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人生ゲーム

“Life is just a game. Otherwise, you cannot explain what life is.”

 大学の授業のことなんて大人になればほとんど忘れてしまうのだが、なぜかイギリス出身の英語教師が授業中に言い放ったこの言葉を俺は今でも憶えている。「人生はただのゲームである。そうでなければ、人生とは何かを説明することはできない。」俺はこの意味がずっと分からないでいた。一度きりしかない人生、大事な人生のはずなのに、その30代の男性は人生なんてゲームだ、と言い切ったのだ。
 彼と同じような歳になった今でも、彼は何を言いたかったんだろう、と考えることが時折ある。彼はよく自分の人生の話を頻繁にする人だった。彼の人生は、決して人生を「ゲーム」だと言い切れるようなお気楽な人生では無かった。授業で聞いただけでも、子供の頃の親からのネグレクト、20歳での親友の死、28歳の時の結婚詐欺。決して人生を楽観視できる状態にはいなかったはずなのだが。
 その教師と久々に再会したのはひょんなことからだった。会社の新入社員歓迎会をやっていた居酒屋に、別の客として日本人男性二人と流暢な日本語で呑んでいる白人の中年がいた。どこかで見たことあるとじっと見ていたら、向こうから日本語で話しかけてきた。
「貴方、なんかどこかで見たことありますね。私の生徒だったりしました?」
そう言われて、あっ、と思い出し、2年生の時に彼の授業を受けていたことを伝えた。そしてすぐさま彼のあの言葉を思い出した。
「やはりそうでしたか。生徒の数が多いので普通は憶えてないんですけどね、君は授業にちゃんと出ていたから憶えていましたよ。あと、ええと・・・」
そう英語教師は少し考えると、思い出したように付け加えた。
「貴方は私の格言に一番怪訝な顔をした記憶があります。」

俺は、格言に怪訝な顔をしたことを謝り、その言葉は今も憶えていると伝えた。
そしたら彼は俺に微笑んでこういった。
「いいんですよ。私はあの反応が見たかったんです。人生はたかだかゲームだ、と言われて真剣に反応して否定しようとしているその目が見たかったんです。
「日本人はあまり質問しませんからね。私は学生の目で授業の良し悪しを判断しないといけないのですが、君はあの時私が望んだ反応をしていました。」
彼はそう言って笑うと
「あの言葉の答えは見つかりましたか?」
と付け加えた。
「いえ、当時の先生の年齢くらいになりましたが、まだあの言葉を理解できていません。あと先生の壮絶な過去を聞いて、そういう経験した人がどうしてLife is just a game.って言えるのか分からないんです。」
先生はそれを聞くと、
「なるほど、その言葉を10年程経った今の貴方に解説したくなりました。では、今日はお互い相手がいるので、また今度一緒に食事でもして、その言葉の真意を解いていきましょう。」
と言って俺と連絡先を交換した。

 2週間後、先生が答え合わせの場に選んだのは、とある高級ホテルの最上階のレストランだった。今までそんなレストランなんて利用したことのなかった俺は、家にある中の一番良いスーツを引っ張り出してきてできる限りの身支度を整えた。だが、ロビーから最上階まで、すれ違う全ての人より自分はみっともない格好をしているのでないかと勘ぐってしまった。「場違い」と言う言葉が頭をよぎる。
 レストランについて先生の苗字を告げると、ウェイトレスは東京の夜景を一望できる窓側の席に俺を案内した。先生は既に席に着いており、僕を見つけるとにこやかに自分のテーブルに招き入れた。
「すみません、なんか場違いな感じがして。僕の格好大丈夫ですかね。あと、今日奢ってくださると仰ってましたがこんな高級レストラン…。すみません…。」
「格好はどんなものでも全く問題ありません。また、このレストランは私が選択しました。君の疑問を解消するにはとっておきの場所だと思ったので。」
そう言って先生はにこやかに笑ったが、僕には先生の言葉の意味が全く分からなかった。
「高橋君、このレストランに入っていい人はどのようにして決まっていますか?」
「・・・予約をした人ではないのですか?」
「予約した人は何をしなくてはいけませんか?」
「お店に来て、食事して・・・、お金を払うことです。」
「正解です。お金を払えば高級レストランと呼ばれるこの眺めの良い場所で食事ができるわけです。では、そのお金は誰が作りましたか?」
「・・・昔の人間ですか?」
「はい。人間が勝手に作り出したものです。厳密にいえばお金だけでなく、この建物も、お皿も、夜景も、ドレスコードも、マナーも、みんな人間が作り出したものです。自然界がもたらしたものは、これから来るお皿に乗った食べ物だけなんです。・・・それも人間がかなり手を加えていますけどね。」
僕はおそらくキョトンとした顔をしていたが、先生はそのまま続けた。
「ちなみに、このフロアの中で、我々が生きていくために必要不可欠な行動は、食事と排泄です。それ以外は全て、我々の人生に無くてもいいものなのです。」
はぁ、と相槌を打つことしかできなかった。僕はそんな考え方を人生で初めて聞いたし、それをどう解釈していいのかが分からなかった。
先生は少し間をあけてから、問題を提起してきた。
「もし今、世の中の人が持っている全てのお金の価値をゼロにしたら、明日君はどうやって明日のご飯を手に入れますか?」
先生は、僕の答えを待った。
「・・・農家さんのところに行って、食べ物をいただきにいきます。」
「では、何故農家さんは、お金の価値が無くなった社会で貴方に食べ物を渡すのでしょう?」
僕は訳が分からなくなり、黙り込んでしまった。

「お金は誰が作り出したのでしょう。」
彼が続けたその言葉が、その後一時の間僕の頭の中でこだました。

「私は、農業・畜産業従事者以外の人間、つまり『自らの力で食料を生産している方』以外の方々は、みんな人間が作り出したおとぎ話の中、言い換えるとゲームの中にいると思っています。
貴方の学歴も貴方のその綺麗なスーツも、このレストランの華やかさもルールやマナーも、我々の生きる世の中で起きている出来事もイザコザも、直接的には食べ物を提供しません。人間社会を一言でいうと、何かの行為を行なってそれが世の中で価値があると認められた時に、社会から食べ物を得る権利を提供される。世の中はそれくらいシンプルです。」

 先生は間をあけてから最後に言葉を添えた。

「ね?人生なんてゲームみたいなもんでしょ?」

 僕は今までそんな考え方をしたことがなかった。先生のその言葉を聞いて、学歴を得て良い仕事に就くことやルールやマナーを守ることに異様に執着していた自分の人生を振り返り、背筋の凍る思いでその思い出を反芻することしかできなかった。

「私の人生が波乱万丈だったことは授業で述べたので覚えているかもしれません。でもね、それらの経験は決して無駄になっていない。それらを経験してから、人生なんてゲームだ、暇つぶしだ、って思えたら、どんな生き方でもいいから自分の好きなように生きてみようと思えたのです。だから私は、亡くなった親友が大好きだった日本に来てみようと思うこともできました。」

 先生との話はかなり頭を使ったが、とても楽しく有意義だった。僕の人生でも久々にこんなにドキドキする話をしたような気がする。お会計を先生が済ましてくれたので、感謝の言葉を述べると「これはゲームですから。」といたずらに微笑んだ。ホテルを出た後、「また飲みましょう。」と言った白人の大男の先生の背中は、僕の学生の頃の記憶より、大きくなっていた気がした。

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