父と音楽

 人は環境の子なりーとは誰が言ったか(鈴木メソードの創始者だったかな?)わかりませんが。
音楽やスポーツなどの出会いは、周りの友人知人を見ても、十人十色の環境がありますね。
親がピアノなどの音楽の先生や演奏者、というのは、羨ましい限りですし、
そうでなくても、お勤めの傍らで趣味を楽しんでいらっしゃる、というのは素敵だな~と思ってました。
大学の同級生の父上は公務員でしたが、芝居の演出、同人誌への投稿など、趣味と言えど広範囲。一度観劇に伺いましたし、自費出版のご本を頂いたことは、とても良い思い出です。

ウチは、と言いますと。前回前々回でバラしてしまいましたスパルタ母は、三人の子育てに忙しかったせいか、趣味というほど”好き”というものが特になかったように思います。もちろん時折はカセットテープやCDで音楽を聴いたり、私達姉妹(基本的に兄は同行しない)をコンサートに連れて行ってくれてましたが。
ただ、月に二回ほど、同じマンションの別の階に住んでいた叔母(母の妹)と通っていたフエルト手芸教室は、趣味に近い気もしますが、こだわりはあまり感じなかったような。。。
もしかしたら、手芸教室に行って、お話したり、帰りにお茶したり、というのが楽しかったのかも知れません。

父の方は、聴く専門。と言っても、車に積んだカセットテープやCD、ラジオを、聴いていました。懐メロ、スタンダードジャズ、パティ・ペイジ、エルヴィス・プレスリー、軽めのクラシック音楽、などなど雑多な感じでした。
ただ、独身の頃は、ライブなどに出かけたこともあったようで、
「昔はなぁ、コーヒー一杯100円(50円?)で、中村八大が目の前でピアノを弾くのを聴けたんやで」と、時折、自慢していました。
もっとも子供の私は、中村八大がどんな方か知らなかったので、当時は有名な人なんやね、ぐらいの認識でしたが。

灰田勝彦、という歌手の名前も父が聴いていた中から知りました。
買い物や旅行に行く際に、車に載せているカセットテープの中に必ず一つはあった気がします。
野球小僧、アルプスの牧場、東京の屋根の下、など、美声で高い声も綺麗だったので、アルプスの牧場がかかった時は、私もちょっと真似して歌ってました(笑)。
現在80代ぐらいの方は、よくご存じの歌手かと思われます。

エルヴィス・プレスリーについては、”ビートルズは4人で稼いだけど、プレスリーは一人で同じぐらい稼いだんだぞ”という、よくわからない持論?でプレスリーの凄さを語っていました。
そんな感じなので洋楽も耳にしていたせいか、映画音楽や洋楽などの楽譜を見ながら、私もピアノを弾いたり、歌ったりしていました。

とある休日、父が「よしこ、ちょっと教えてくれへんか」と家でCDをかけました。
どうやら、若い頃にかじった社交ダンスを再開したらしく、時折お教室やらパーティーに行ってるとのことでした(もちろん母には内緒…)。その社交ダンス用のCDをかけながら、
父;どこから踊り始めたらええかわからへんのや。
私;はぁ…?
父;音楽かかったらどこから動き始めたらええかがわからんのや…
私;(へ?意味わからんけど。音楽かける)前奏終わって…ハイ、ココ!
父;それがわからんのや…
私;(へ⁈私はその意味がわからん…と思いつつ、CDを今一度始めからかけ  
なおし)まだ、前奏やで…イチ・ニ・ハイ!
父;何でわかるんや?
私;(何でわからんのやろ…)

おそらく、歌の曲だと何も問題なくできたのでしょうが、楽器だけの曲は、父にとって違いが分かりにくかった、のかもしれません。
結局、きちんと理解して貰えず、なんとなくうやむやになった様な記憶がありますが、しばらく父の社交ダンスは続いていたようでした。
社交ダンスは男性がリードしなきゃいけないのに、父と踊った方は大変だったのでは、と、緊張して身動きとれない父の姿を想像してしまいました…。

このちょっとずつカジってる感じは、私はかなり受け継いでいるようで、子供の頃から、音楽も音楽以外の物も、様々に興味を持っていました。
ミュージカルやお芝居を観ては、舞台になっている時代背景や衣装、そういった物も調べてみたり、本を読んでみたり、衣装展に行ってみたり。興味が湧く方向へ、気の向くまま(苦笑)行動していました。
こんなことをやっているので、若い時は、ただただ気が多い人、という感じでした。自分でも、どれも極められない宙ぶらりんな感じはなんとなく認識していたものの、それをどうしたらスッキリするのかはわからないまま、過ごしていました。









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