小説|『棄てて拾って』⑤

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《目次》

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その知らせを、俺はたっくんからの電話で聞いた。
「……………………………えっ?」
瞬間、スマホが手から滑り落ちた。
ゴトンッ!
思ったより大きい音がして、ハッとした。
「健太ー?どうしたー!」
一階のリビングから、おふくろが心配して呼び掛けてくるのに「なんでもないー!」と答えようとして、
「あっ……。」
代わりに涙が出た。
膝から崩れ落ち、現実感の喪失した視界が滲んでゆく。眼前に並んだものが段々と消失していく。
浮遊感を知覚し、自分が何処にいるのか解らなくなる。
「……なん、で。」
それはどちらの声だっただろうか。
色付く世界が崩壊し。

目の前には、あいつがいた。



俺は昔から、周りに変わっていると言われ続けてきた。
それを、気にしなかったはずがない。
小学生の時、『昔遊び』という活動でけん玉の魅力にハマった。理由は、名前が似ているから。俺が極めてあげなきゃと感じた。
一日中練習した。
授業中に練習していたら、取り上げられた。次の日、新しいけん玉を持ってきて授業中ずっと練習してやった。
そうしたら、先生はそれも取り上げてきた。
家でも練習していて、ご飯を食べなかったら取り上げられた。だから、ご飯を二度と食べないことにした。
そうしたら、一日くらいでおふくろが泣きついてきたから、ご飯を食べた。
ずっと練習していた。そういえば、その頃の夢は年末の某歌番組の、けん玉ギネス記録の企画に参加することだった。
だから、ずっと練習していた。もしかめや日本一周なんて序の口。レジェンドとかいう高難易度技もマスターした。
そうしたら、友達がいなくなった。
でも、その時の俺は気にしなかった。
中学生の時、サッカーにハマった。
小学生の中頃から友達がいなかった俺は、サッカー部で上手くコミュニケーションが取れなかった。
そうしたら、いじめられた。
でも、サッカーは楽しかった。顧問のいる前では、みんな俺にパスをくれたから。だから、けん玉の時みたいに練習した。
そうしたら、レギュラーになった。
でもある日、後輩に言われた。
「先輩、必死過ぎじゃないっすか。」
「えっ?」
「だって、そんな毎日ぶっ倒れるまで練習して。顧問へのアピールはもう十分なんで、そろそろ後輩にも試合に出る機会を下さいよ。」
ニヤニヤと笑われながら肩に手を置かれた。そして、思いっきり強く掴まれた。
「痛っ」
「じゃあそこんとこ、お願いしまァーす。」
よくわからなかったが、ムカついたからボコした。
そうしたら、そいつ、全治一月で病院送りになった。
そうしたら、教師共に何度も怒鳴られ、停学になった。
復学した。俺はまた、楽しくサッカーが出来ることに喜びを覚えていた。上機嫌のまま、部活に行った。
そうしたら、サッカーが楽しくなくなった。
誰も俺にパスをくれない。それを顧問でさえ見て見ぬふりをしていた。紅白戦をしていると、俺が病気送りにした後輩が言うのだ。
「先輩そろそろ交代の時間っすよ。」
「交代するのは、俺じゃないぞ。」
確かボードには、交代するのは俺じゃなくて、俺とタッグを組んでいた一年のもう一人のセンターバックだったはずだ。
「いやいや、おれが見た時は、先輩が交代になってましたって。早く代わってくださいよォ。」
しかし、俺が試合をしているうちに変更があったのかもしれない。イマイチ信用できなかったが、渋々俺はゼッケンを脱いだ。
コートから出て、ボードの前に戻ると、やっぱり交代するのは俺ではなかった。
ムカついたからまたボコボコにしようとしたが、停学になった時のおふくろの泣き顔を思い出して我慢することにした。
その後は同じようなことが繰り返され、次第に俺の居場所がなくなっていくような感覚を覚えた。
だから引退直前で、部活を辞めた。
そうしたら、部活が支部大会で優勝していた。
次にハマったのは、勉強だった。
高校受験は、俺にとってゲームだった。毎日の勉強でレベルを上げて、模試でランク戦をする。待ち受けるのは都大会である入試。ワクワクした。
そうしたら、某高偏差値都立高校に受かった。
………………ぜんぶ、よくわからなかった。
なんでみんないなくなってしまったのか、なんでいじめられたのか、なんで教師に怒られたのか、なんで後輩にあんなことされたのか。
なんで、おふくろの泣き顔に心動かされたのか。
わからないことだらけだった。
ただ、俺がおふくろのことを大事にしてることは分かった。だから、おふくろを悲しませるようなことはしないようにしようと思った。
まずは、友達を作ろう。部活に入ろう。勉強を頑張ろう。ご飯はちゃんと食べよう。おやじとは仲良くしよう。急に暴力を振るうのはやめよう。何かに没頭するのはやめよう。俺が、俺でいるのをやめよう。
そうしたら、世界が白黒になった。



あいつとたっくんとは、高校の最寄駅から校舎までの道のりで出会った。
前を歩く二人組をみていた。二人共仲が良さそうで、とても楽しそうだった。俺も、あんなふうになれたら、おふくろは喜ぶだろうか。
そう思いながら、ぼーっとその後ろを歩いていたら、二人組のうち片方が俺に気づいた。
「ぷっ!」
吹き出された。
その様子を見てもう片方もこちらを見て、
「はははははははは!!!」
大声で腹を抱えて笑い始めた。
はて。俺に何処か可笑しいところがあったか?
疑問に思いつつ沈黙を守っていると、最初に吹き出した方がニヤニヤしながら肩に手を置いてきた。
イヤな思い出が頭をよぎって、身体が強張る。
「オマエ………。」
ゴクリ。
なんせ初めての同じ高校の制服を着た人との接触だ。これで失敗したら、この先ずっと友達ができないかもしれない。

