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かなえたい夢。できるかわからないし、できないと思うけど、言うのはただだから…言っておこう!


あれは確か、中学生の頃。

老人ホームでおじいちゃんおばあちゃんと交流するというイベントがあって学校の仲間と行ったことがある。

その催しがなんだったのか、何をしてきたか、はっきりと思い出せない。

しかし、円卓に座り「将来何になりたい」というお題のお話があったとき、私は「ラジオのパーソナリティになりたい」と言ったことだけは、よく覚えている。

よく覚えているし、人生の何かあるタイミングで、何度もそのときのことを思い出している。

ラジオのパーソナリティは、田舎に住む少女には、身近であり遠い存在だった。ラジオは家にあるけど、もっぱら聞くのは、親の運転する車の中。リスナーからのお便りを読んだり(当時はハガキ)、相談に答えたり、励ましたり、とても、かっこいいと思った。

テレビに出る人ではなく、なぜラジオなのか。

父の転勤でど田舎から田舎に引っ越して、町の中にラジオの収録をしている場所があると知ってときめいた。高校生になってから、よく聞く番組のファンイベントに行ったこともある。

やはり、ラジオは、パーソナリティが近くに感じられるのがいいのかなと思う。お便りや曲のリクエストに応えてもらえたら素敵だなと思っていた。マメでないので、ハガキ職人にはならずに終わった。

聞くのも好きだったけど、ファンとしてがんばりたいというより、パーソナリティに興味があったのだと思う。

ラジオの放送が映画のクライマックスにがっつり絡む「洗濯機は俺にまかせろ」は私の大好きな映画だった。冨田靖子さん、筒井道隆さんが出演している。

ラジオのパーソナリティにならなかった私だけど、そもそもラジオのパーソナリティになってしたかったことは家の中や仕事や日常のいろんな場所でやっている。

だから、無理やりに聞こえるかもしれないけど、半分以上、「かなった」と言っていいと思う。

ラジオパーソナリティになって何がしたかったかというとそれは。

楽しい時間を作り出すこと、元気のない人に声をかけること、いつも誰かの居場所になること、ぐちや文句を聞くこと、自分の考えや出来事を聞いてもらうこと。

確かに私は老人ホームの円卓でも、そんな話をしたのである。忘れていたけど、同じ理由で大学を選ぶ時も臨床心理士になれる勉強のできるところに行こうと考えたときもあった。結局違う道を行ったけど。根本は、仕事はなんであれ、やりたいことに関しては今も全く同じことを考えている。極端な話、何の職業に就かなくてもできるじゃないか。

このnoteでやっていることにも、それらの動機とつながっている。

ところで、noteを見ているとラジオ配信もしていると宣伝をされている方もよく見かける。音声配信と、書き物の配信。どちらもメッセージや情報を届けることができるし、コメントに返すこともできる。私は収録時間の確保や間違えずに話すことなどハードルが高く感じるので音声配信はできる自信がない。

今のところnoteだけだけど、こうして小話をお届けしたり、いただいたコメントにお返事をしたり、小さなスペースでのびのびと生きるのが楽しい。ラジオ配信者になる可能性もまだあるっちゃあるのだから、人生って夢だらけだ。

ところで、そんな私は、今は別の夢がある。

それは、子どもたちが成長して、社会に出ていくにあたり、子どもたちにどなたかからお金をいただくという経験をさせることだ。(ジュニアNISAは除く)

具体的には、私が何らかのビジネスオーナーになって、あるいは、プラットフォームを利用して、子どもたちにそこで働く経験をしてもらうのだ。

できるだろうか。

早くて、あと10年ほど。
子どもたちの方が先にビジネスを起こしてしまうような時代に突入するかもしれない。

私は、大学に入るまでも入ってからも、何をしたらお金を稼げるか、どんな仕事が世の中にあるかろくに考えずに社会に出たことを心残りに思っている。社会に出てから七転八倒してやりたいことを見つけるはめになったのだ。

それで、自分がしたかったことを子どもにはできたらいいな、と考えるに至った。

そして、子どもたちには、ちょくちょく聞きたい。大きくなったらどんな仕事がしたい?と。

考えるだけでなく、口に出すことが、案外大きな力になると思うから。

#かなえたい夢

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