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子どもの人生の運転席に子どもが座ってる?

う、もうだめ…。

私は力尽きていた。

下の子の体調不良、進まぬ仕事、たまる家事、上の子が学童でやり損ねた宿題のフォロー…。

我が家の小1息子は、週3日学童兼習い事と塾に行き、残り2日は家で過ごす。

以前はその1日をオンライン英語に充てていたけど私の気力が持たずフィリピンの先生とのスピーキングの予約をサボっている。いや、言い訳をすると、スピーキングの前にこなすべきオンライン英語のレッスンの方を息子がサボっている。けれどお尻を叩く元気がない…。

そして、もう5年も続けている音楽教室のピアノ練習も、毎日のルーチンに組み込んでやってもらっていたのだけど、弾き間違いを正したり、じっくり横について教えたり、やる気を高める声かけをする元気が足りない。

それもそうだ。上の子の塾の宿題のフォローもあるし、どんどこ届く学校のプリントやテストの解き直しもある。やっていることが増えていってる。

だんだんと気が遠くなる。

これまでと同じペースで私が息子に喝を入れ、息子のペースを作り、息子の知識を増やし、練習を増やし、達成感を作り上げ…?!と息子に入れ込むことはムリである。

何よりうちには次男がいる。もうすぐ彼の音楽教室も始まるし、下の子の教育にもかけてあげる労力だって必要だ。

しかし、私はハタと気づく。

あれ?

私、息子の運転席に座っちゃってないか?

宿題しなきゃ、勉強ができるようになりたい、もっと上手になりたい、練習しなきゃ。

息子のそんな気持ちをなぜか「私」が作り出していると勘違いしているのかも?

松岡修造先生のように、確かに卓越したエネルギーをもってやる気スイッチを入れ燃料を与え続けてくれる人もいるかもしれない。ただ、それは自立したプロへのサービスだ。

息子が「ママがうるさいからやるか」と思い始めたら大変だ。逆に、「ママが教えてくれないからいけない」なんて言い始めたら私が詰む。

出来ない!悔しい!
サボっちゃった。まずい!
そう彼自身が思って自分で運転しないといけない。

親は確かにサポートをするけど、親が頑張らないと子が動かない、頑張らない、では先が思いやられる。

そして親のサポートとは、子どもがやる気になる環境作りとか「当たり前」のレベルを仕込むことではないだろうか?

例えば、魅力的な目標を掲げる、動機付けをする、信頼できる先生に引き合わせる、切磋できる仲間がいる場所を探す、適切なスケジュールで伴走する、家庭学習や練習のリズムを整える、学習やら練習のルーチンや計画を作る、打ち込める環境を整える…などだ。

つまり、子どもが運転しやすい道路なり車両を用意したり、目的地の設定を正しく行えるよう情報を用意したり、ガソリンを供給したり。

息子に、ぼく自分で運転してるんだよ!と思わせないといけない。なんなら、「ママ、邪魔しないで」くらいに。

そう考えたら、今後の息子への関わり方を変えていかなければならないことは明白だった。

母が尽きたら子が尽きる、これは先がない。

子どものやりたい!やってみたい!見てみたい!そんな気持ちを育てて子どもが進む道を整える。これだ。

きっと子ども自身の心の中は大人が思う以上にエネルギッシュで豊か。どこへだって行ける、そう思っているはず…。

子どもの成長と共に私もアップデートしないと…

気づくのが遅かったかもしれないけど…

がんばれなくて魂の抜けたとある週末の気づき。

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