「センス抜群だなぁ!!」

「えっ?」
あの時と同じ反応。驚いたのは同じだが、続いて湧いた感情は違った。
「センス?」
今まで、そんなこと言われたことなかった。
「え、お前、高校デビューってやつ!?」
もう一人に食い気味に聞かれたので、「ああ……。」と答えたら更に爆笑された。
「もしかして俺、おかしなところでもあるのか?」
「いやいや、うちの学校頭髪検査あるんだぜ?」
「はははは!!それなのに、リーゼントで初日から来るって!」
しまった。高校デビューは金髪かリーゼントだって漫画に書いてあったからリーゼントにしてきたが、現実の高校には頭髪検査なるものがあるのか。
これは初日からやらかしてしまった。どうしよう。
急いでトイレに駆け込んで落とすしかない。しかし、もう同じ学校の生徒に見られてしまった。密告されたらひとたまりもない。リーゼントを落として濡れた髪ですぐにバレてしまうだろう。
「すまんが、俺のリーゼント、教師には黙っててくれないか?代わりになんでもしよう。」
二人は顔を見合わせて笑い合い、口を揃えて言ってきた。
「「じゃあ、僕(オレ)達と」」
友達に、なろうぜ。



思えば、あの二人が初めてだったのかもしれない。俺が変わっていることに対して、初対面からポジティブに捉えてくれたのは。
二人は俺の変わっているところを『個性』として受け入れて、肯定してくれた。
そして気づいた。俺は、俺すらも自分の『個性』を否定してしまっていたことに。
俺は二人と関わるうちに、自分の居場所を見つけた気がしたんだ。
そうして、世界は再び色付き始めた。



「うぉぉぉ!!たっけー!」
たっくんが、子供のようにはしゃぐ。
その姿に僕は苦笑いを浮かべた。
「たっくん、はしゃぎすぎだろ。」
「お前がそう言ってられるのも、今のうちにだぞ?ははは!!人がまるでゴミのようダァ!!」
頭上から上機嫌なたっくんの声が響く。
あまりのはしゃぎように、みんなこっちを見てる。ほら見ろ、あの生暖かい視線を。こっちまで恥ずかしくなってくる。
高校一年の九月。
僕達は、十月に迫る体育祭に向けて授業内で騎馬戦の練習をしていた。
つい先日、体育祭実行委員によって各種目の参加者やクラス競技の役割についてホームルームで話し合いが行われた。
その中で僕が最も注目していたのは、騎馬戦である。なにせ、中学時代にはなかった競技だ。確か、競技の危険性から僕達の一つ上の代からなくなったらしいが、中学一年の時にこの目に焼きついたあの迫力のある光景は忘れられるはずもない。
騎馬戦は男女分かれて行うクラス競技だそうで、騎馬と騎乗者をまず決める必要があった。そこから騎馬三人、騎乗者一人の四人グループに分けていくのだそうだ。
もちろん、僕は騎乗者に名乗り出た。
勢いよく手をあげ、横を見るとたっくんも手をあげていた。お互い考えは同じだったらしい。
無事騎乗者が決まり、四人組が決定。それ以来、全員リレーや大縄跳びといった他のクラス競技は練習があったものの、騎馬戦の練習はこれが初めてだった。
「よし、俺達もやるぞ。」
そう言って僕の前で屈み、背中越しに悪戯っぽい笑みを浮かべたのは、高校からの友達で体育祭実行委員の一人であるケンちゃんだ。
出会った当初は持ち前のコワモテ顔でしかもあまり笑わないので、近寄り難い雰囲気を発していた彼も、だいぶ丸くなったというか。たっくんに似てきたか?
「よっしゃ。組み上げろ!僕の騎馬たち!」
「「「おうっ!!」」」
なんてノリのいいヤツらだ。
「たっくんに突撃だーー!!」
「「「しゃあっ!!」」」
なんだろう。ちょっと目線が高くなっただけなのに、すっげえ気持ちいい。認めたくはないが、たっくんの気持ちがめっちゃわかってきた。
「たっくん、覚悟_________!!」
僕の三人の騎馬のうち、正面に位置し背中で僕を支えるケンちゃんが吠えた。
騎馬戦の基本ルールはいたって簡単。相手の騎乗者が被っている紅白帽を毟り取ってやるのだ。それで紅白帽を取られた騎馬は失格。取った方に一点が入る。
今回の体育祭では、騎馬戦は三番勝負となる。初めの二番で、自クラス相手クラス共に男女五騎ずつ参加して乱戦形式で勝負し、最後の大将戦で大将騎馬が相手の大将騎馬と一騎打ちをする。
これらの得点の合計により、順位が決定する。三番勝負の影響で時間がかかる為、騎馬戦は全クラスと戦うわけではなく、六クラスのうちどれか一クラスとのみ対戦することになるので、どのクラスと当たるかも重要だ。
「甘いぜ!」
そう言って僕の紅白帽に手を伸ばしてくるたっくんを躱し、すかさず伸ばしてきた手を掴み取る。これでヤツの手は残り一本。
「とったっ!」
身体を傾けて手を伸ばし、たっくんの紅白帽に届きそうになった瞬間。
「もらいー!」
僕達とはまた別の騎馬に、僕は紅白帽を奪い去られた。
驚きと共に振り返ると、そこには同じサッカー部で次期キャプテン有力と言われている環太郎こと、カンちゃんが騎乗者として居た。
「視野が狭いぜってな!」
「ひ、卑怯だぁ!」
カンちゃんは別クラス。つまり、いずれ敵になるかもしれない相手だ。
僕は無言でたっくんに目線を送った。「やっちまえ。」と。
いずれ乗り越える壁。その実力を今ここで測ってやろう。
たっくんは無言で頷き騎馬を前に進ませた。
「こいつの仇、オレがとってやるぜ。」
「やる気だな、拓海。いいだろう。」
二つの騎馬が今、衝突する_________!



