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私が文字を初めて好きになった時

私が、小学校2年生の時に
祖父に学習机を買ってもらえました。
妹も一緒に買ってもらいました。
とても嬉しい気持ちを
今でも覚えています。

私は小学生低学年の時
宿題でおバカなミスをしました。
「やる気が出ました」という文章を
「やる木が出ました」と
覚えたての漢字を使い
先生に堂々と見せた覚えがあります。

先生は「木も気も「き」だけれども
こういう時は気を使います」とたしなめられた
記憶があります。
「同じ読みの感じでも
使う時は違うのだ・・・」と
今では当たり前のことに
小学生なりに驚きました。

また中学2年生になると
また祖父に自分の部屋を作ってもらえました。
(祖父とは一緒には住んでいませんでしたが・・・)

8畳もある自分の部屋が出来上がり
その中心に
たたずんでテンションが上がったことも
覚えています。

前述した机も程なく
自分の部屋に移されて
自分の世界を作る準備ができました。


学校での授業で
いろんな世界の「名著」や
「偉人」を学んでいくたびに
「こんな人たちはめいいっぱいに
生きたのだな〜」と
リスペクトしていました。
私はとても「無理」だと諦めていました。

学生時代に
定期テストのために
懸命に勉強したことを思い出すと
自分の部屋があった
自分は幸福だったのだな〜と
しみじみ思います。
母の意向で机は今でも部屋に置いてあります。

その頃から
小説なども読み始めました。
藤川桂介さんの「宇宙皇子」
富野由悠季さんの「機動戦士ガンダム」
赤川次郎さんの「三毛猫ホームズ」シリーズ
西村京太郎さんの「十津川警部」シリーズ
などなど
いろんな本を友達に教えられて
読み漁りました。

あの頃は
スマートフォンなんてありませんでしたので
集中力を疑うことなんて
自分にはなかったと思えます。

いつだってそうです。
私はどちらかというと
いつも孤独を好んでいました。
自分の世界にどっぷり浸れるからです。

当時、学校で入部していた吹奏楽の世界。
初めて両親に買ってもらったCDラジカセ。
当時は景気が良かったのもあったのでしょう。
自分の世界に浸れることはとても幸福だったと思います。


今も持って本を読みます。
残念ながらそれは面白いからではなく
人に負けないスキルを求めるために
理論武装するために読むことに
変わったと感じています。

祖父は今はいません。
それでも今の自分を見たら
どう思うのでしょう?

私は楽しんでいません。
私は喜んでいません。
祖父の好意とは真逆の方向に向かって
いるように感じます。

あの初めて感じを間違えた驚きや
初めて自分の机や部屋が与えられた時の
喜びは今の私にはありません。

唯一の救いは
noteに気持ちを吐露できることです。

ここまで読んでいただき
本当にありがとうございます。

では また
おわり

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