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小説に求めるもの 過去日記 2015

今日も今日とて雨が降る

悪しき習慣だと思いつつ 朝方まで

映画を観たり電子書籍を読んだりした


パイナップルやオレンジで

デトックスウォーターを沢山仕込んだ

まぁ  言うてしまえば

果物水だ

パンケーキも焼いた


ほとりの朔子

これにも大賀が出ていた

この人  スクリーンより実物の方が

かっこいい気がする


あと  戦う女第3話がツボ過ぎて

また観てしまった

岸井ゆきのちゃんの演技だけでなく

二人の暮らす部屋や台所の空気感が

たまらない

青白いカーテン越しの仄暗い

その感じ

ちょっとジョゼと虎と魚たちにも通じるような


センチメンタルブルーグレイ

とでも名づけよう


本は川上弘美の短編と

押し入れの虫干し


高山さんは好きだけど

時々 幼い女の子の持つ性の暗喩的な表現が

息苦しい

高山さんに限らず小説に虫や身体の臓器や

四肢などをそうやって暗喩的に用いたものを

よく見るけど

それをしないで物語を紡いで欲しい

そんな物語を読みたい


小説は五感に働きかけるものだから

確かに

身体のパーツや自然界の生き物を

登場させることで

それを表現しやすい

だからこそ

それらに頼らない、新しさと切り口の表現というものを希求したくなる

身体や虫が出てくるのを読む度に

またか

という既視感が拭えない

映画のキャッチコピーに愛と再生という

言葉が頻繁に使われているのと同じような

がっかり感


それとは別に

何度見ても何度食べても良いという類のものもある


世界が奇天烈だらけでも困る


食べてすぐに

くうくう眠る彼の姿は 何度見ててもいい

やれやれと思いながら

何度もその姿にカメラを向けている


カメラロールに金太郎飴の如く

同じような写真が増えてゆく


愛って

多分 こういうことだ



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