草葉たる氷

/随想/瞑想/

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最近の記事

長い挨拶

知人のふと見せる横顔に戦慄してしまうことがあります。何度か経験したことのある、この感覚───どのように語れば、他人に伝わるだろう───戦慄というと、少し大袈裟な表現かもしれない───それは何か怪物的な存在や身の毛もよだつような出来事に接したときに発するのが適切な言葉かもしれないから───その知人の横顔は決して怪物的ではなく、むしろ普通の表情であると言える───同じ場にいながら、どこか遠くを見ているような、その横顔。そういった表情自体は特別なものではないと思う───けれど、その

    • 自己破壊

      今とは全く異なる自己になってみたいという願望が私にはあります。聖なる存在に更生したいとか、今よりも高位の立場に就きたいとか以前に、ただ単に別の人になってみたいのです。道ですれ違う人、私と対話をしてくれる人、私のことを見知ってくれている人、私のことを全く知らない人───様々な人の身になってみたいです。 多くの人は善意に基づいてであれ、悪意に基づいてであれ、他人について思慮を以て行動していると私は思います。もし善意に基づいてであれば、他人が喜ばしいと思うことを自らが為そうとする

      • 瓦礫の陰に咲く花

        いつかは覚えていないが、かなり昔の話だ。道端に花が咲いていた。張り巡らされた金網に沿うように咲いていて、そこから顔を覗かせていたのだ。その側を通り過ぎていく私はその花と目が合ったように感じられた。その出逢いは偶然だったが、私はその花に引き込まれる感じを得た。私は花に詳しくないので、その花がどういったものかは知らない。だが、とにかくそれに惹かれたのだ。 誰かが育てたわけではないだろう、その花は美しく思えた。近くに同じような植物が見られない中で、特別に存在を誇示するわけでもなく

        • 心中失敗

          いつのまにか私も年を取り、これから老いていくばかりの身の遣り場を自分のためにも考えなくてはならない頃だと思います。心配があるとすれば、私が息絶えたのちに自分ではこの肉の塊をどうすることもできないということです。もし私に家族がいて、平和で仲の良い関係を築いていけていたなら私の亡骸の瞼を静かに閉ざしてくれる人もいることでしょう。こういった心配を除けば、私は自らが独身として生きていくことに何の問題もないと考えています。話し相手や肌身を寄せ合う人がいないことは寂しいに違いありませんが

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        • 「風の寄り道」
          28本

        記事

          本棚整理

          新しい本を手に入れれば、それは当然、床や机の上に投げ置かれたままであってはならず、どこかに収納しなければならないと思うのですが、しかし本が増えると限りある置き場所に困るものです。新たに本を並べようと思っても、分類にまず迷います。例えば、思想書、文芸書、歴史書などの内容での相違、あるいは新書であるか文庫本であるか単行本であるかなどの出版形式での相違、その他にも出版社や作家名での分類など考えれば考える程に分類の項目が増え、本棚の統一性を保つことが難しくなっていきます。それまで既知

          初期衝動

          自らに湧き起こる衝動を飼いならそうとして、抑えようとしても、その反発のために自分自身がとても摩耗していく感じを得ます。何か既成の型に当てはめようとしても、結局のところ、その衝動は都合の良い形に沿ってくれることがないために、自分自身の中で暴れ出す力を感じます。その力を落ち着かせるために束縛しようとしても、無意味なことのようにしか思われず、初期衝動と呼ぶべき、その情熱は常識も礼儀も知らない───ただ剥き出しの自己主張が光っているのみに感じられます。 私の内にこのような衝動が生ま

          余命

          ときどき私はあとどれだけの時間を生きることができるのだろうと不安な気持ちになることがあります。聞くところによると、健康な人間は百年とそれ以上ものあいだ生きることができるといいます。対して動物の場合、犬や猫などは十数年、兎は五~十年、ハムスターならば二~三年ほどらしいです。人間よりも長く生きられる動物もいるらしいですが、人間に身近な動物は大体この程度のようです。比較すると、とても短いように思えますが、生物の一生というものは実感としては測れないような不思議な思いを私は抱きます。

          歴史の歪み

          かつて古い神話や伝説においては永遠の生命をその時代の王が求めていました。しかし、それらの結末はいつもその理想の断念であり、人間的な教訓を現代の人々にも伝えてくれています。 形は違えど、時が流れ、現代に至っても、例えば世界の多くの国歌には王の威光や国家の平安や繁栄が永遠であるようにとの願いが込められているのが見受けられます。それは死の結末を避けられるかも知れず、この世には永久に続くものがあるはずだという楽観的な思いを私に少なからず抱かせるものですが、そういった

