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鳥獣戯画のごとき犬

獣がいなければ人は何とする。
もしこの世から動物たちがいなくなれば、魂の深い悲しみから人間は死んでしまうことだろう。

──ネイティブ・アメリカンの言葉


心を健やかに保つために、依存先をいくつも持つこと、できるだけ多くのコミュニティに出入りすること、居心地の良い場所を作ること、などとよく耳にします。

これは難しく考えずとも、たくさんの好きなものや、それを分かち合えるゆるいつながりがあればいい、くらいの話だと思うのですが"犬コミュニティ"はまさにそれにぴったりと当てはまるかもしれません。


"犬は社会性の動物"という説明は、犬たちのことを指すだけでなく、そのパートナーである人間たちのことも含んでいます。
大抵の犬は戸外に出ること、他の犬や人と交流することが好きですし、そのために一緒にいる人間たちも、色々な場所に赴いたり、他の犬や人と接する機会が多くなります。

"共通の趣味である釣りのおかげで大会社の社長と一介の社員が親友になる"という漫画がありましたが、犬が関わると同じようなことが起こります。
ふつう人は相手を社会的な属性で判断しますが、そういった基準がいきなり無効化されてしまうからです。


男子中学生と営業職女性、年金暮らしのご婦人と会社経営の男性社長、介護ヘルパーと水道局職員。
この人たちは私のご近所に住まい、お互いことさらに仲の良い人たちです。

普通ならばまず生まれそうにない組み合わせであり、そこに犬がいなければ、生涯接点もなかったかもしれません。


ところが犬を連れていると毎日のように顔を合わせ、気安く話すようになるのですから、まさに犬は社会化の…と感じます。

私が知り合った中で最高のお二人は、犬のおかげで顔見知りになり、最後には結婚までたどり着きました。今は数頭の犬に小さな息子さんも加え、楽しげに公園を歩いています。

人の人生も左右する、犬の縁結びの力は相当です。


私も去年の暮れに愛犬を亡くすまでは多くの犬仲間がいたのですが、いざ犬が居なくなって散歩に出なくなると、その人たちと顔を合わせることもほとんどなくなりました。
それでもご近所の方などは、立ち寄るお店も同じなため、買い物の折に顔を合わせもします。

先日、そんな具合でお目にかかった薬剤師の男性に、満面の笑みで声をかけられました。
「こんにちは。いま子犬がいるんですよね。元気にしてますか?」


あらゆるコミュニティの鉄則のひとつに、もし何か秘密にしておきたいことがあるならば、決して誰にも打ち明けないこと、というものがあります。

誰か一人に話をし、もしそれが他の人に伝わっても、その相手を責めるべきではありません。なぜならまず自らが、秘密を人に話したいという欲求に勝てなかったのですから。

他人に口をつぐんでいることを求める方が間違いで、どんな話であれ、一度口から出た事柄はたちまちのうちに広がることは覚悟すべきです。


犬仲間のコミュニティにおいてもそれは顕著で、誰かに話した事柄は、その日のうちに多くの人の知るところとなります。

シュナウザー君がドッグランで喧嘩をしたとか、柴犬ちゃんが富士山に登ったとか、プードルさんが新しい歩行補助具を用意してもらったとか。
SNSの書き込みよりも原始的な口伝えによる情報伝達で、あらゆることが素早く他の人たちに伝播してゆく様は驚くべきものがあります。

おかげで、迷い犬の保護や良い動物病院の見分けなど、情報の豊富さに助けられることもあるのですが。


そういった前提があるために、数カ月ぶりにお目にかかった相手から、自分が話してもいないことを尋ねられても少しも驚きませんでした。
「いますよ、子犬。ワクチンが済んでないのでまだ外には出られないんですけど」

私の家に生後2ヶ月の子犬がいることは、すでに近所の犬好きの人たちの知るところとなり、最近ではその人たちとどこかで行き合うたびに、声をかけられ近況を尋ねられます。


また、そのたびに私が答えることはほとんど決まっています。
「4月の初めに家に来たばかりだけど、もうすっかりなじんでます。小さい悪魔みたいで、目に入るものは何でも噛んで、私の服の袖も穴だらけです」

すると相手も決まって楽しげに笑い、子犬らしいね、うちも小さい頃はそうだった、などと幼犬の暴れぶりで話が盛り上がります。

子犬の無尽蔵のエネルギーと好奇心に振り回される、騒がしく慌ただしい日々。
いくら大変であってもそんな毎日はすぐに過ぎ、あとはひたすら懐かしい思い出になると皆がよく承知しているからかもしれません。


私の家にやって来た子犬は大型犬のため、成長がすこぶる速く、初日から一ヶ月もしないうちにもう五キロも体重が増え、二周りほど大きくなりました。

よく遊び、生きているだけで嬉しいというように、走るか跳ねながら家の中を移動します。
何にでも飛びついたり、かと思えば床の上をひっくり返って転げ周り、めくれ上がった耳やひょいと曲げた前脚は、犬というよりうさぎのようです。

それもどこか妙に人間じみた動きと表情をしているあたりが、高山寺の国宝『鳥獣人物戯画』のうさぎそっくりなのです。
あのうさぎたちも、餅をつき、鹿にまたがり、蛙と力比べをしと自由奔放ですが、子犬が動き回る様はまさにあの絵巻を彷彿とさせます。


それで野口雨情中山晋平による『うさぎのダンス』を歌うと、子犬は興奮と喜びでますます跳ねつつ前脚を器用に動かし、調子づいた私は歌を続け、二番に入る手前で歯か爪で引っかかれ悲鳴を上げる、というところまでが毎回の遊びのセットです。

それでもともかくこのうさぎ犬のおかげで私はとても幸せであり、まだ一緒に暮らし始めて日も浅いのに、すっかりこちらを信じてくれていることを尊く感じています。

こう書き込んでいる間にも、スリッパをひたすら脱がしにかかってくるのはどうかと思いますが。





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