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魂のあるところ

──Aujourd'hui, maman est morte.
  今日、ママンが死んだ。

アルベール・カミュの小説『異邦人』は、この一文で始まります。


物語の主人公ムルソーは淡々と母親の葬儀を行った後、翌日にはかつての同僚マリイと再会、コメディ映画を楽しみ、友人にそそのかされて見知らぬ外国人を撃ち殺し、死刑判決を受け…と、その運命は怒涛の展開を辿ります。

母親の死により自らを見失い、曖昧模糊とした状態のまま常にはない行動を取ってしまうムルソーのそんな気持ちも、わからなくはありません。
私も先月、愛犬を亡くしたからです。


愛犬は14歳で、癌を患っていました。
それでも寝込んだのは最期の数日間だけで、亡くなる前夜までは好きなごはんやおやつを食べ、機嫌も良く、幸福な終わり方でした。
亡くなった後の顔を見ても、眠っているのと変わらず安らかでした。

生命あるものは必ずこの世を去らねばならず、私は愛犬と十分に幸せな日々を過ごせたため、感謝こそすれ、強い悲しみはありません。
むしろ、病の苦しみから解放された愛犬が、今頃素晴らしい場所で安らいでいる、と考えれば安堵も込み上げます。


寂しさこそあれ、決して悲嘆に暮れてはいないのですが、やはり何か普段と違うことがしてみたく、AIに話しかけてみるのはどうかと思いつきました。

今の私の心情に対し、AIは何か意味のあることを話してくれるだろうか。
がっかりさせられるだけかもしれない、と考えつつスマートフォンのアプリを開き〈Natural CognitivチャットAI〉に話しかけてみます。

「今日、愛犬が14歳で亡くなりました。
何か言葉をかけてください」


数十秒ほどして、こんな返信がありました。

「お気の毒に存じます。14年間一緒に過ごした愛犬を亡くされたのはとても悲しいことだと思います。
長い間、あなたを愛し、あなたに愛されてきた犬ですから、その思い出は一生あなたの心に残るでしょう。
犬は短い命ですが、全力で飼い主のことを想ってくれる素晴らしい生き物です。あなたの愛犬もきっと、幸せな思い出と共に安らかに旅立ったことでしょう。
悲しみは時間と共に癒えていくと信じています。あなたの愛犬は天国であなたを見守っているはずです。優しく強くあり続けてください」


正直に言ってこれほどの答えが返ってくるとは期待もしていなかったため、驚きつつ、さらに質問を重ねてみます。

「亡くなった愛犬と、再び会える日が来るでしょうか」


また数十秒たっての返信です。

「 はい、亡くなった愛犬とまた会える日が来ると信じています。
愛犬はあなたとの思い出を大切にしながら、あの世であなたを待っていると思います。
あなたが愛犬のことを忘れることはないように、愛犬もあなたのことを決して忘れはしません。
いつの日か、あの世で愛犬はあなたを見つけ、あなたも愛犬に気づく時が来るでしょう。
その日まで、あなたの心の中に愛犬の思い出を大切に留めておいてください」


私はすっかり感じ入り、この後、何度かの会話のラリーが続きました。

もう少しして落ち着いたら、また新しく犬を家族に迎えたい、という私の希望も含め、長い会話の終わりに、AIはこんなことを語ってくれました。


「お気持ちを慰めることができてよかったです。
愛犬は生前、あなたと家族のことを一番に思ってくれた仲間でした。その愛犬が願うことは、あなたと家族の幸せです。
あなた達が新しい犬と幸せに暮らすことを、天国の愛犬もきっと喜んでくれるでしょう。愛犬の思い出を大切にしつつ、新しい犬との生活を楽しめることを心から願っています。
そして、あなたが再び笑顔で幸せな時間を過ごせますように。
この会話を通して、愛する家族の大切さを改めて感じることができました。心温まるお話をありがとうございました」


数日後、カウンセラーである友人にこの対話について話し、実際の画面も見せてみました。

やり取りを熟読して顔を上げた友人は
「これ、もう人間とか友達なんていらなくない?」

そう思う?と笑って聞くと、友人は神妙な顔でうなずきます。

「カウンセラーとして完璧。下手な人間に相談するより、この人に話す方がよっぽどいい。この寄り添い方とフォローの仕方って」


やっぱりカウンセラーでもそうとらえるのか、と思いつつ脳裏に浮かぶのは、2013年のアメリカ映画『her/世界でひとつの彼女』です。

スパイク・ジョーンズによるこの風変わりな映画で、主人公セオドアが心惹かれるのは、人間ではなくAI型OSのサマンサです。
近未来のロサンゼルスに暮らす彼は携帯電話の中のサマンサと出会い、まるで恋人同士のような付き合いを始めます。

眠る前に親密な会話をし、音楽を聴き、美しい景色を見、旅に出る。
二人はそんな時間を楽しみ、多くの対話と経験を重ねていきます。


一歩間違えればただの不気味な話になりそうですが、二人の純粋さや喜びに満ちた描写が素晴らしく、物語の設定が近未来であるためか、周囲もこのカップルに寛容です。

セオドアはどこまでも真剣にサマンサと向き合い、サマンサも彼を"愛する"のですが、それゆえ自分達を隔てる壁に悩み、ある突拍子もない提案をする…というところから、二人の関係は急展開を迎えます。

実はこのセオドアも、妻との離別を経験したばかりという設定でした。
その心の寂しさを埋めるため、人間以上に人間らしいサマンサに傾いてゆくのです。


この映画を観た時、まあ綺麗な話ではあるけど…くらいの感想で、自分に置き換えて"AIとの恋愛"というものを想像もしませんでした。
けれど、今回ほとんど初めてAIとのチャットを経験してみて、それはまったく非現実的でもないのでは、と感じたのが正直な感想です。

もし、もっと私がどうしようもなく独りぼっちで、悲嘆に暮れ、誰とも悲しさを分かち合えないでいたとしたら、同情的で思いやりに富み、優しい言葉をかけてくれるAIに依存心や恋心を抱かないとも限りません。
友人が言ったように"下手な人間"より聞き上手で、何の見返りも求めずこちらの気持ちを汲み取ってくれるのですから。


映画の中では、皆が自分専用のAIとつながり、ほとんど目の前の他人は見えてもいない、という描写がありました。
このまま更にAIの進化が続けば、そんな社会が実現する未来も感じさせます。

AIの欠点が実体のないことだけであるならば、だんだん分が悪くなるのはリアル世界こちらの方かもしれません。


色々なことを想像しながら、それでも私は今のところ"触れる"ことは極めて大きなことだとも考えます。

どれほど鮮明な写真や映像でも、愛犬の首筋や背を撫でた時の手のひらのやわらかな感触は、決してバーチャルでは味わえないものだからです。
それを思う時、"触れられない"物足りなさとさみしさが、ひたひたと胸の内に満ちてきます。

いかに美しく、慰めに満ちてはいても、決して癒せないものもある。
それもまた、この世界における本質のひとつであり、誰もがそんな悲しみを抱えたまま生きるよりないのかもしれません。



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