イダ・プレスティの旅路

生徒がある日こう言ったそうです
「自分がイダ・プレスティじゃなくてどれだけ辛いかわかりますか?」するとプレスティは「私がバッハじゃなくてどれだけ辛いかわかる? 笑」と答えたそうです。

私がプレスティに惹かれるのは彼女の底抜けた明るさと優しさ、ユーモア、そしてそれが音楽の中にも存在しているところです。
会ったことはないんですけど。

今日は彼女の生涯から脱線して今度の私のリサイタルのタイトルともなっているDans les pas de Ida Presti 「イダ・プレスティの旅路」の意味について。

前回の記事で紹介したWigmore hallでの衝撃のリサイタルの数年後にはプレスティはソロでの活動を辞めアレクサンドル・ラゴヤとギターデュオ「Presti- Lagoya」を結成し以後彼女が亡くなる1967年までに欧米諸国を中心に2000回以上のリサイタルを行います。1年間でおよそ200回の計算でしょうか、、 
アンドレ・ジョリヴェやダニエル・ルシュールなどの大作曲家からも曲を贈呈されることになりそれらの曲は今でもギター二重奏の名曲として演奏されています。

多忙の中、ニースなどで講習会も行い優秀な生徒をたくさん輩出しました。
今フランスではどこの音楽院にも必ずギター科があるのはその時の生徒達が活躍したことが大きく関わっています。

私の師でありPresti-Lagoyaのコンサートでの代役を務めたアコ・イトウ・ドリニー先生、アンリ・ドリニー先生もプレスティの生徒で西垣正信先生はそのアンリ先生の生徒でした。

イダ・プレスティのことを間接的ではありながらも知れば知るほど彼女の意思は確実に受け継がれていることを先生方を通じて直接感じます。

私だけではなく世界中でいろんな方に影響を与えてそれが今でも受け継がれていると思います。

イダ・プレスティを父親が初めてギターと共に部屋に閉じ込めたその日から全ては始まったのかもしれません。
(詳しくは前回の記事から https://note.com/calm_camel943/n/ne21581547b1c

私の今回のリサイタルのタイトル Dans les pas de Ida Presti ですがこれは直訳するとイダプレスティの足跡、となります。旅路と訳すことに決めたのはまだ彼女の意志の継承が途中であってこれからも色々なところへ繋がって行くという思いからです。実際フランス語でこの表現を使うときはそういった意味合いがあります。

彼女がいなければ存在しなかったジョリべやプーランクの楽曲、
彼女が頻繁に演奏していなければ弾き継がれることがなかったかもしれないパガニーニの大ソナタ、バッハのヴァイオリンのための作品、そしてプレスティ自身の楽曲などがプログラムの中心となっています。
怪しさがありながらもとても明るいプログラムです。

もちろん私がイダ・プレスティの真似をして弾く訳ではありませんしむしろ彼女のスタイルで弾かないことが本当の意味での真似だと思っています。
日本ツアーが決定していた1967年に他界したイダ・プレスティ
の音楽の片鱗を日本で、しかもトッパンホールという最高の音響のなかで
紹介できることを心より嬉しく思います。

少しでも色々な方に聴いていただきたい、そしてそれが私のように
形は変わったとしてもまた誰かに伝わって何か意味のあるものになって欲しいです。形にならなくともよいです。

文化の継承、
結局クラシック音楽をやっていること自体がそういうことなのですが
自分がコンサートをしたり教えたりすることの存在意義はそこがいつも一番大事な部分です。

今回はそれが自分が最も尊敬する人を題材としたプログラム(責任重大、、)
です。

なので今回だけでもいいから来てほしい!

でも次は次だけでもいいから来てほしいんですけどね。


https://t.co/QUBKbUDIQh






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