幼稚園の音楽教室

初めまして。何年前からか書いてみたいな、とnoteを垣間見ていましたが、
やっとこさ始めました。よろしくお願いします。
私は、30年ぐらい、フルートの指導や演奏をしています。
高校・大学とフルート専攻で卒業し、留学経験なしで、人も羨むキラキラなプロフィールもありません。
が、続けることだけはしてきたので、今も音楽に携わる仕事をしています。

日々過ごしていると、ふるーい記憶が”フッ”と出てきますが、習い事だった音楽に関することは、思い出すことが多いかもしれません。
そのうちの一つが、幼稚園の頃に通った音楽教室。
説明不要なぐらい有名なヤ〇ハ音楽教室(伏せ字の必要はないか…)のグループレッスンを、受講していました。

通った、と書きましたが、実際は、通っていた幼稚園の授業が終わったら、
同じ幼稚園内のお遊戯室で行われていました。
先生を挟んで、コの字に足踏みオルガン(今あるのかなぁ)を並べ、幼稚園生とその保護者(100%母親)がオルガン一台につき一組座り、先生に言われるがまま、オルガンを弾いたり、歌ったりするのです。

私をなぜ音楽教室に入れたのか、と大人になってから母に聞いたところ、
「あんたは内弁慶やったからそれを直そうと思ったんや」
と、少々イラつきながら言われました。どうも家の中ではお転婆過ぎ、一歩外に出ると、借りてきた猫みたいだったそうで。
その時は、そーなのかー、ぐらいにしか思わなかったんだけど。
私には、兄と姉がおり、二人とも音楽教室に通い、続かなかったのです。
お転婆は事実としても、それだけの理由とも思えないのですが。。。

うちの母は、とにかく厳しくて、家でオルガンの練習をしていても、ちゃんと弾けていなければ、容赦なく手を叩きました。教室のレッスン日も、横にいる母は、私がきちんと出来ているか見張る看守のようでした。
ステージママのレベルだと思いますが、母自身は楽器を一切習っていない。お琴をやりたかったのに父親(つまり祖父)に反対されたことを、度々話していたので、願望は強かったのかもしれないです。

ただ、私が内弁慶だった説得力ある事実は、記憶にあります。
幼稚園児の私は、三人兄姉の末っ子のせいか、すくすくと成長しており、同じクラスの子供たちより頭半分以上は背が高かったのです。アルバムの写真は、同じぐらい背の高い男の子と並んで、細い目で”ふんっ”と口をへの字にして立っている、なんてのもありました。
…どう見てもかわいくない。

とあるレッスン日に、レッスン受講生と保護者皆の前で、一人ずつ好きな曲を歌いましょう、ということがありました。
私が選んだ曲は、アニメ”キャンディキャンディ”のエンディング曲。
タイトルは知らないけれど、今でも歌えるぐらいだから、元気いっぱいのオープニング曲より、幼心に響いたのでしょう。

さて、順番が回ってきて私が歌う番となり、前に立ってみるものの、
顔は皆の方を見ることが出来ず、下を向いたまま。歌っているつもりだが、ほとんど囁いているレベルの小さな声、という有様でした。
途中から、先生が私のすぐ後ろに立って、両肩に手を置き、拍子を取って一緒にいて下さいました。
歌の一番最後の「きゃんでぃ~きゃんでぃ~きゃんでぃ~きゃぁんでぃぃぃ~」で、やっとこさ顔を上げ、前を向けました。

他の子供達はとりあえず難なく(?)歌い終え、体の大きな私が小さくなって小さな声で歌う…その時の母の反応は覚えていないのですが、きっと苦々しく思ったであろうことは、想像に難くないですね。
ただ、幼稚園を卒業しても、グループでのレッスンを続け、小学校入学後はピアノの個人レッスンにも通い始めたので、私自身、幼稚園の音楽教室はイヤではなかったのかもしれません。

通っていた幼稚園は、卒園記念に各自レコードに声を吹き込み、それが貰える、という凝った記念品がありました。
一人一人教室で先生のインタビューに答える形で、声を残すのです。
先生;よしこちゃんは、大きくなったら何になりたいですか?
私;大きくなったらピアノの先生になりたいです。
先生;では弾いて下さい。何を弾きますか?
私;「花のワルツ」を弾きます。
(🎶🎶教室のピアノを弾く音)

ちなみに、この曲は、当時音楽教室で習った曲で、これは覚えています。
内弁慶の矯正とは言え、母のスパルタは三人目にして、日の目を見たのかもしれません、ね。
ただ、自分自身どの程度本気度高かったのかは、記憶にはありませんが、
三つ子の魂百まで、とか、刷り込み、という言葉は、合ってる気がします。
この幼稚園時代の内弁慶な自分は、その後もやはり、チラリチラリと現れつつ、音楽体験を重ねていくのであります。



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