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翻訳できない言葉と歌

【コモレビ】
【ボケット】
【ワビサビ】
【ツンドク】

こうして並べて眺めてみると、何やら不思議なようですが、皆れっきとした日本語です。
しかも現役で使われている言葉ばかりで、もしかしたら、つい今しがた口にしたところだ、というものさえあるかもしれません。

けれどもそれは日本語を母語とする人か、かなり日本語に精通した人に限られます。


なぜなら私たちは【コモレビ──木漏れ日】で、すぐに葉っぱの間から透けるきらきらした光をイメージできますが、この言葉を知らない外国の人たちには、一から詳しい説明をしなければならないからです。

「あのね、ここに一本の木があるとするでしょう。その木には緑の葉がたくさんついていて、天気のいい晴れた日に…」

【コモレビ】について語るには、まだまだ言葉数が必要です。
たった四つの音が並んだだけで、これほど膨大な情報とイメージが表現され得ることに、あらためて驚かされます。


【コモレビ】を含め、最初にご紹介した四つの言葉は、全てエラ・フランシス・サンダースの本『翻訳できない世界のことば』で取り上げられているものです。

世界中からたくさんの“翻訳できない”美しい言葉を集めたこの本は、日本でもずいぶん話題になったため、ご存知の方も多いかもしれません。

世界中の言葉を厳選した中で日本語が4つも選ばれているのは、誇らしいような嬉しいような気持ちですが、それほどに複雑なニュアンスに富んだ言葉を使っているのだと考えると、もっと言葉への感受性を磨かなければ、という思いも湧いてきます。



「これは何て言ったらいいのか……きっと翻訳しきれない曲なんです。【Les dessous chics】という言葉自体に、色んなイメージが入っているから」

かつて
「あなたがご自分の曲のうち最も好きな作品は?」
という質問に、ジェーン・バーキンがこう断りつつあげたのが〈Les dessous chicsレ・ドゥス・シック〉という一曲です。


ジェーン・バーキンは先月に亡くなったばかりの女優であり、夫セルジュ・ゲンズブールのプロデュースによって、歌手としても多くの曲をリリースしました。

私はかつて『天才と人生と得手不得手』というタイトルでゲンズブールについて書いたことがありますが、この人はまごうことなき天才であり、他人の才能を見抜く目もまた、卓越したものを持っています。

ジェーンについても彼女の長所と持ち味を完璧に理解し、キャリアの代表となるような作品を次々と生み出しました。

特に自身が作詞作曲し、共に歌った
Je t'aime moi non plusジュテーム・モワ・ノン・プリュ』は、あまりの“過激さと不道徳さ”ゆえに、あらゆる国や放送局で放送禁止となるなど、世界中で一大センセーションを巻き起こしたほどです。


そのゲンズブールがジェーンをイメージして作ったのが『Les dessous chicsレ・ドゥス・シック』であり、この曲は彼らしい言葉と音の遊びに満ちています。

フランスを代表する有名人でありつつ、実はイギリス人であったジェーン同様、ゲンズブールもロシア人であり、フランス語は母語ではありません。
そのため彼のフランス語は、時に不自然で文法的に破綻しており、その微かな違和感がまた、何とも言えない面白さ、味わい深さを醸しています。


この曲も、タイトルからフランス語としては型破りなため、日本語に移し替えることが難しく、〈Les dessous〉は複数形で〈(女性の)下着〉、〈chic〉は〈粋な、垢抜けた〉となるため、無理に訳すと〈シックな下着〉といったところですが、これでは重要な意味が落ちています。

歌詞の危うい美とセクシャルな魅力、韻を踏んだ言葉遊びの連続も、“翻訳できないことば”なのが残念です。


その歌詞で描かれるのは、下着と心という、どちらもめったに人目に触れず、つまびらかにされないものについてであり、ふたつが互いに絡み合い、暗喩で物語が語られます。

AメロとBメロを淡々と繰り返しつつ、展開する歌詞の一部はこんな具合です。


Les dessous chics 
C´est ne rien dévoiler du tout
se dire que lorsqu´on est à bout 
c´est tabou

シックな下着
それは何ひとつ露わにしないもの
きわどいところでささやくもの
それはタブーだと

Les dessous chics
C´est se garder au fond de soi
fragile comme un bas de soie

シックな下着
それは胸の奥底に
絹のストッキングの弱さをまとうこと


ゲンズブールが自分のために書いたこの曲を、彼女はことさら愛し、離婚後や彼の死後にも歌い継ぎました。


彼女は歌手や女優として以上に、エルメスのバッグ〈バーキン〉や、ファッションアイコンとしても有名でしたが、その“名声”を、生涯に渡る人道支援活動に最大限に活用してもいます。

高価な〈バーキン〉の目立つ位置に〈国境なき医師団〉や〈フリーチベット〉のステッカーを貼り、国連本部や難民支援の国際会議の場でスピーチを行いつつ『Les dessous chicsレ・ドゥス・シック』を含む曲を歌い、実際に現地入りしてメディアや人々の関心を集めるなどの方法です。

東日本大震災の折も、復興支援と世界への情報発信のため、彼女はいち早く来日した外国人アーティストでした。


その人もこの世を去り、今はその歌声と、数限りない映像やイメージだけが残されています。

彼女のファンである私は、こんな時の言葉を考えあぐねているため、かつてエリザベス・テイラーオードリー・ヘプバーンに捧げた、素晴らしい弔辞の言葉を借りておきたいと思います。

彼女は気品と、これ以上ないほどの魅力を備えた女性でした。
神様は、最も美しい天使を天国にお迎えになったのです


  

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