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ロートル殺人鬼、マスクを力ずくで奪われる(レビュー:『ハロウィン THE END』)

オススメ度:★★★☆☆

殺人鬼ブギーマンが再びハドンフィールドを恐怖に陥れた事件から4年、マイケルの凶刃から生き延びたローリー・ストロードは孫娘のアリソンと暮らしながら回顧録を執筆し、40年以上にわたりマイケルに囚われ続けた人生を解放しようとしていた。しかし、暗い過去をもつ青年コーリーが、4年間、忽然と姿を消していたマイケルと遭遇したことをきっかけに、新たな恐怖が連鎖し始める。ついにローリーは、長年の因縁に決着をつけるべく、マイケルと最後の対峙を決意する──!!

 まず断っておくと、私は『ハロウィン』シリーズは初代しか見たことがなく、それもかなり昔なので記憶がおぼろげである。それで本作は「完結編」だ。それをほぼ初見の人間が見たに近い状況である……。

 だが、『ハロウィン』を見たことがなくても、マイケル・マイヤーズ(ブギーマン)というホラー映画のアイコン的殺人鬼が活躍(?)する映画ということは、(私の映画レビューを見に来ているような皆さんなら)おそらくご存じかと思う。さて、本作もマイケルが活躍する話と言えばそうなのだが、本作では「代替わり」が発生している。これが本作の評価を難しくしているのだが……。

 冒頭、「ハロウィンの夜にマイケルに襲われる子供」という、ある意味テンプレ的な導入から始まる本作だが、それは実は子供のいたずらであった。ベビーシッターの青年、コーリーが慌てた結果、その子供を事故死させてしまう。マイケル不在にも関わらず発生した子供の死と、コーリーを責める町民たちの態度が本作の惨劇を生むこととなる。アメリカのクソ田舎町のカス民度が生み出した惨劇ということで、ある種の因習村ホラーといった趣もある。

 ネタバレになるが、本作ではこのコーリーが二代目「マイケル・マイヤーズ」となるのだ。町民の攻撃的態度に晒された鬱屈から、最終的には自分をバカにした相手を皆殺しの勢いで襲いかかるコーリーはまるで「津山三十人殺し」を彷彿とさせる。コーリーが悪へと落ちていく姿には暗黒青春劇といった趣がある。ここのドラマ性が本作の核であろう。

 ……のだが、一方でキャラクターの感情描写は成功しているとは言い難い。核となるであろういくつかのポイントに視聴者が共感できないまま話が進んでいくのだ。

 例えば、本作ではヒロインであるアリソンとコーリーが恋仲に陥るのだが、どう見ても「冴えない陰キャ(過去の事件付き)」であるコーリーに、アリソンが積極的に接していく姿がまず理解できない。

 理屈としては、アリソンもまた「ブギーマンのサバイバー」として町民からの奇異の視線に晒されており、同様の境遇にあるコーリーに親近感を抱いた……ということなのだが、前作を見ていないせいか、ここが分からない。アリソンが抱く唐突な好意に「なにか裏があるのか?」と勘ぐりながら見てしまう。

 コーリーが虐げられる立場から殺人鬼へと変貌する過程もあやふやだ。不良少年たちからリンチを受けて死にかけた後、コーリーは身を隠していたマイケル・マイヤーズと遭遇する。マイケルの手から逃げ延びた(?)時に、「マイケルの悪意に魅入られた」……といった感じなのだろうか?? よく分からないが、そこからじょじょにコーリーは鬱屈した感情を他者への攻撃(殺害)として吐き出すようになる。

「コーリーはなぜアリソンから好かれているのか?」
「コーリーはなぜ攻撃衝動を解放したのか」

 そういった核となる部分に対して確信が持てないまま話が進んでいく。そしてそれは、あえて視聴者に伏せていたわけでもなく、単に分かりづらいだけだった。ここはもう少し丁寧に描いて説明して欲しいところだった。

 そして、コーリーとは別に存在するマイケル・マイヤーズも話を拡散させてしまう。本作が仮に「マイケルの過去の事件から影響を受けたコーリーが、鬱屈した感情からマイケルのように町民を殺していった」という話なら非常に分かりやすかったと思う。

 しかし、本作ではコーリーと一緒にマイケルも殺人をするのである。そう、本作はマイケルバディ制度なのだ!

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