体感する音楽

1:16辺りから始まる展開。
引き伸ばされた声と深くなるリバーブ。
飛んでいくクレイジーフロッグの映像と相まって、突き抜けるようにリズムが押し寄せてくるようなイメージ。

これはこの時代のトランスでは多分よく使われた手法だと思う。
ありきたりではあるのかもしれないが、この手法で得られる爽快感を技法として手中に収めるという考え方は、あまり無いのでは?と思い、書いてみた。

トランスというジャンルありきで見るのであれば、この展開はむしろ陳腐ですらあるのかもしれないし、クレイジーフロッグのエンジン声をフルで流す為の口実だったのかもしれない。
文化的、技術的な側面から見たら取るに足らないのかもしれないが、表現として考えた時、これは非常に重要だと自分は思う。

おじさんがみんな大好きなシュポングルは、そういうアプローチをしているアーティストに思う。

昔からそういうアプローチで音楽を作るという考え方はあったのだし、むしろ自分が思ってるよりもずっと昔からそういう音楽はあったのかもしれない。

だが、結局の所、「何を表現したいか」ではなく、「何を共感したいか」という部分で常に勝ってきた音楽というものが現代のポップスなんじゃないかと自分は考えてみている。

共感される為には、やはり「お馴染み」を用いるのは非常に重要というか、それ以外使う意味が無い。

ただ、それだとあまりにも均一で、その様もある意味ミニマルで退屈に思う。

だからこそ、何か小さくてもオリジナリティを持っておきたい。
その為に「何を表現したいか」という事と、それを表現する為に何が必要か考えておくのも良いのかもしれない。

何を表現したい?

恋?紛糾?日常?友達?

俺は虫でした。

ありがとうございました。

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