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【エッセイ】蛙鳴雀噪 No.3

 第7回目となる18章から19章にかけて、ダニエルにつき従う11歳の少年が身を売るという内容を書きました。行為の場面を書いたわけではありませんが、クリスチャンの方からすれば、ご気分を害される内容であると承知してます。旧約聖書の『ダニエル記』に、そうした記述は一行たりともありません。ネブカドネザル王(前604-562年在位)の食卓にダニエルと他の少年3人が呼び出されたのは、捕虜となった3年後と記されています。その間、王は宦官長のアシュペナズに命じ、少年4人にカルデア人の言語と文学を学ばせたのです。
 4人の少年はユダの王の血統、あるいは貴族に属する者のうちの中でも容姿がよく、智恵や知識もあり、思慮深い者が選抜されました。ダニエルのベルテシャザルの名については、宦官長のアシュペナズが与えたとあります。興味深い記述は、ダニエルが野菜と水しか受けつけなかったことです。いまでいうビーガンだったようです。これらは、『ダニエル記』の第1章に記されています。
 そしてつづく第2章の冒頭に、ネブカドネザル王はその治世の第2年に、夢を見て思い悩み、眠ることができなくなったとあります。すでにお気づきだと思いますが、18歳で王位についた王はこの記述通りであると、20歳のとき、すでに気欝のやまいにかかっていたことになります。記憶のさだかでない夢を解き明かすためにカルデア人の博士、法術士、魔術士などが招聘されますが、彼らはアラム語で問いかけます。夢の内容を話してほしいと。王も博士らも同じカルデア人なら、どうして、博士らはアッカド語で受け答えしないのかと疑問に思いませんか?
 同じ日本人同士なのに日本語で尋ねると、相手が英語で答えるようなものです。なんでやねんと思い、「わけがわからん病」に私は罹り、あらぬ妄想の虜になるのです。
 博士らの問いに対して王の解答を要約すると、「どんな夢を見たか覚えておらん。金はいくらでもやるから、余が見た夢の内容とその夢が何を意味しているのか教えてくれ。できないなら、八つ裂きにして、一族は滅ぼす」と言ったのです。王の求めに答えられる者はいません。ここで、王のボディガードである侍衛長(=護衛長)のアリオクがカルデア人の知識人を斬り殺すために出てきます。
 このアリオクを引き止めるのが、ダニエルです。「いつのまに!」とのけぞりませんか? 博士らの中にダニエルもいたことになります。浅学非才の私はここで第1章の1節目にもどるわけです。『エホヤキム王の治世第3年にバビロンの王ネブカドネザルはエルサレムにきて、これを攻め囲んだ』。エホヤキム王は、エホヤキン王のお父さんです。この2人の名前からして、頭がおかしくなりそうです。せめて、メソポタミアの歴史に詳しい小林登志子氏のようにエホヤキン王をヨヤキン王と記述してくれていれば、もう少し、理解しやすかったのですが……。
 で、しかたなく各種学術書の年表を見比べることになります。参考にしたのは、マックス・ヴェーバーの『古代ユダヤ教』の年表でした。紀元前597年に、ネブカドネザル王は、第1回目のバビロン捕囚を行なっています。この第1回目の捕囚は年をまたいで2度にわたったのではと、私は考えました。その根拠となった記述は、小林登志子氏の『古代メソポタミア全史』の248頁の記述、「前597年、エルサレムを陥落させ、ヨヤキン王(前598-597年在位)と有力者など数千人をバビロンに連行した。これが第一回バビロン捕囚である」。
 なぜ、1度を2度に分けたのかと、弁明しますと、父王のエホヤキンを殺害し、長男のエコニヤの名をエホヤキンに改めさせ王位に就けたのはネブカドネザル王だからです。それが前年の598年です。そして、翌年の597年に弟のマッタニヤをゼデキヤと改名させ王位に就けています。しかし、兵站のことを考えれば、大軍を率いてユーフラテス川を2往復するのは経費がかかりすぎます。分散して連行し、兵士は、近隣の平定した国に待機させたのではないかと愚考したわけです。地図を見ていただければ、おわかりになると、思いますが、バビロン(現イラク)とエルサレムとはかなりの距離、約1600㌔あります。直線距離だと、6日間で移動できたそうですが、その場合は、砂漠地帯を横断しなくてはなりません。肥沃な弦月地帯と呼ばれる緑地を歩兵もいる大軍で移動すれば、どのくらいかかったのでしょうか?
 ネブカドネザル王は在位8年目にエルサレムを破壊しました。だとしたら治世の第2年に、ダニエルが王に謁見し、カルデア人の知識人の命を救うことはどう考えても不可能だと考えるわけです。信仰なき者の揚げ足とりだと思われても仕方がないのですが、こうした細部のことが気にかかり無為のうちに時間ばかりが過ぎました。
 話をもとに戻しますと、当時、美少年は美女より価値がありました。創世記にも、美形だと勝手に想像する天使2人が神に忠実なしもべであるロトのもとを訪れたとき、近所の男たちがロトの家に押しかけてきます。19章4節から5節です。「ソドムの町の人びとは、若い者も老人も、民がみな四方からきて、その家を囲み、ロトに叫んで言った。『今夜おまえの所にきた人びとはどこにいるのか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう』。
 これって紹介してほしいと言ってると思いがちですが、あとにつづく文章を読むと、そうじゃないとわかります。ロトは天使たちの身代わりに、自分の2人の娘を差し出そうとするのですが、男たちは、「どけ!」と言って、ロトに迫ります。「おれたちのすることにあれこれ口出しする余所者のおまえが気にくわん。何様なんだよ」というようなことを言って、ロトを袋叩きにしようとしますが、天使たちが彼を救います。
 私がロトの娘だったら、襲ってきた連中ではなく、父親に腹を立てます。いくらイケメンでも突然やってきた客のために、わが娘を好き勝手にしていいという考え方についていけません。
 またもやくだらい話をだらだら書きましたが、ダニエルは悪名高いバビロン捕囚のあった年よりも早くに、なんらかの事情でバビロンの王宮に出仕していたと仮定します。15歳で行き、3年後だと18歳くらいでしょうか。ネブカドネザル王と2歳差であったとしたら、統治期間が43年あったとされる王が死亡したとき、ダニエルは60代です。それから23年後、前587年にバビロニアはペルシアに敗れます。このときすでに80歳をこえていますが、ダニエルは、ペルシアのキュロス王に取り立てられて、宮廷で最高位の地位に就きます。
 そして、キュロス王が王位についてすぐに帰還を許された写字生(=書記官)のエズラは4万を越える同胞を率いてエルサレムへと旅立ちます。このエズラを、ダニエルは見送ったことになります。いまでも90歳を越えて、元気な方がおられるので一概には断定できませんが、ワタシ的には、計算が合わないと思ってしまうのです。ほんまはいつ、バビロンへ行ってんと言いたくなります。疑問符はついていますが、ヴェーバーの年表では、エズラの帰還は前458年と記載されています。エルサレムが陥落した年の前587年から帰還した年の前458年を引くと、129年になります。単純計算で、ダニエルは百歳をはるかに越えていたことになります。
 わけがわからん。
 長じてのちのダニエルはおそらく宦官であったと思われます。美少年も賞味期限をすぎると、多くは雑用係の宦官となります。そのため、毎年、一定数の少年たちが服属国から献上されていました。ダニエルも閑職についた時代が長かったのではないでしょうか?
 無駄話にお付き合いくださり、ありがとうございました。
 なお、引用させていただいた書籍につきましては、駄作の最後に記載いたします。地図を載せたいのですが……。


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