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ナイショの抱負。岸田奈美さんの提案する、おいどん大好きクラブに入ってます!自分を好きでいよう。

おいどん大好きクラブとは?

もし、人に傷つけられたと思うことがあって、かつ、まだ、目にしたことのない方はこちらの記事を読んでみてほしい。きっと、元気が出るはず。

(会員だけ読める有料部分があるけど、大事な部分は誰でも読めます)

私は決してできた人間でもないし、優しいというわけでもない。でも、優しい人たちに触れて「ああ、自分がこの世に存在できて、嬉しいなぁ、ありがたいなぁ」と思うことがある。地味に泥臭く暮らしているのに、優しい人にたくさん出会えて幸せだ。

もしできたら私も、そんな優しい人の国の住人になりたい。

こんなこと言ったら怪しく聞こえるかも知れないけど、ここ数年自分の周りから自分を痛めつけてくるような人がさーっとと消えていった気がする。

歳を取って期待されなくなり、耳の痛いことを言ってくる人が周りにいなくなっただけかもしれないし、「人を見るセンサー」みたいなのが鋭くなって、好きになりたい人にお近づきになりたい光線を送れるようになったのかもしれない。はたまた、生きてきた時間より残りの人生の方が短い可能性をビンビンに感じて大事にしたい人にエネルギーを集約できるようになったせいな気もする。

空いた瓶に、先に砂を入れないで、石を入れて砂利を入れて大事なものから満たすように!石は家族など大切なもの。さもないと、人生における時間は些末なものでなくなってしまう、なんて教訓がある。

私は一言言いたい。
自分にとっての石や砂利が何に当たるのか、もっと若い時に知りたかったよ!!!と。(早く結婚して、早く子どもをもてということか?)
若い時はどうしても、砂や小さい砂利に惑わされてしまう。

特に、子ども時代も含めて人というのは若いうちは心もまだピュアだし、立場の弱い人にものをわからせようとする人が登場して傷つくことも多いかも知れない。

しかし、なにも若い人たちばかりが傷つく訳でもない。

鬼の棲家のような一般より高次元な場所にいる人は強大な権力の使い手に傷付けられるかもしれないし、徳を積む役割を天に与えられた徳アスリートはとんでもない災禍にその人生を痛めつけられるかもしれない。

だから、やっぱり、せめて、一緒にいて自分を好きでいられる人といよう!
自分を好きでいてくれる人といよう!そして、自分を好きでいよう!

と思う。
これは砂でなく石に着目して人生を積み重ねることにつながる気がしている。

近しい人や顔を合わせないといけないひとが自分を傷付けてくるようならできる限り離れたり、攻撃を逃げたりかわしたり、別の国の住人と交信していると思いながら過ごそう(他人を傷付けてくる人は、経験則では当の本人が傷付いている)。

自分を好きでいられるうちは、きっと、大丈夫だ。

傷付けられても無傷や軽傷で済む力。これまた私の好きなラジオ「ごはんとみそしる」のパーソナリティ「きょんちゃん」がアーユルヴェーダのある暮らしを提唱する中でよく言っている「オージャスが貯まっている」状態がこれなのかな?思う。つまり元気の源を味方にした状態、とでも言おうか。

健康でいたり、好きな人と一緒にいたり、好きなことをやったりするほかに、元気の源を確認するためにいいなと思うことは、自分が積み重ねたものに自信を持つことだ。

例えば、家族のために作った食事の回数でもいい。子どもに付き合ってやったゲームの回数でも、頑張ってやらせた宿題の量でも、ピアノの練習曲数でも、子どもに与えたお手伝いご褒美シールの数(褒めた回数)でも、お医者さんに連れていった回数でも、洗った靴下やパンツの枚数なんてとんでもないことになっているだろう。

絶対に、自分、すごいじゃん!と言えるはず。誰が何と言おうとこれらの積み重ねは裏切らない。蓄積した経験や思い出は、他人から決して奪われない。

おいどん大好きクラブで、傷つけてくる人から身を守り、自分の自信のかけらを拾い集めて、元気の源を貯めて、そして、好きな人に優しくしようと思う。

きっとその優しさが溢れ出すとき、そんなに好きじゃない人も普通の人に、大嫌いなひともちょっとだけ嫌いな人になるだろう。

#ナイショの抱負

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