「茶番だな。」
昼休みの教室。
「おいィ!オレをそんな冷めた目で見るなぁ!?」
ケンちゃんの酷評に、たっくんが泣きそうな顔で反応する。たっくんが泣きそうなのは、ズバリ、カンちゃんとの取っ組み合いで落馬した傷からなのだが。
幸い大きな怪我はなかったものの、危険だからとたっくんとカンちゃんはその授業中ずっと騎馬に乗らせてもらえなかった。
とはいえ、「やっちまえ。」とたっくんをノせたのは僕である。ケンちゃん程ズバズバ言うことには罪悪感があった。
「まあ、気にすんなって。熱くなり過ぎたのはオレだし。」
いつもは鈍感なクセして、たまに察しがいいたっくん。
「ごめん。僕もはしゃぎ過ぎてた。」
よかった。ちゃんと謝れた。
たっくんは僕の背中をバンバンと叩き、
「やっぱりな!お前も本当は結構気持ちよかっただろ!」
なんて、笑いながら言ってくるものだから、いつものように毒気を抜かれた僕は「でもまあ、よく『人がゴミのようだ!』なんて恥ずかしいセリフ言えたもんだよな。」とたっくんをいじり始める。
「あぁぁぁ!それは言わないでぇ……!」
よっぽど恥ずかしいのか、たっくんにしては珍しく顔を赤面させる。
「そ、それより今日の昼休みに騎馬戦の対戦相手決定なんだよな!どこのクラスと当たんのかなぁ!?」
捲し立てるとはこのことか。話題を変えようとしているのがバレバレな辺り、たっくんらしい。
「ああ。もう昼休みも終わりが近いし、そろそろ戻ってくるんじゃないのか?」
ケンちゃんも流石にこれ以上追及することはやめたようだ。
「あ、噂をすれば。」
「ほんとだ。」
僕が教室に戻ってくるもう一人の女子の体育祭実行委員の姿を捉えると、ケンちゃんもそれに気づく。
「俺、ちょっと聞いてくるよ。」
そう言って体育祭実行委員の女子に話しかけ、一言二言言葉を交わしてからケンちゃんは僕達のところに戻ってきた。
ケンちゃんは少し、険しい顔をしている。
「どうした。どこのクラスと当たったんだ?」
たっくんがワクワクといった感じで尋ねる。
「………六組だ。」
「マジか。」
「えええ………。」
これも運命というヤツか。
僕達一組の相手は、六組。
_______________カンちゃんのいるクラスに決定した。



それ以来、たっくんの闘争心に火がついた。
我こそは体育祭実行委員だと言うようにクラスを仕切り出したたっくんは、自らを『軍曹』と呼称し、ありとあらゆる休み時間と放課後を活用して、体育祭のクラス練習を開催した。
「お前らまだまだそんなモンじゃねーだろ!」
「「はいっ!!軍曹!」」
練習は騎馬戦に限らず、全員リレーや大縄といったクラス競技、果ては個人競技の練習会まで開かれている。
昼休みの校庭。
今は大縄の練習をしているところ。
たっくんが縄を回す役の男子二人にちょうど檄を飛ばしていた。
「ちっげーよ!返事は『サー、イエッサー』だって何べんも言ってるだろーが!」
「「す、すみません、サー!」」
「さあ、言え!」
「「さ、サー……?」」
「ちっげーよォ!『サー、言え!』じゃあねーんだわ。つまんねーボケやってないで、早くさっきの続きだ!」
「「サー、イエッサァー!!!」」
クラスからは、既に『鬼軍曹』というあだ名がつけられた。
鬼軍曹は、ラグビー部の屈強な男二人の肩を叩くと、クラスのみんなにも一声かけてから跳ぶ人の列に戻った。
「「「「せーのっ!」」」」
いーち!、にー!、さーん!。
再び跳び始めるる我ら一組の大縄壱番隊。ネーミングはもちろんたっくんによるものだ。
ソレを見ながら、
「……暑苦しいな。」
と呟くのはケンちゃんだ。
残暑も厳しい今日この頃。本日の最高気温はなんと三十度だという。九月といえば、もう秋の気分なのだが、地球温暖化も困ったもんだ。
「あの中に混ざりたくねー……!」
汗が滴るのをタオルで拭きながら、僕もケンちゃんに同意する。
そして、温暖化をフルスロットルで加速している鬼軍曹の周囲は、既にサウナ並みの熱量だと推測される。
数分が経過し、
「よし、弐番隊!」
壱番隊の練習が終わり、呼ばれたのは僕達弐番隊。
大縄は、クラス四十人を二つに分けて行い、二つのグループの合計点で勝敗を決するというルールなのである。
たっくんの熱気から解放され、三十度に迫る気温の中で『整っ』ている壱番隊を横目に、僕達は四セット目のサウナに進軍する。
「よし来たなお前ら。」
たっくんが仁王立ち腕組みをしながら振り返る。
「いいか!!お前達は虫ケラだ!跳べない虫ケラは、虫ケラ以下だ!いいか、跳べ!!跳んで己の存在を証明してみせろ!!!」
「「「「サー、イエッサー!!!」」」」
色々とツッコミ所のある論理を至極真剣な表情で熱弁する我らが軍曹。
ここで、「虫ケラってそもそも跳べるんですか?」とか、「虫ケラ"以下"なら虫ケラも含まれる気がします(笑)。」とか水を差すのは野暮だろう。
回り始める大縄。
緊張感の中、縄を跳びながら目の前に居るケンちゃんに話し掛ける。
「僕、最近まじでたっくんの二重人格を疑ってきたんだけど。」
「奇遇だな。俺もだよ。」
じゅうろーく、じゅうしーち、じゅうはーち。
そうこうしているうちに回数が重なり、ニ十に到達する寸前。
「あっ!」
女子が一人縄に引っ掛かり、回数が途切れる。引っ掛かった女子は転んで膝を擦りむいた模様。
シン、と。周りが静かになる。
カツカツと大股でその子に近づいていくたっくん。今までの鬼軍曹ぶりを思い出したのか、ビクッと身体を震わせる女子生徒。
僕達は何もしない。
なぜなら、それが不要だからだ。
たっくんは、座り込んでいる女子のそばに辿り着くと、しゃがんで言った。
「大丈夫か?」
さっきまでの鬼の形相はどこへやら。
溢れんばかりの慈愛の瞳で女子生徒を見つめ、少し枯れた優しい声で話しかけると、立つのを助けるために手を差し出した。
「あっ、うん……。ありがとう。」
たっくんは女子生徒を立ち上がらせると、まだ頑張れるかどうか、練習量がきついかどうかを聞いて優しく水道へ誘導する。
やっぱり不要だった。
たっくんは例えヒートアップしていても、相手のことを気遣ってやれるヤツなのである。だから、高校入学してから半年くらいなのに既に彼女ができているのだ。やりおる。
それにしても、
「俺、最近まじでたっくんの二重人格を疑っているのだが。」
「奇遇だな。僕もだよ。」
ケンちゃんとの本日二回目のやりとり。
二人して二重人格について真剣に考え始めながら、女子生徒についていった軍曹の帰還を待つのだった。



