ガチ恋について

特定のキャラクターやアイドルみたいな手の届かない存在に対して本気で好きになる事を言うのでしょうか。

そうだとして、その人のコンテンツを見て、自分はこの人の何を知っているのだろうと、ふと空しくなる事が、自分はとても多いと思う。

その見せられているコンテンツの全部が一種のメタフィクションのようなものだって言うのに、何を知る事が出来るんだろうかという話だ。

カメラの前に座り、マイクに向かって喋り、現実から遅延して、たったの四角形に収められた映像の、どこに現実があるって言うんだって、そう思う。

かといって、実際にうんこしてる所とか、セックスとかオナニーとかしてる所とか、風呂入ってる所、脱毛してる所、歯磨いてオエッてなってる所なんかは、多分世の中の方が耐えられないと思うから、見せられないという事になっているのかもしれない。

というか、そういうものをダダ洩れしているような人間の究極に俗な感じが逆に人間から遠くて怖いと思う事もある。

そんな風に、どう頑張ってもその人のパーソナルな部分に触れるという事が出来ない仕組みの中で、どうして恋をしたいと思うのかと考えてみたんだけど、やっぱり恋に恋をするのって、楽しいから仕方ないね。

自分はそんな結論に至った。

その対象に対して聖母的、聖人的な虚像を抱いて、それを嗜む事なんでしょう。

それはそれで空しいが、少なくとも何も知らないという絶望感よりは楽しいと思う。

でも、それが虚像であると知り続けるという事もまた苦悩ではあるけど。

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