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心中失敗

いつのまにか私も年を取り、これから老いていくばかりの身の遣り場を自分のためにも考えなくてはならない頃だと思います。心配があるとすれば、私が息絶えたのちに自分ではこの肉の塊をどうすることもできないということです。もし私に家族がいて、平和で仲の良い関係を築いていけていたなら私の亡骸の瞼を静かに閉ざしてくれる人もいることでしょう。こういった心配を除けば、私は自らが独身として生きていくことに何の問題もないと考えています。話し相手や肌身を寄せ合う人がいないことは寂しいに違いありませんが、利己的な願望で他人と結びつこうと考えたなら、心のどこかで後戻りもできない道を悔やむ場面が少なからずあるでしょう。そして関係に小さな亀裂が生まれ、やがて決定的に壊れてしまったときには孤独なままの方が良かったなどと考え始めかねません。

しかしながら、一生を添い遂げる誰かが具体的に身近な距離で存在することはとても幸せなことだとも私は思います。この広い世界の中で、ほとんどの場合、血の通わない他人同士が結ばれることは私がその立場なら奇跡だと思うでしょう。他人でしかない人物が側で私のことを認めてくれたならば、この世界における一つの完結した世界であり小宇宙のように感じられるほどです。そして、この小さな世界を守るために生きて死にたいと思うはずです。様々な危機もその絆を切り離すことはできない、何人も立ち入ることのできない完結した世界───人はそれ以上に何を求めるだろうと思うほどです。

そのような世界は誰か一組だけのものではなく、その結びつきの数だけあります。私はそのような完結した愛の世界を守るために心中し、一緒にこの世を去ろうと試みた方たちの話をいくつか読んだり聞いたりしたことがあります。例えば、江戸期の許されない関係の二人の若い男女がその関係を死を以て永遠にするという物語があります。二人の手首を糸か何かで繋いで、断崖から深い海に身を投げるなどするのです。その後にはもう何も心配することなどありません。それまで悩ませただろう、互いの関係を邪魔する存在はいません。その二人は死をも超え、自分たちの関係を完結させることができます。

自分の愛する人と一緒にこの世を去ることができるということほど魅惑的なものはないと私は思います。もし二人の関係を損なう存在がいるとしたら、それは二人の周囲の環境などではなく、おそらく最大の問題は死別ではないでしょうか。二人一緒に死のうと考えても、しかし現実には二人同時に息絶えるなどということは困難なことに思えます。この場合、どちらかが先に亡くなってしまい、もう一方がいつまで経っても想いが叶わずに、最も近い場所で片方の亡骸を見つめ続ける情景も想像できます。

二人一緒に息絶えることを望んだのに、もし自分だけ生き残ってしまったとしたらと考えると私は震える思いがします。生き残った人はその先、どのように生きていけば良いのでしょうか。死に別れた人だけが自分の心の拠り所であり、自らの存在もその人に懸けていたというのに───。一緒に死のうと決めた仲であるはずなのに、意図せず裏切ってしまったようなものです。崖から落ちる際に相手の手を離して、自分だけ岩肌にしがみついているような裏切りです。事が終わり、崖をよじ登った後は安心感と罪責感が混濁して、もはや自分の居場所などはこの世で見つけられないかも知れません。

自分の死ぬ動機が先にいなくなってしまった場合、その後に再度、自死を試みることができるでしょうか。また、そうすべきでしょうか。自分の心を相手に委ね、生死の意味さえ依存するならば、残された片方はきっと自らには片付けることのできない抜け殻のような生涯が待っているのみなのだと思います。このような孤独は一生独身でもよいと考えている人のそれよりも痛切に思います。

きっと私が誰か伴侶を得たとしても、その人とずっと一緒にいられないならば、と考えると途方もなく寂しくなります。そうして、人生は孤独や虚しさを深めるために、様々な結びつきを得るのだと、悲しみや寂しさの中に儚い喜びを求めているのだと、むしろ強まっていく想いに身が悶えるような感じを覚えます。