「んー、まあ、切り替え?」
「人格の?」
「なーに言ってんだ。どこぞの千年なパズルじゃないんだわ。仮にもみんなを仕切ってるんだから、オレが冷静さを失っちゃダメだろ。」
食い気味に問い詰める僕に、たっくんが至極真っ当そうに返答してくる。
昼休みの一件があったその日の放課後。
今は部活がオフな人達で自由練習を開催していた。つまり今日は水曜日なワケだが。たっくんは、普段は運動部が占領している校庭の一部を使うために、予め運動部の顧問に許可を取っている。事前準備もバッチリなたっくんはデキる男だ。
「お前ってほんっとごく稀にだけど、良いこと言うよな。」
「まるでオレが普段は大したこと言ってないみたいじゃねーかよぉ〜?」
「その通りじゃん。」
「なにィ……!」
順番は、ケンちゃん、たっくん、僕、たっくんだ。
「おーい、健太達ー!揃ったぞー!」
声がかかる。
揃ったというのは、僕らの騎馬達のことだ。
「よし、始めようか。」
ケンちゃんがやる気満々そうに指を鳴らす。
「っしゃあ!やりますか!」
僕も同意して待っている三人の方へと走り出す。
やる気満々なのは僕も同じだ。なんて言ったって、騎馬戦はカンちゃんのクラスと当たるんだ。その後の話し合いで僕達の騎馬が大将になったことだし、まず間違いなくカンちゃんの騎馬と戦うことになるだろう。
たっくんは大将やりたそうだったが、騎馬にケンちゃんと大縄で縄を回すラグビー部二人がいることで、戦力を考えて譲ってくれた。
その思いも背負っているんだ。うちのクラスは、たっくんだけじゃないってところを見せてやらないとな。
で、しばらく経って。
「やっぱ重いか……。」
「機動力が削がれるのがなぁ。」
「持久力がないのも地味にキツイし。」
「う、うーん……。」
何が重いってこの雰囲気_______ではなく、僕の体重の話だ。
身長もそこそこあって、サッカー部で筋肉もそこそこ付いている僕は、それ相応の体重があったらしい。
騎馬戦には騎乗者の筋力や身長も必要だが、やはり体重も重要な要素となる。なにせ、騎馬の機動力、持久力に関わってくるからだ。
それに比べてケンちゃんは高身長かつ痩せ型で、体重がとても軽い。本人は中々筋肉がつかないことに悩んでいるようだが、僕にとっては贅沢な悩みである。
つまるところ、筋力はあるが体重が重い僕ではなくて、筋力は若干僕に劣るが体重は圧倒的に軽いケンちゃんの方が、騎乗者に適任ではないかという話をしているのだ。
「でも、お前は騎乗者やりたいんだろ?」
曖昧な返事でお茶を濁していた僕に、ケンちゃんが真っ直ぐ僕を見つめながらそう問いかけた。
それに曖昧に頷く。
「うん……。でも、勝つならケンちゃんの方が適任かなとは思ってる。」
うーん、と唸って黙り込む四人。
解っている。これは僕を気遣ってくれている。ここでハッキリとケンちゃんを騎乗させようと言ってしまえば、それでもう決まりなのに。
彼らは、きっと僕がやりたいと言ったらやらせてくれるだろう。でもそれはクラスの勝利のためにはおそらくならない。
わがままなエゴを通してクラスの足を引っ張るのか?ただでさえ普段から足を引っ張っている僕が?
そうだ、ここはみんなを優先すべきなんだ。
「一回持ち帰って考えてみようぜ。ここで悩んでても何にもならない。筋力はこいつの方が上な訳だしな。」
考え込んでいる様子を見て、ケンちゃんが口を開く。
「そうするか。」
「そうだな、また明日の昼休みに話し合うってことで。」
二人が同意したので、僕も頷きその場は解散した。
_______________その、帰り道。
「お前は、どうしたいんだ?」
「え?」
僕とケンちゃんは、二人で学校から最寄駅までの道のりを歩いていた。
たっくんは最終下校時刻ギリギリまで熱血指導を続けるというので、二人だけで先に帰っているのだ。
「だから、騎乗者をやりたいのか、やりたくないのかだよ。」
ケンちゃんの真剣な眼差しに狼狽える。
「いや、それはやりたいけど。でも___」
僕が話を繋げようとしたのをケンちゃんは「あーーー!」と無理矢理遮った。
「まじでそういうのいいから。こっちはやりたいかやりたくないかを聞いているんだよ。」
いつになく感情を露わにし、雑な言葉遣いで話すケンちゃん。
「でも、僕がクラスの足を引っ張る___」
すると、また「あーーーー!!」とケンちゃんは話を遮ってくる。
その態度に僕もカチンときた。
「なんだよ、いちいち話遮ってきやがって!」
思わず大声で文句がこぼれた。
「話?それは口実のことか?」
「口実……ってなんだよ。」
ケンちゃんはわざとらしくため息をつくと、
「だからそれは、騎馬の上に乗ることから逃げるための口実のことか?と聞いたんだ。」
「な、に……?」
ケンちゃんが急に何を言い出したのかさっぱりわからない。僕が騎乗者をケンちゃんに譲るのは、クラス一丸となって勝とうとしているみんなに、僕のエゴで迷惑をかけたくないからなのに。
僕はただ、みんなのために!
「お前は自分に自信が持てないんだ。大将の重圧に屈し、ただ逃げているだけなんだよ!」
「っ……!!」
言われて、ハッとした。
こんな僕が、ただでさえいつもみんなの足を引っ張っているこの僕が、さらに足を引っ張ってしまうのではないか。
そうしたら、みんなにどう思われるだろうか。
失望されるだろうか。
築き上げてきた『僕』が崩れてしまうのではないか。
それが、怖かった。
そんな思いが心の奥底にあることを自覚する。
「______誰かの為に。」
ふと、さっきとは打って変わって落ち着いた様子のケンちゃんが、空をぼぅと見上げながら呟いた。
「?」
「そんな思わず縋ってしまいたくなるような幻想で心の声を覆い隠して、自分を棄てて生きても、幻想はお前を救ってはくれない。」
その言葉は、妙に有無を言わせぬ説得力があって、
「ケンちゃん………。」
数秒の間、何かに耐えるように立ち止まり、目を閉じていたケンちゃんは、明るい声色で言った。
「それにホラ、自分から騎乗者に立候補したのは、お前とたっくんだけだっただろう?騎馬の上に乗る勇気もなかった俺達に、お前達を非難する資格はないんだ。」
………。
「むしろみんな尊敬して、信頼して任せているんだ。安心しろよ。もし、文句を言うやつがいたら俺達がついている。」
任せろ、と。ケンちゃんはポンと自分の胸を叩いて宣言してみせた。
その痩せ型だけれど、頼もしい姿に安心感が全身に広がった。
「ケンちゃん……。ありがとう。僕やっぱ騎乗者やりたい。」
「うむ。なーに多少の重さくらい、気力でなんとかしよう。こちとら、鬼軍曹にシゴかれてるのだからな。」
「ケンちゃん………!!」
やっばい。ケンちゃん頼もしすぎる。惚れるわー。
あれ、なんかケンちゃんが複雑そうな顔をしてこちらを見ている。
「どうした、ケンちゃん。」
「いや、とても真剣な話をしていたから敢えて言わないでおいたが、」
「??」

