【社会学】なぜ観光旅行はつまらないのか
みなさんは、観光旅行に行ったときに「期待はずれだったなぁ...」と感じた経験はありませんか?
有名なお寺に行ったけど、案外しょぼかったり、お城を見物したけど、期待しているほど立派じゃなかったり。
私もそんな経験があるのですが、それはもしかしたら既視感と関係あるかもしれません。
複製による「アウラの喪失」
観光旅行がつまらない理由、それはインターネットやガイドブックで目的地を見すぎていて、本物の特別感がなくなったから、だと考えています。
それって言われてみると当り前じゃない?って思う方もいるかもしれませんが、この「特別感」は学術的にも深く研究されています。
みなさんは、「アウラ」(オーラ)と呼ばれるものをご存じですか?
哲学者ヴァルター・ベンヤミンが「技術的複製可能性の時代の芸術作品」という著書の中で、「アウラ」とは「どんなに近くあってもはるかな、一回限りの現象である」と定義しています。
わかりやすく言うと、コピーされたものでない本物の作品を見ると、人間は
「今この瞬間に、この場所において、この作品を見ている」という特別感のようなものを感じるということです。
しかし、写真やコピー等の「技術的複製」は作品本来の「アウラ」を失くしてしまう、と記述しています。彼は、これを「アウラの喪失」と呼びました。
例えば、写真に撮られたこともインターネットに載ったこともない50億円の絵を直接見たら、すさまじい特別感を感じるでしょう。
反対に、インターネットに画像が溢れかえっていて、コピー作品も山ほどあるゴッホの「ひまわり」は直接見ても全く特別感は感じないでしょう(実際に私も見ましたが、迫力がなく通り過ぎるところでした。)。
清水寺のアウラ
本題に戻りますと、これと同じ現象が観光地にも起こっていると思います。
清水寺や厳島神社、大宰府などの日本を代表する名所は、インターネット画像やガイドブック、教科書でたくさん見かけるので、「アウラ」がまったくなくなっていますね。
だから、実際にその場に行っても特別感を持つことがないのでしょう。それが、期待はずれや残念感を引き起こしているのでしょう。
それよりも、まったく見たことのない偶然通った道や何気ない日常風景のほうが、一回限りの特別さを感じる気がします。
参考文献
ヴァルター・ベンヤミン(2011)山口裕之訳「技術的複製可能性の時代の芸術作品」『ベンヤミン・アンソロジー』河出文庫
ありがとうございます!