琴線に触れる

3.『この音とまれ!』


六段

この作品に出会ったタイミングは明確に覚えている。中学1年生のとき、LINE漫画の無料連載で3巻まで読んだ。それですごく気に入り、単行本購入にすぐ至った。まさに、琴線に触れたのだ。

私に刺さった理由として考えられるのが、全体的に心の綺麗な作品だからである。
『夏目友人帳』のときもそうだったが、私は心が綺麗なものに非常に惹かれるらしい。
私自身の心が綺麗なのか、それとも憧れか。

龍星群

簡単な物語のあらすじを。
両親に捨てられ、自暴自棄になっていた少年:久遠愛(ちか)は、箏職人である祖父に引き取られ、次第に心を開いていく。ところが、昔連んでいた不良連中に、祖父の家を襲われ、その罪を着せられてしまう。同じ時期に、祖父が亡くなり、愛はやるせない思いでいっぱいになる。
高校に入学し、祖父が創設した「箏曲部」に入部する。せめてもの償いとして、祖父が残した物が、大事にしていた物が、何なのかを知るために。

物語の始まりは上記の通り。
箏曲部が廃部寸前だったり、愛の警察沙汰の過去をよく思わない学校側だったり、入部した当初から問題は山積みで……
そこで、廃部を免れるために学校側が提示してきた条件が「1ヶ月後に全校生徒全員を納得させる演奏をすること」だった。
未経験の部員も多く、不可能に近い課題だった。
そこで彼らは、朝練+昼練+放課後練+部活後練という箏漬けの日々を1ヶ月送り、異常なほど練習した。
バラバラだった部員に仲間意識が生まれ、大事な場所と仲間を守るために演奏に挑んだ。
見事、全校生徒の度肝を抜く演奏をし、箏曲部を廃部の危機から救った。

ここまでに登場するキャラクターの中に、私と近い特性のある人物はいなくて、ただ単純に彼らを応援したいという傍観者だった。
私がひどく共感したのはこれ以降に登場するキャラクターである。

久遠

先の箏曲部の演奏を見て、箏曲部に入部したいという2年生の女の子が登場する。名前は来栖妃呂。
妃呂が入部する理由は
「青春ごっこをぶち壊したいから」
箏曲部に入部し、嘘を吹き込んで内部から崩壊を図る。しかし、愛に「俺、本人が言ったことしか信じねーから」と言われる。
その言葉を聞いた妃呂は、涙して逆ギレする。
「私は、あんな形でそんな言葉が聞きたかったわけじゃない……」と心の中で呟く。
実は妃呂には中学時代の辛い過去がある。
転校してきたばかりの女の子が、妃呂の彼氏や友人に「妃呂にいじめられている」と嘘を吹き込み、その嘘を周りは簡単に信じて妃呂を孤立させる。
彼女はその誤解を必死に解こうとするが、全て"言い訳"として受け取られてしまう。
そこで、友情なんてそんな脆いものだと痛感した妃呂は精神的にグレて、今回箏曲部にしたような行動を以前から繰り返していた。
箏曲部で嘘がバレた後、居づらくなった妃呂だったが「理由があるならちゃんと聞くから」と部長の倉田武蔵に言われ、昔の自分も今の自分も救われる。

パラフレーズ

さて、妃呂の過去に似た、私の苦い思い出がある。

小学6年生のときのことである。
名前を伏せたいので当事者を仮にN子ちゃんとする。私の名前はyayaとする。
N子ちゃんとは地区が同じで毎日登下校を共にする仲であり、クラスも同じで普通に仲が良かった。
あるとき、N子ちゃんの友達から耳を疑う質問をされた。
「N子ちゃんから『yayaちゃんにいじめられてる』って聞いたんだけど本当?」
身に覚えが無さすぎる突飛な問いを理解するのに時間を要した。
誓って言うが、私はいじめていない。そして、いじめ問題につきものの加害者側の「いじめているつもりはなく冗談だった」的なやつでもない。
私は彼女に汚い言葉を浴びせたことも、酷い行動をしたこともないからである。
なんとそのN子ちゃん、この話をクラス中の女子に話していて、一時期私はクラスの女子から疑惑の目を向けられた。
私には心から仲の良い友達がいたので、噂話に耳を傾けず、私と一緒にいてくれる子も多かった。
そこは救われたし、妃呂とは違う点である。
しかし私に向けられた誤解は、簡単には解けることなくずっとずっと残った。
意図がわからない嘘を私が認めたら負けだと思ったので認めることはなかったが、謝らないと口をきいてもらえなかった。
そこで、便宜上の謝罪をした。
「全く身に覚えがないことに変わりはないが、もし私の発言や行動で傷つけていたことがあれば申し訳ない」と。
それで彼女は納得しなかったが、私もこれ以上主張を譲歩するつもりはないので、わだかまりが残ったまま、小学校を卒業し、私たちは別々の中学へ進学した。

天泣

これは後になって知ったことだが、当時のN子ちゃんの家庭環境があまりよろしくなく、両親も離婚していた。なので、あの嘘は彼女にとって何かしらのSOSだったのかもしれない。
とはいえ、そこに私の名前を出したことに関して、私は根に持つ。
過ぎたことでも私としては誤解は解きたいもので、というか根も葉もない噂や友達に裏切られたことで、私はそれなりに傷ついたわけで、私の救済が全くないではないか。
私には『この音とまれ!』の愛も武蔵もいなかったので、私のことは私で救うしかない。

そう考えて、中学のときの「人権作文コンクール」でこの実体験を包み隠さずに書いた。
そしたら、驚くべきことに県の優秀作品として表彰された。テレビ及びラジオで、私が自分の作文を朗読する姿が放送された。このときの私の声は今にも泣き出しそうなくらい震えていたと記憶している。
彼女に届いただろうか。彼女は見ただろうか。
もはやそんなことはどうでもいいのだが、私の作文が大人の目で評価されたことが、私にとって何よりの救いだった。彼らは私の作文の内容を信じてくれたのである。
ようやく、私の無実が認められた感じがした。
私がずっと叫びたかった心の声を、聴いてくれた。
そのときの審査員たちにはこの場を借りて感謝を述べたい。
小6(事件当初)、中2(表彰当初)、そして今の私のそれぞれから「ありがとうございました。」

セピアの風に

大人になった今でも思うが、誤解というものはそう簡単に解けない。
そして「火のないところにも煙は立つ」
これは心に刻んでおきたい。
時に、全く身に覚えのないことで、大きな事件に巻き込まれることがある。
そんなとき、そんなくだらないものに負けない人間になりたい。
そして私自身が気をつけることは、愛の言う通り「本人が言ったことしか信じない」ことである。
嘘や噂に振り回されるほど、暇じゃないだろう?

今でも心を浄化したいときや泣きたいときは『この音とまれ!』を読んでいる。
これからも私を支えてくれる作品になるだろう。

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