「ケンちゃん呼びはヤメロって何回も言ってるだろうが!最後の方はわざとだろう!」

やべ、バレてたか。
「いや、あれだけ言っても無反応だったし、もう大丈夫になったのかなーと。」
「そんなわけがあるか!あんな小学生のような可愛らしいあだ名……!」
ホント、コイツはなんでこんな些細なところにいちいちこだわるのか。
解せぬ。



そして迎えた体育祭当日。
一学年八クラスを東軍と西軍に四クラスずつ分けて東VS西の様相を呈する体育祭だが、その勝敗より重要なモノがある。
それは、学年順位。同学年八クラスの得点順位である。この結果如何によってこの先数週間の自クラスの扱いが大きく変わるといっていい。一位のクラスは他クラスから羨望の目を向けられ、最下位のクラスは他クラスから嘲笑されネタにされる。とは、部活の先輩の経験談だ。涙ながらに語ったあの人のクラスが、去年何位だったかは言及すまい。
「よし、円陣だ。」
そろそろ開会式の時間が近づいてきたところ。
たっくんが一声かけると、教室内で談笑していたクラスのみんなの顔が引き締まり、円陣を組み始める。
「今日この日の為に、今まで頑張ってきたんだ。こんなオレについてきてくれて、ありがとう。」
そう言いながら、すでに涙目なたっくんは、少し震える声で。滲んだ瞳でクラスの一人一人を見た。
「泣くのはまだ早いぞ。」
ケンちゃんがたっくんにハンカチを差し出す。
「あぁ、そうだな。よし、いくぜ。」
互いに肩を組み合う。
そして、
「行くぞお前らァ!!」
「「「「サー、イエッサァー!!!!」」」」
僕たちの体育祭の始まりだ!



「いけェーー!!たっくーーーん!!」
全員リレーがあったり、
「「「「いーち、にー、さーん!」」」」
大縄跳びがあったり、
「オイ、借り物『好きな人』なんてむず過ぎだろぉーー!!」
借り物競走があったり、
「ケンちゃんぶっちぎれー!!」
その他距離走があったりと順調にプログラムを消化していく体育祭。
午前の部が終わり、我らが東軍が優勢。学年順位では二位という好成績を修めている。いよいよ午後の部最初の競技は騎馬戦だ。クラス競技は点数の変動が大きいため、騎馬戦での成績が最終結果に大きく結びつく。
特に、現在学年順位一位のクラスはカンちゃんがいる六組だ。騎馬戦でも直接当たることになるので、ここで勝利できると順位が逆転する。
入場門付近に並ぶ僕達。
「よう、お前が大将なんだって?」
肩に手を置かれ、驚いて振り向くとカンちゃんがいた。
「そ、そそそそうだけどっ!?」
「緊張しすぎだろ!?まあ、お互いろうぜ。」
それだけ言ってカンちゃんは自分のクラスの方へ去っていく。
いよいよ始まる。それが実感できて、否応なく緊張する。
震える手をもう片方の手で押さえた。やばい、こんなに緊張したのは、はるちゃんへの告白以来かもしれない。
アナウンスがあり、僕達は入場を開始する。
移動が終わってみんな位置につき、第一戦が始まろうとしていた。第一戦は男子の出番だ。
「たっくん、頑張れよ!」
騎馬に乗り前に見据えるたっくんに声をかける。先程まで静かに闘志を燃やしていた彼は、僕の声にビクッと肩を振るわせた。
「お、おおおおうっ!?あ、あったりまえだ!」
サムズアップする親指は、ブルブル震えていた。
そんな、今までの自信家ぶりはゴミ箱に捨ててきてしまったかのような、あまりに過剰に緊張している姿にこっちが毒気を抜かれてしまった。
周りが熱くなりすぎると、逆に冷静になる時のあの感じ。気づいた時には、緊張はおさまっていた。
「オマエ、緊張しすぎだろ!」
「む、武者震いじゃいっ!」
必死な姿に笑いを堪える。
それをたっくんが恨めしそうに睨みつけてくる。
それに、ついに笑いを堪えきれなくなって吹き出した。
「ぷフッ!」
「前から思ってたけど、その、ちょっと気持ち悪い吹き出し方なんとかならねーのかよ!?」
ごめんごめん、と適当に謝る。
そして、どうにか笑いを抑えると、少しジャンプしてたっくんの背中を叩き、
「大丈夫大丈夫。オマエらが負けても、女子と大将が勝って、どうせ勝つんだから、そんな気負うなよ。全勝じゃなくなるだけだ。」
さっきのお礼に激励をしてやった。
それにたっくんは、不満げに口を尖らせると、
「負けねーし。男子女子で勝って、大将戦の意味なくしてやるよ。」
そう、この騎馬戦のルールには、ちょっとどうにかならないかなと感じてしまう点が一つある。
それは、もし男子女子の第一戦と第二戦に両方勝利してしまうと、大将戦の勝敗が結果に関与しなくなってしまうのだ。
コレ、負けが確定したクラスの大将ってどんな気持ちで戦ったらいいんだ……。
「それでは、第一戦を始めます。」
アナウンスの声が校庭に響く。
「やれるモンならやってみろよ。」
「任せろ。」
サムズアップを再びキメるたっくんの親指は、もう震えてはいなかった。
第一戦が、始まる。



