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カチューシャの歌の日

現代人が一日に受け取る情報量は、平安時代の一生分であり、江戸時代の一年分
いつ頃からか、こんな文言をよく目にするようになりました。

その真偽のほどは定かではないものの、これだけありとあらゆるところに情報があふれていると、さもありなんという気がしてきます。

自分の暮らしぶりから考えてみてもわかることで、たとえばエレベーターに乗っている間のごく短時間で、私は三つもの新しい情報を入手しました。
エレベーター内に設置されている、デジタルサイネージによってです。

なかでも最も注意を引かれたのが〈今日はなんの日?〉というミニ情報で、そこにはこうありました。


3月26日 カチューシャの歌の日】

1914年(大正3年)の今日、島村抱月と松井須磨子の劇団「芸術座」にてトルストイ原作の『復活』が初演された
同時に劇中歌『カチューシャの歌』が大流行したことに由来する


ちょうど昨日、友人とトルストイの話をしていたばかりのため、あまりのタイムリーさに驚きました。
とはいえ私たちが話していたのは作品の感想など高邁な話ではなく、ちょっとした悪口です。
文豪になんて無謀な、と言われそうですが、自由な精神を尊んだトルストイです、きっと許してくれるでしょう。

私たちが口にしていた悪口の内容は、トルストイは社会主義を標榜し、晩年は理想のコミューンの設計に勤しんでいたにもかかわらず、性差別主義者だったということです。
そういった欺瞞はたちが悪い。
ただでさえドストエフスキーに比べてどうにも上から目線で説教くさく、思想小説すれすれの作品だってあるくらいなのに。うんぬん。

とはいえトルストイが並外れた作家であることに変わりはなく、『アンナ・カレーニナ』や『クロイツェルソナタ』を10代で読んだ時の印象は、今でも鮮烈に残っています。


そして、今日の話に深く関わってくるのが晩年の長編作『復活』です。

トルストイに重ね重ねの失礼を申し上げると、私はこの小説は二度と読みたい気が起こりません。
主人公である若き貴族ドミートリイ・イワーノヴィチ・ネフリュードフ公爵がどうしても好きになれないのが理由のひとつで、この人はあまりに自己中心的で身勝手すぎます。

自分のせいで破滅した女性が罪を犯したことに衝撃を受け、彼女と人生を共にすることを誓う、というその物語の最初から最後まで、見ているのは自分だけなのではないか、と思えるくらいのエゴイストぶりです。
果たそうとしている贖罪も、彼女を思ってといよりは、自らの感情に酔いしれているためではないかとすら感じられるほど。

もはや彼女から必要とされていないにも関わらず、流刑地まで有無を言わさず同行しようとするその姿勢も、厚かましさ以外の何ものでもない。

私はむしろこの人よりも、彼によって運命を狂わされた女性エカテリーナ、通称カチューシャの遍歴と、そこで鍛え上げられていく精神の強さこそが真の見どころではないかと感じます。


このカチューシャを日本で初めて演じたのが松井須磨子で、演出家の島村抱月と共に舞台を作り上げた名女優です。
“日本初の歌う女優”とも言われたのも、この舞台の挿入歌『カチューシャの唄』がレコード化され、二万枚の売り上げを記録したことがきっかけでした。

カチューシャの哀れな運命を歌う、一分にも満たないこの歌を聴けば、彼女がいかに名女優であったかがうかがい知れます。
決して上手な歌ではなく、訓練された歌手のそれとはかけ離れているものの、ひとつの物語をわずか数十秒でこれほど表現しきれる人がいるだろうか、と思わせる表現力です。
彼女はカチューシャになりきっており、舞台はどれほど素晴らしかったことかと空想を誘われます。

舞台の上の彼女は西洋風にヘッドドレスを着け、そのバンドが役名のカチューシャになぞらえて売りだされたため、女性がつけるヘアバンドが“カチューシャ”と呼ばれるようになりました。

オードリー・ヘプバーンが『麗しのサブリナ』で身につけた細身で丈の短いパンツが“サブリナパンツ”と役名で呼ばれたのと同じことです。

それにしても、髪留めに自分たちの国の有名なヒロインの名がついていることに、ロシアの人々は皆びっくりするといいます。
確かに、もし外国である形のシャツが“光源氏”などと呼ばれていたとしたら、ずいぶん変な気がするに違いありません。


カチューシャを演じた松井須磨子、演出した島村抱月は恋人同士であり、この二人については、ご紹介したい数々のエピソードがあります。
そのうちに、ぜひ何か書ければ良いのですが。

いずれも天才の名を欲しいままにした二人の、伝説的舞台の幕開けとなった、およそ一世紀前の今日。
その日は二人にとってまごうことなき勝利の日であり、道半ばで夭折した生の、輝く日であったのでしょう。

松井須磨子の、こんな言葉さながらに。

私はただ私として、生きて行こうと思うのです。
私だけを信じて、自分の行く道を行ける所まで、行ってみようと思います


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