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これまでの趣味と筆を折った話、好きなことが分からなくなってしまった話

私は趣味が多い人間だったと思っている。
「だった」というのも、現在はタイトルの通りよく分からないのである。


子供の頃から習い事を含めいろいろな事をやってきた。
長くなるけれど、自分でも振り返ってみたいのでまずはそれを書いてみようと思う。

ピアノ、新体操、茶道と華道。ピアノと茶道については10年以上やった。

小説や詩を書いた事もあったし、本はそこそこ読んだ。
パソコンで自分のサイトを作る経験は中学生の頃にしていて、小説をそこで公開するなどしていた。ありがちな話だが、黒歴史とは思っていない。

中学三年生では初めて曲を作り、卒業生が歌う曲として選ばれたことがある。(※1番→2番→Cメロ→ラスサビの形式で伴奏まで作っていた&作曲ソフトを使っていて聴きやすかったのが私の曲しかなかったからかもしれない)
しかし作曲は面倒になって後々は殆どやらなかった。

手芸は粘土細工、レジン、羊毛フェルト、服作り、編み物、ワイヤークラフト、タティングレースなど多分かなりの種類に手を出した。

何万円もするドールを数体可愛がっていた事もある。
素体にメイクしてみたり服やアイを作ってみたり。
ミラーレス一眼とミシンはドールの為に買った。
今使っている、家に眠っていたカメラというのはそれだ。

精油好きからアロマクラフトにハマり、ハンドクリームやリップクリームなどを作っていた時期もあった。
アロマテラピー検定は2級だけとって終わった。

友人に誘われたFF14は三年半以上、今もやっている。一時期はスクリーンショットの加工にハマって毎朝投稿していた。

天然石集めと占いは、波があるものの子供の頃から今までずっと続いている。これは趣味と言えるようなそうでないような、そんなものである。
ワイヤークラフトは石好きがきっかけだった。
占いは西洋占星術とカードリーディングが一番馴染み深いけれど、様々なものに触れはした。カードデッキはここ一年ほどで一気に増え、多分30種類くらい持っている。

他にも色々とやったが、あまりにも長くなりすぎるので割愛する。



私のこれまでの趣味を語る上で絶対に外せないだろうと思うのは絵だ。
小学生の頃に初めて少女漫画を読み、そのきらきらした絵に憧れ、こういうものが描けるようになりたいと思った。
休み時間はもちろん、授業中もこっそり描いていた。
高校生の頃には友人に誘われて同人誌を出した。
大学生の頃にイラストレーターになってみたくなり、地力を上げようと最低限一日一枚スケッチブックに絵を描く事を二年以上続けた。

しかし一度ここで終わる。おそらくスランプから抜け出せなくなった。
描きたいものが何もなくなってしまったのだ。
今となっては元々あったのかどうかも分からない。
数年筆を置いた。その間にも様々な趣味をやっていた。

何がきっかけだっただろうか。また絵を描いてみたくなった。
ブランクで腕が落ちた事の他、筆を置いている間に絵柄のトレンドはすっかり変わっており、それを修正しなければならなかった。
一時期本格的に絵を勉強していたという親友のスパルタを受けながら、あの手この手で修行をした。
イラストレーターとしての選択肢があまりなかった以前とは違い、今は副業にするくらいならかなり気軽にできるというある種の皮算用もあった。

一年以上それを続けた。
かけている時間の割に一向に上達しない。絵柄も定まらない。
それ以前に、私には描きたいものがなかった。
描きたいほどの情熱を向けられるようなキャラクターもシチュエーションもそれほどなかった。
だから何かを描き始める時には大抵、親友からお題をもらっていた。

かつてイラストレーターになりたいと思っていた頃、父に言われてショックを受けた言葉がある。
「お前の絵には魅力がないなぁ」
改めて学び直してもそれは変わらなかった。私の絵には一切の魅力が感じられないまま。
キャラクターへの愛がないのが大きな理由だと思っている。

描き続けているうちに浮かんだのが、私は本当に絵を描く事が好きなのかという疑問だった。
確実に少しは上手くなるであろう方法を知っていたのに、どうしても続かなかった、試せなかった。
そもそも私は絵が好きなのか。それすら怪しいところだった。
他の人の絵にたいして興味が湧かない。良いと思う絵はそれなりにあったけれど、それだけなのだ。
興味が湧かないから、何が、どこが良いのか、細かく分析する事もまるでできなかった。
良いと思う絵の絵柄もてんでばらばらで、それも分析できなかった理由の一つだったとは思う。
それどころか私はどうやら絵を見る目もなかったらしい。
長年描いていたくせに、一定のレベルを超えたものは上手い絵とそうでない絵の区別もあまりつかなかった。
時間をかけただけあって少しくらいは描けるようになっていたものの、あまりの目の肥えなさに絶望し、将来性がないと確信したのである。

好きなら下手でも続ければ良かった。
でも私は、絵を描く事が好きではないと気付いてしまった。
好きなようにお金を使えない子供にでもできる自由な趣味がこれだった、かつ華やかで分かりやすく称賛されそうというだけで続けていたのだと今では思っている。
気付くまでに私はあまりに長い時間をかけた。
X(Twitter)などで投稿していたけれど、もちろん伸びなかった。
つまり需要もなかった。
もう描く理由はどこにもない。

そして私は、筆を折る事となった。



絵に対してあれこれと悩んでいる間に気付いた。
私は今まで殆どの趣味を褒められるためにやっていたのだなという事。
どうやら私はそこそこ器用であるらしく、気になった大抵の事はすぐにある程度のところまでできていたようだ。素人にしてはという注釈つきで。
しかしそれ以上の努力や苦労はしたくないという身勝手さがあった。
だからたくさんの趣味をやってきた割にはどれも中途半端で何もできない、空っぽな人間ができあがっていたのだった。

今、私は何が好きなのか分からなくなっている。
どれもこれも人に見せる為にやっていただけで、ではそれが無くなった時に私は何をするのか。
ずっと人の目を意識して行動し続けていた事に、今更気付いてしまった。

誰に見せずとも続いていると言えるのは占いくらいだ。しかしこれはごちゃごちゃとしがちな私の思考を整理するツールとしての役割が強い。
子供の頃から自然とそばにあったというだけで、好きだと言えるかどうかは正直なところ自信がない。

純粋に楽しいと思える事が、無くなっている。


カメラは元々処分しようと思っていたところだったけれど、Googleのおすすめに何故か出てきた書籍がきっかけでまた手に取る事となった。
絵を描かなくなり空いた所にするりと入ってきた感覚だった。
家にこもりがちな私が外に出るようになったと家族は喜んでいる。
たしかに私だって少しでも歩くようになったのは健康に良いと思う。
カメラを通して新たな発見があったのも良い。
ただ、絵を描いていた頃と同じく今のところ表現したいものはない。気になったものを撮るだけだ。
そしてどうせ撮るなら綺麗な写真が欲しい。
他の人が気に入ってくれたら嬉しい。
……また人の目を気にしている。自分のペースでやる事が大切だと分かってはいるけれど。

カメラは、撮る人を写しているらしい。
私の撮る写真にも、いつか私が写る日が来るのだろうか。
写真は好きになれるのだろうか。



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