____________その結果。
第一戦は男子が勝利した。特にたっくんの活躍は獅子奮迅といったところで、クラスのみんなを鼓舞しながら、相手の紅白帽をクラスで一番多く取っていた。
このまま第二戦の女子も勝利してくれたら僕達の気が楽だったが、そう上手くはいかず六組女子に敗北。
そして、勝負の結果は大将戦に委ねられることとなった。
「緊張しているか?」
下から、ケンちゃんが聞いてくる。
それに僕は苦笑した。
「さっき、たっくんがバカみたいに緊張してるの見たら、なんか気が抜けた。」
ケンちゃんが笑うのがわかる。
「あいつらしいな。実は本番に弱いところ。」
「いやでも、肝心な時はやるヤツなんだよなー。」
不思議なヤツだ。
「そうか?」
ケンちゃんの何処か含みを持った声がする。
「なんだよ。」
「いや、実は本番に弱いあいつが、どうして今まで肝心な時に頑張って来れたのか。案外、その張本人は気づいていないものだなと。」
「?」
何を言っているんだ?
僕が首を傾げると、顔が見えなくてもその様子が伝わったのか、ケンちゃんはまた少し笑った後、黙り込んでしまった。
「それでは、大将戦を始めます。大将騎は位置について下さい。」
「よしきた。」
ケンちゃんが中心となって騎馬を進める。前からは、カンちゃんが乗った騎馬が段々とこちらに近づいてくる。校庭のトラックの中心。相対する両騎の距離がおよそ十メートル程になったところで、騎馬は止まった。
唯一同じ目線に居るカンちゃんは、余裕そうな笑みを浮かべている。確かに、サッカーではカンちゃんやたっくんの方が実力は上だ。僕は未だに一番下のチームなのに、ヤツらは一つ上のチームに上がっている。恐らくその事実が彼に余裕を生んでいるのだろう。しかしそれは、油断とも言える。
(サッカーの実力や身体能力の違いが、戦力の決定的差でないことを教えてやる……!)
「大将戦、開始_________!!」
「いくぜ!!」
アナウンスと共に、カンちゃんの騎馬が正面から向かってくる。
「三人とも、準備はいいか?」
「祝勝会の金は持ってきているぞ。」
確認すると、ケンちゃんがボケてきた。
「そうだな。祝勝会でたらふく食えるように、食前の運動といこうぜ!」
「「「おうっ!!」」」
再びカンちゃんを見据える。
絶対勝ってやる。その気持ちを込めて、思いっきり叫んだ。
「かかってこいやぁぁぁああああ!!!」



で、負けた。
うん。
いやホント、勝つ雰囲気出してたのに面目ない。
でも、
「どんまい!こっから巻き返そうぜ!」
「しゃーなししゃーなし。切り替えよう!」
「惜しかったね!」
カンちゃんに紅白帽を取られ、俯き加減にみんなの元に戻ってきた僕を、みんなは温かい言葉で迎えてくれた。
………なんか、僕が一人で被害妄想してたのがバカみたいだ。
「みんな………ありがとう……。」
感極まって泣き出した僕をみんなが取り囲む。
「大丈夫か!?」
「どうした!?」
「ううっ。だ、大丈夫……。」
(あぁ、よかった。)
たっくんがいて。
ケンちゃんがいて。
こんなに暖かいみんながいる。
このクラスで、よかった。



俺は気づいていた。
あいつは、部活で悩んでいた。
たっくんは、きっとあいつと同じような種類の、部活での挫折を味わった経験がないから気づいていないようだった。だが、たっくんからあいつの部活での様子を聞き、あいつからもそのことについて聞き出すうちに俺は気づいた。
あぁ、これは俺と同じだ。
それと共に、何処か既視感を感じた。そして、去年の体育祭を思い出した。あの時も、あいつは自分を無理に抑え込んでいた。
ことの発端は、たまたまたっくんから聞いた話だった。とある一年生が間違えてあいつが試合に出る時間に試合に出てしまって、意図せずあいつの出番を奪う形になったらしい。少ししてからたっくんがそれに気づいて、あいつに教えたそうなのだが、あいつはその一年生に声を掛けて試合に出ることをせず、「もういいよ。」と投げやりな感じで結局その日は試合に全く出なかったそうなのだ。
俺はすぐさま、中学時代のサッカー部の後輩との出来事を思い出した。状況が酷似していたのだ。
直感的に、あいつは何か悩みを抱えているのではないかと考えた。それはきっと今の俺が、中学時代の俺は言葉にできない思いを抱えていたことが分かるからだった。
だが不可解なのは、これが二度目だということだ。
そう、二度目。体育祭の時、二人で話して乗り越えたのではなかったのか。
同じことが繰り返されるのには、何か理由があるのではないか。何かあいつの根底に根付いているモノが、一度乗り越えてもまた同じものを生み出し続けている、そんな気がした。
体育祭の時、俺が言うべき言葉はきっと別にあった。あの時、ソレを見抜けていればその後の悲劇を防げただろうか。
いや、今でもわからないことだ。当時の俺にわかったとも思えない。
本当に、わからないことだらけだ。
この世界には、わからないことが多すぎる。
昔の俺は、それをわかろうとしていなかった。だが、母の想いに出会い、あの二人に出会い、わかろうとしてきた。
だから、人生で初めてだった。

