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叶えられる事が残りわずかでも

生きる意味について

ホロコースト生還者のビクトール・フランクルさんの著書「それでも人生にイエスと言う」を読みました。

少し前まで人間の尊厳について考えていたので、この本を手にしたのは自然な流れでした。

ちょっとこの本、読みにくいのが残念です。
分かりにくい発言を、補足情報や解釈を加えずに書いてあるので、誤字かな?意味不明…という場面が幾つもありました。

この本は「決算自殺」をテーマに書かれています。

そう、年配者が過去に報われなかった事と未来に報われそうな事を比較して絶望する事がテーマなのです。

フランクルさんはホロコーストの経験から、精神的な支えを失った人から身体が衰えてしまうという事を感じ取ったので、自分の人生を決算するような考え方の誤りを伝えたかったのだ、と私は思いました。

人は多くの場合、人生の華やかな面を生きている意味と捉えがちですが、人生は難題や課題の方が多く、人生が与える問いに応える事が人生の意味だと言っています。

「生きる意味があるか」と問うから誤るのであって、「人生は私に何を期待しているか」と問うことで「人生の問いに答える」という意味が生まれる。

と、フランクルさんに言われては、反論の余地がありませんでした。

好奇心は猫をも殺す

私の場合は… ですが、生きる意味を問いたくなるとき、「自分が知らない何か良いもの」が見つからない不満に囚われている事が多いと思いました。

恐らく今の環境に慣れきってしまい退屈しているだけなのだと思います。

その証拠に新しいことを始めて忙しくなると人生の意味を問わなくなります。

「好奇心は猫をも殺す」という言葉が有るように、余計なことに首を突っ込みすぎて身を滅ぼさないよう配慮したいものです。


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