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言葉の重みについて

今回はあえて私のセンシティブになることを
noteで述べてみたいと思います。

それは「言葉の重み」ということについてです。

常々、職場の上司からも
「一度行った言葉は取り返しがつかないから注意しなさい」とアドバイスされたり、注意されたりしています。

「書き言葉」は一度でも読んでから、
必ず、確認してからnoteに載せます。

「話し言葉」はどうかというと
基本は「書き言葉」と同様です。
ですが、どうしても「書き言葉」よりも
チェックが甘くなってしまいます。
それは「話し言葉」は、目に見えない
自分で確認ができにくいからだと私は思います。
ですから前述した通り、一度放った言葉は
2度と取り戻すことができません。

そのような観点から
「言葉」には本当に「重み」というものがあるのだなぁと常々個人的に考えています。
認識しています。自覚したいです。

暗いことばかり言ってもしょうがないので
どのようにしたら
不適切な表現や言葉を
防げるかということを
考えてみたいと思います。

これはあくまで私の
経験と知識からみつけたものです。

それは・・・

「新聞を読むこと」

です。

これで全ての失言が
なくなるとは保証はできません。

それでも
世の中のニュースや
世相から流行まで
「新聞」には最大限網羅(もうら)されています。
読めば自ずと自分の立ち位置の
輪郭が感じられます。

テレビとは違って
受け身の情報ではないので
アクティブ(能動的)に
社会の様相が学べます。
ついでに言葉の選び方も学べます。

ただ、新聞は
毎月取るのはお金がかかります。
広告は個人的にはあまり読む興味が出ません。
だから、毎月の新聞の定期購読は
私はやりたくても行うことは難しいのが現状です。

私は以前から
私は書籍にはお金をかけると
述べて来ました。
だから、本は部屋に溜まる一方になりやすく
困ったことだと自分で思っていました。

ですから
今は書籍の代わりに
気になった時だけ
コンビニなどで購入して
新聞を読むようにしています。

もちろん
隅から隅まで読むことは
できません。
興味のあったところを
重点的に読んでいます。

書籍に比べたら
私の場合、本よりも安価で済みますし、
気軽に読めて
世の中のニュースをざっくばらんに
知ることが出来ます。

ですから
新聞は社会と関わりを持てる
一つの大きなツールだと思います。

新聞をゆっくり読むと
嫌でも自分の周囲が見えてきます。
気になった時だけ読みます。
それでも、何か社会とつながった
感じになります。

これからも
表現の「重み」に気をつけて
noteを書いてゆきたいです。

今回は「言葉」の重みという題で
あえて切り込んで述べてみました。

「言葉」は言わずもがな
使い方次第です。
できるだけ気をつけたいものだと
思います。

おわり

sukiyaki_yabyさん
素敵なイラストありがとうございます。

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