………わからないことが、こんなにも悔しいなんて。



僕の根底には、ずっと劣等感があった。
ソレが芽生えたのは、たっくんと出会った時だったと思う。彼の眩しい姿に尊敬と憧れを抱く裏で、僕よりも確実に"上"の存在に昏い感情が燃え始めた。
たっくんとはずっと一緒にいた。誰よりも近くて、誰よりも信頼できる。
だから、僕は苦しかった。
そんな存在が、ハッキリと僕より秀でていたから。常に僕は優劣を裏で考え、どうしても彼に勝てないことに、毎回苦しんでいた。常に自分より優れたモノを見せ続けられ、その度に昏い炎に薪をくべていた。
いつしか彼が"上"、僕が"下"という図式は、僕の中で当たり前のものになっていた。だから、いつの間にか膨れ上がった劣等感は心の奥底に仕舞い込まれ、表面上は平気なフリをし続けられるようになった。
それでも、たまに漏れ出してしまう劣等感の一部が、時々僕の言動を蝕んでいたのだ。
ソレが急激に肥大化したのは、高校に入ってからだったと思う。
周りがみんな僕より勉強ができて、それ以外にも大きな武器を持っていた。それは、サッカーやバスケ、クイズやプログラミングに至るまで、多種多様な特技を持つみんなは、明らかに僕より"上"だった。
毎日見せつけられる優劣の差。築き上げた一部が、音を立てて崩れた。
そこから、必死に修繕した仮面はつぎはぎだったが、僕の心に一時の安寧をもたらした。
けどダメだった。
どんなものにも、耐久値ってあるだろう?一年以上耐え続けたつぎはぎの仮面は、僕も気づかないうちに、欠け始めていた。
そうだ。もう一つ仮面の劣化を早めた要因があった。部活の後輩だ。
年齢を鑑みれば明らかに"下"の存在が、僕をあっという間に追い越していく様に、悔しさの前に諦念を感じた。
もちろん、解っていた。中学からサッカーを始めた僕が、高校サッカーではAチームに入れないだろうことは。新しく入ってくる後輩に、すぐ追い越されてしまうだろうことは。解っていて、部活を続けているつもりだった。
でも。解っていても、割り切れない。
だからといって、頑張っても小学生の時からの積み重ねには勝てないだろうことは明白だった。そう、自分に言い聞かせて行動を恐れて停滞し、現状を許せないままに、現状を良しとした。
矛盾がギシギシと胸を圧迫してくる感じ。苦しくて、苦しくて、誰かに相談したかったけれど、見栄が邪魔をした。
打ち明けたいのに、打ち明けられない。また、矛盾だ。
矛盾がぐるぐると脳を旋回し、思考がループする。抜け出せないまま苦しみ続けて、仮面を侵食していった。
摩耗は進行し、いつしか、薄い氷のようになっていた。透けて見える内側には、僕が抑え込んでいたモノと、僕が大切に守っていたモノがあった。
そして、あの日。

___________薄氷は、割れ落ちた。



「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
急いで教室を出て、校門を通り過ぎたところで、前方にあいつがいるのが見えた。声を掛けたが、聞こえていないのか、そのまま進み続けるあいつに全力ダッシュでようやく追い付く。
「よう。」
隣まで来て改めて声を掛けるが、あいつは俯いたまま黙り込んでいた。
「おい。」
その様子を不審に思って、肩を掴んで無理やり振り向かせようとすると、無言で腕を払われた。
「なにをするんだ。なんだ、欲求不満か?」
少し茶化して言う。
「…………。」
が、あいつは無言のまま。
いつまでも黙り込んで、一度もこちらを見ようともしないあいつの態度に、流石に少し頭にきて、
「何か言えよ。ずっと黙っていても、何も解決しないぞ。」
あいつの方を強く揺さぶりながら、低い声で言った。
俺はこの時、こいつの黙り込んでいる理由に見当を付けていた。もちろん、部活のことだ。
「そういえばお前、何かある時はいつも黙るよな。また同じか。」
いつも肝心なことは話してくれないのをなんとかしようと、そう、声を掛けた瞬間。
「…………!!!」
何が琴線に触れたのかはわからないが、あいつはバッと顔を上げ、泣き出しそうな顔で俺を睨みつけてきた。その瞳には、迷いが映っていた。
あいつはすぐにまた顔を伏せると、予想外の反応に呆然としている俺に、今まで聞いたこともないひび割れた声で告げた。
「もう、放っておいてくれよ………。」
「なっ………。」
唖然とした。
今までの人生の大部分で、コミュニケーションというものを行ってこなかった俺には、どうしたらいいか分からず、頭が真っ白になった。
思わず立ち止まり、数秒立ち尽くす。そんな俺をあいつはお構いなく早足で置いていく。それにハッとして慌てて隣に追いつくが、言葉が出てこない。
「………。」
視線を彷徨わせ、何かを話そうとするが、その度にさっきの表情と言葉が頭の中を反芻し、思い止まらせる。
こんな時、相応しい一言を言えないことが悔しい。
俺は言葉を探しながら、ただあいつの隣を歩き続けた。



