理だからテニスなどの別のネット型球技にすればよいとしている学校もあります。果たしてバレーボールの特質を「ネット際の攻防の面白さ」が主要ととらえていいのでしょうか。

 これに対してバレーボールには別の特質もあるということを川合会長が述べていることになります。それは、「ミスによって得点が加算されていく、ミスがなければ試合が進まない」という特質です。しかもバレーボールではそのミスをチームとしてどう受け止めて試合を進めていくかということが大事になってきます。バレーボールではそうした特質を大事に考えたいということです。その学習は「はじいて、つなぐ」というミスの起こりがちなバレーだからこそできるものです。私はそのことを『体育教師を志す若者たちへ』の第6章、バレーボールの項で次のように書いていました。

「次の理由として、ネット型の球技の得点様式がある。特に落とさずにはじくという難しさを持ったバレーでは、ミスによって得点が加算されていく。25点対23点で勝ったということは、相手チームのミスが25回、自チームのミスが23回だったということになる。相手チームよりもミスが少なかったチームを勝ちとしているにすぎない。ミスがなければ試合は進まず、ミスすることが当たり前の球技なのだと言える。これはゴール型の球技とは大きく異なる得点様式であり、試合の最後は必ず誰かのミスによって終わる。特にバレーボールのようなチームによるネット型の球技では、その誰かのミスをチームとしてどう受け止めるのかということが問題になる。
 オリンピックのメダルをかけた決勝戦でも、最後には誰かがミスをして終わる。しかしそのとき、そのミスをした人を責めるようなことは当然しない。ところが中学生のバレーの授業ではミスした人を責めることになりがちだ。バレーとはそういうものではないということを学ばせる必要があり、そこに価値を見い出したいと考えている。」
                  (第6章 3 バレーボールより)

 バレーボールのこの特質を大事に考えて学習させたいと考えるのなら、それはワンバウンドやホールディングを認めて意識をネット際の攻防・作戦に持っていってしまっては学習が効果的に進みません。自コート内でのミスが必要なのです。「はじいて、つなぐ」際にミスをなくすためにはどうしたらよいかということを中心に学習を進める必要があります。バレーボールの特質をどう考えるか、何を大事に子どもたちに学習させたいのかによって教材化が変わってきます。

 中学1年生の4人制バレーボール。パスを受けようとする人に対して、残りの3人がパスミスを予想してカバーの準備をします。「ミスしてゴメン」が「カバーできなくてゴメン」、そして「ドンマ イ」へと繫がっていきます。カバーできたときのチームの喜びは最高です。                                        

 今回紹介した川合会長の発言は、指導者に対して選手のミスをどう受け止めるべきかということですが、このことはチーム内の選手どうしが仲間のミスをどう受け止めるかということにも通じていくと考えられます。現代のスポーツ界では、プレー上のミスに関わって指導者と選手間に人権に関わる問題が起きています。そしてまた子どもたちの日々のスポーツ活動やスポーツ遊びにおいても、仲間同士のミスの扱いや能力差が人権に関わる問題になってきています。そうした状況において、プレーの中で起こりがちなミスをどうとらえ、チームとしてどう攻撃に繋げてプレーを楽しんでいくか、それは、「はじいて、つないぐ」バレーだからこそ学習できると考えることができます。
 現代の子どもたちの日常生活においても、他人の失敗や性格の違いなどが、からかいやいじめのきっかけになりがちです。バレーボールの特質をこうした考え方で教材化していくことにより、子どもたちの日常生活における人間関係までもよりよい方向へ導いていける可能性があるのではないかと考えています。

 学習指導要領にあるからとか、ネット型球技の特質はこうだからと決めつけて教材選択していくのではなく、子どもたちのスポーツに対する見方や育ちの実態から身につけさせたい学力や学習内容を考え、ネット型球技をどう教材化したらよいのか考えていきたいものです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?