          歴史の歪み

          散文表現

          いつの間にか月日は流れて、私が自分の思いを文章として発信し始めて、半年が過ぎました。他の人にとって、半年という、この時間がどれだけの意味をもつかはわかりませんが、私は、自らが何らかの物事を継続して行うことの喜びや充実を感じているとともに、もうそれだけの時間が経ってしまったのかと驚く思いです。時の巡りは、それに気づいた時には、いつでも自分の手の内にはないということを身を以て感じ、恐怖の念すら抱いています。 これまで私はいくつかのまとまった随想を公にしてきました。思い返せば、自

          静かな生活

          可能ならば、静かで落ち着いた生活をしたいものだと私は思います。争いごとがなく、淡々と過ぎていく時の中で焦る必要もなく、ささやかな豊かさに喜び、呼吸が乱れることのないような生活に浸っていたいです。 静かな生活といっても、例えば部屋の中に何もなく、音もせず、暦もないような、まっさらとした空間で暮らすことを望むわけではありません。意識せずとも様々な音に満ちたこの世界にあって、無音で生活しようものならば、私はむしろ騒々しい心の音のみを聴き続けることになってしまうのではないかと恐ろし

          静かな生活

          ささくれ

          食器を洗っていたら、冷たい水が指に沁みた。寒く、肌が乾燥する時期には、特に覚えのある、この感覚───。作業を止めて、その部分を確認してみると、爪の生え際の皮が薄く、細くめくれている。めくれた部分は少し赤くなっているが、血が流れる様子は見られない。刺激を感じつつも、洗い物を続け、やがて終えた私は付いた水気を拭いて、改めて確認してみる。めくれた皮はまるで、小さな花びらのようで、その部分に触れてみると、刺激が走り、人間の痛覚はこうも細かい部分にまで生きているのかと少し驚かされる。

          政党政治

          私がよく歩く道に小さな看板があります。その道は人が通る姿があまり見られない場所なのですが、他に目につくようなものがなく、人も少ない場所だからこそ、その看板は私には際立っているように感じられます。 看板には、政治家の肖像写真と名前が描かれています。時期によって、それは新しく刷新されるものなのですが、どきどき日焼けして、色が落ちた状態の肖像が取り残されていることがあり、それを見るときに私は時の移ろいを感じます。 政治にまつわる看板は気をつけて歩いてみると、いたるところで見かけ

          日没

          夕陽を浴びながら、無意味な一日を過ごしてしまったと思うことがあります。太陽が地平線の向こうに沈んでいくにつれて、その日がまだ過ぎていないにも関わらず、どこか懐かしく感じられて、もっと良い一日の過ごし方があったのではないかと漠然と悔やむことがしばしばあります。目に映る物が黄昏の色に染め上げられて、私自身の手も足も既に遠い思い出の中にあるかのようなころ、もう少しもすれば暗い闇が辺りの風景を飲み尽して、いよいよ太陽の明かりに頼ることができなくなるようなころ、一日のことをつい考えてし

          同語反復

          いつか自己紹介の場面で、座右の銘は何かと問われたことがあります。当時、私は答えに窮してしまったのですが、後から再び考えてみても、それらしい言葉を見出すことは叶わず、これが座右の銘だと言えるだけの言葉が私にはないのだと気づいた覚えがあります。現在に至っても、そのことに変わりはなく、これまで大事に思っていた言葉がないわけではないのですが、改めて今、その言葉の意味や意義について考えさせられています。 どのような場面に際しても、自分自身を導いてくれる言葉を有している

          細密画

          私は視力が弱く、普段から近い距離の物しか見えないのですが、鮮明に見える視野が狭いと、それだけで自分の意識や思考そのものがぼやけてしまうように感じられるときがあります。眼鏡をかけようか悩むところですが、私は眼鏡を装着した状態で生活することが苦手で、眼鏡を所有してはいますが、ときどきしか使用しません。眼鏡がなくとも、日常生活の中で困るほどではなく、目に何かを入れることにも抵抗感があるので、今のところはこのままでよいと考えています。物が見えないことには問題がありますが、細部まで物を

          殖産興業

           新しい本を読もうと探すと、世の中の危機について訴えている作品に出遭うことが増えました。それは世の中の危機が以前よりも増大しているせいなのか、あるいは私が無意識の内にそういった内容を求めていて、そのような本ばかりを追ってしまうためなのか、それらとは違う別の理由があるのか、私自身でもわかりませんが、ともかく最近はそのような書物を手に取ることが多くなり、そこで主張されている思想や時代の雰囲気などに感化されてしまっているように思うところがあります。  世の中の危機と一口に言っても