_______________駅が近づいてくる。
「「…………。」」
改札を通る。
「「…………。」」
ホームに着く。
「「…………。」」
電車を待つ。
「「…………。」」
電車が来る。
恨めしいことに、来た電車は特別快速で俺の最寄り駅は通過する。
電車が駅のホームに停車し、ドアが開く。
そこでふと、あいつの迷いを宿した瞳を思い出す。
あいつがドアに向かって歩き出す。
その背中に、俺は言葉を絞り出した。
「決断とは、きっと何かを棄てることなんだ。俺も一度、俺を棄てた。」
あいつが電車に乗りこむ。
あいつの、その迷いを晴らす一助になれば、という言葉だったが、
「でも大事なのは__________」
アナウンス音が鳴り、そこで扉は完全に閉まってしまった。
最後まであいつは俺と目を合わせようとせず、そのまま電車と共に去っていった。
俺はそれをただ無言で見つめ、次の電車が来るまであいつの乗った電車が去った方向を見続けた。

あいつの、その迷いを晴らす一助になれば、という言葉だったが、
俺はその言葉を放ったことを強く後悔することになる。



「……なん、で。」
なんで、ケンちゃんがここにいるんだよ。
おい!どういうことだ!
辺りを見回すが、忌まわしい人型クッキーの姿が見えない。
「なんで、お前が?いや、ここはどこだ……?」
戸惑うケンちゃん。
途端に逃げ出したい衝動に駆られて、ケンちゃんから遠ざかろうとしたが、身体を持たない僕には思うようにこのカラダを動かせない。
くそっ!なんだこれ。
再び僕を見据えるケンちゃんの、その瞳に恐怖した。
なんだよ。なんなんだよ……!!
僕に後悔はない。後ろめたい気持ちもない。
これは違う。こんなの間違ってる!
「お前、ここで何しているんだ……?」
うるさい。僕に話しかけるな。
いいか!?こんなの見せても、僕の決意は変わらない!いちいち僕に未練があるみたいに、それを煽るみたいに、コケにやがって………!!
出てこい……。
「おい、なんで黙ってるんだよ。」
出てこいよ!!
こんなの………違うんだ!!これは現実じゃない。わかったぞ。これはお前の作り出した幻想なんだ。
どこまでも僕に後悔させたいようだな。
「………。」
ずっと僕に声を掛け続けていたケンちゃんは、いつの間にか黙り込んでいた。
…………。
しばらく、無言の時間が続く。
「お前に、話したいことがあったんだ。」
ケンちゃんがポツリと話し出す。
「お前が自殺したって聞いて………何も考えられなくなって。たっくんだって、電話越しに泣いてた。」
…………。
「なんでなんだ?……どうして、こんなことしたんだ……?」
なんで、どうして。みんな聞いてくる。
そんなに理由を求めたいか?何か明確な理由がなきゃダメなのか………?
そんなに、自殺という行為が不可解か?
「なぁ、答えてくれよ。なあ!」
黙れよ。作り物の偽物風情が。
僕が睨みつけると、ケンちゃんはまた黙り込んだ。
…………。
また、しばらく無言の時間が続く。
「俺、後悔してるんだ。」
また、ケンちゃんがポツリと話し出す。
黙れと、意志を込めて睨みつけるが、ケンちゃんはお構いなく話し続ける。
「駅のホームで、お前が電車に乗る時に話したこと。あれがもしかしたら、お前の迷いをそっちの方向に傾けてしまったのではないかって。」
瞬間、その光景が僕の脳裏にフラッシュバックする。なんだろう、この光景をついさっきまで見ていたような。
自殺にケンちゃんは関係ない。これは僕が、僕自身の意思で決断したことだ。決してオマエなんかに関与されていいモノじゃない。自惚れるな。
「決断とは、きっと何かを棄てることなんだって。そう言ったこと。」
俺も一度、俺を棄てた。そう言っていた。
僕には知り得ない、彼の過去。確かに、ケンちゃんはあまり昔の話をしなかった。時々微かに感じるその闇に、僕達はずっと踏み込めないでいた。
「でも、大事なのはそこじゃない。」
そうか、確かこのあたりで電車のドアが閉まったんだった。
「大事なのは何を棄てるか、何を棄てていいのかを考えて、選ぶことなんだ。」
ケンちゃんの声が震え出す。
「俺は母の為にと自分に言い訳をして、自分を肯定できないことを放置したまま、自分の人格を否定した日々を送った。」
「そんな俺を初対面で肯定してくれたのが、お前達だった。そして、気づいたんだ。俺は、間違っていた。」
「何があっても、自分は棄てちゃいけなかった。母も俺が高校に入ってから楽しそうだと、嬉しそうにしていた。自分を棄てることは、俺も、俺の大切な人も苦しめていたんだ。」
「わかるか。お前が死んだことで、俺も、たっくんも悲しんだ。きっとお前の両親やお前に縁のある人も悲しんだ。お前の行為が、どれだけ俺たちを痛めつけたか、解っているのか!?」
そんな、自分勝手な。
「やっと口を開いたな。自分勝手で何が悪い。こんなに俺たちは苦しんでいるのに、なんでお前はそんな、平然としていられるんだよ!?」
ケンちゃんは、泣いていた。
「お前も俺と同じだ。ハッキリ言ってやる。お前は間違ってる。」
何が「間違ってる」だ。オマエに、どうして僕の行動に正誤をつけられる権利があると思っているんだ。
「俺も一度、間違えたからだ。………間違えて、後悔したからだ。」
人型クッキーの作り出した偽物のクセに。
「お前は選択を間違えた。絶対に棄てちゃいけないモノを棄ててしまった。なぁ、」
大きく息を吸い込んだケンちゃん。
そして、

「____________命は、絶対に棄てちゃダメだろ!!!!!!」

大声で泣きながら叫ぶその姿は、ケンちゃん以外にもたっくんやひーちゃん、はるちゃんや母さんが重なって、ダブって見えた。

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