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ピアノとレッスンと先生①

 フルートをやっていると、ピアノのレッスンもさぞかし楽しく通っていたのでは、と思われがちです。
もともと、義務感に追われるものは、学校も含めて好きではなかったので、家で好きな曲をマイペースにポロポロ弾いてるので十分でした。
以前、幼稚園の頃からグループで受講する音楽教室に通っていたことは書きましたが、小学校に入学後、1年生の途中ぐらいから、グループレッスンと平行して、個人のピアノレッスンに通うことになりました。
家では小さなオルガンで練習していたかと思うのですが、ある日突然、アップライトピアノが我が家にやってきました。

初めてのピアノの先生は、(詳しくは忘れましたが)オペラのコレペティ(オペラのお稽古でピアノ伴奏をする人)だったA先生。
音楽だけでなく、きちんと躾?もして下さる方で、レッスン前にうっかり炭酸飲料を飲んだ時、受講中に思わずげっぷがこみ上げてきてしまいました。先生は「そういう時はごめんなさい、と言うのよ」と穏やかに仰いました。二度とレッスン前に、コーラやソーダは飲まない!と心した一年生でした。

しかし、習って1,2年ぐらいで先生がお教室をお辞めになり、引き継いだⅠ先生にしばらく習っていたものの、何故か別の先生に変わることになり、キビシイことで有名なS先生へ。近県の某音楽大学で講師を務めた経験がある方でした。当時の年齢はわからないのですが、明らかに”おばあちゃん”という雰囲気でした。
S先生は、とりわけ演奏時の”手の形”にこだわりがあったようで、何度も弾く”形”を直されました。

私の世代(第二次ベビーブーマー)は、例え趣味で習っていても、先生が厳しいのはよくある話。きちんと弾けなかったら生徒の手を叩く、は当たり前の方で、母も意に介さず、むしろ、練習しないアンタが悪い、ぐらいの感じでした。
今だったらクレームで、教室を辞めなきゃいけないのでは?と思うレベルでしたが。そもそも、生徒を叩いてレッスンするなんて、私はありえない…。

レッスンでは、ピアノ以外に、聴音(音を聴き取って五線譜に書く)が必ずありました。課題はその時の先生の思いつき、という感じで、聴音課題用の楽譜もなく、先生は何も見ずに24小節ぐらい弾き、私は五線譜に最後まで書いたら見せて終わり、でした。
答えは先生の頭の中にしかなく、単純な音とリズムの羅列の課題で、幼心に「こんなんで良いんだろうか…」と思っていました。

いつ頃からか、教室でのレッスンはご自宅レッスンになりましたが、通いにくい場所だったこともあり、またまた辞めることとなりました。そして、姉や従妹達が習っていたM先生へと変わりました。

何となく続いていた鍵盤生活ですが、小学一年生の頃は、学校での音楽会前に、各クラスのピアノを習っていた子達が集められ、体育館にあったグランドピアノで伴奏係オーディション。譜面台に置いてある楽譜を一人一人弾き、その年の伴奏係が決まりました。
音楽会では合唱二曲で、一人一曲を弾くらしく、隣のクラスのマッシュルームカットのまなぶ君と共に、私は伴奏係の一人となりました。
他にも、五・六年生の頃は、音楽会とは別にクラス合唱の伴奏もしたり、と
これは性に合ってたのか、私の伴奏係は中学卒業まで続きました。

…続く




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