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メタモルフォーゼの縁側 



エンドロールを観ながら、久しぶりに手紙を書きたくなった。
たまにしか会わないけど、いつもそばにいるような、親愛なる友人に向けて。

少々のネタバレを含んでしまうが、私なりの視点でこの映画の良さについて語らせてもらいたい。

本屋でアルバイトをする漫画好きな女子高校生、佐山うらら17歳。彼女は友達の多い社交的なタイプでもなく、進路調査票にかくようなはっきりとした目標があるわけでもなく、集団の中で浮かないように、淡々とした学生生活を送っていた。
一方、夫に先立たれ独居で生活する市野井雪、75歳。書道教室を営みながら、一人つつましく生活している。北欧に住む娘から同居を提案されているが、たまに起こる腰痛に老いを感じつつも、住み慣れた家での生活を続けている。

接点の全くない二人。
出会いは唐突にやってきた。

雪は本屋で、表紙の絵の美しさに心惹かれて1冊の漫画を手に取る。
それがBL漫画であることを知らずに、にこにことレジに向かう雪。
アルバイトでレジを打っていたうららは、まさか雪のような年代の婦人がBL漫画を購入するとは思わず、さらにカバーも不要だというから、驚きを隠せない。
帰宅後、BL漫画を読み始めた雪は、男子同士の恋愛という設定に驚きつつも、その世界観に没頭し、新たな楽しみに胸が熱くなる。さらに1冊、もう1冊、と本屋に続きを買い求める雪。そんな雪とうららは、次第にBL漫画を通じて会話をするようになり、交流を深めていく。
歳の差58歳。
ひょんなことから始まった二人の友情は、静かな湖面に生じた波紋のように、鮮やかな拡がりを見せていく。

この映画のタイトルにもかかってくる、「縁側」の存在。
雪が一人で暮らす一軒家の縁側が、この物語の重要な舞台であり、映画全体の軸となっている。雪とうららは、この縁側で一緒にBL漫画を読み、感想を語り合い、一緒にカレーを食べたり、笑ったり、そして泣いたりするのだ。
市野井家の縁側は、雪が長年をかけて作り上げてきた心地よさに満ちている。
心地よさという言葉でまとめてしまうのはもったいない。
縁側を抜ける風で季節を感じ、日の当たり加減で時の流れにはっとして、家の中でも外でもない中間地点であるからこそ不思議と気持ちを素直に出せたりする。雪の縁側は、そんな特別な空気のある場所だ。
その縁側で、うららは自分と向き合い始める。
引っ込み思案な自分の中に宿る、好きなものへの情熱。
なんでもないフリをしながら、しっかり抱えているコンプレックス。
挑戦することの意義と、達成することの難しさ。
そして、自分を理解してくれる存在、100%味方でいてくれる存在がいてくれることの心強さ。
縁側を軸として展開されるあらゆる事象は、うららの世界と外的世界の境界を溶かしていった。うららは内に秘めた情熱を、少しずつ外に放てるようになっていく。それはまさに、うららにとっての「メタモルフォーゼ」=変身だ。

雪にとっても、うららとの間に芽生えた友情は静かなメタモルフォーゼをもたらす。

もともと社交的な老婦人として描かれているが、雪にも一人暮らしの孤独や老いへの不安がある。それが、BL漫画にハマって新たな楽しみに胸躍らせ、さらに予想外のお友達までできたことで、彼女の人生はもう一度輝き始める。注目したいのは、その「輝き方」だ。
自身が力強く輝く、といった輝き方ではない。

うららの柔らかい感受性を、ありのまま認めて肯定し、包み込む懐の深さ。
保護者とは違った立場の大人から、あなたはすごいわよ、と丸ごと受け止めてもらえる経験というのは、これから人生を歩んでいくうららに、どれほど自信をくれるだろうか。
また雪は、大好きな漫画家に直接思いを伝える場面で、描いてくれてありがとう、と心からのお礼の言葉を届ける。その言葉が、スランプに悩んでいた作家の心に響くシーンが印象的だ。
雪は、年齢にとらわれず素直に感動し、行動する瑞々しい感性を持ち続けている女性であるとともに、そんな雪と関わることで周りの人が輝きを増すのである。劇中にもそれらしいエピソードが織り交ぜてあるが、おそらく雪自身、素直に相手に思いを伝えることができないもどかしさを、何度も経験してきたはずである。伝えられなかった後悔の数々もあるだろう。それが人生であるし、だからこそ雪は、伝えたい相手に素直に言葉を届けようとしている。雪の言葉を受け取った人の心に、新しい輝きを生む。それが、雪の輝き方だ。

あまのじゃくで繊細なうららの心情を、僅かな表情の変化や足取りのテンポで微細に表現している芦田愛菜さんの演技力は素晴らしい。
そして、雪の楽しい、うれしい、そんなシンプルな感情を思い切り表現する宮本信子さんの可愛らしさといったら。人生の色々な経験を乗り越えてこその、満面の笑顔。それを表現できる宮本信子さんの存在が尊い。

うららと雪の友情は、年齢差や時代や場所にとらわれることのない種類のものだ。
雪のいなくなった縁側に腰かけて、うららが見上げる空。きっといつでも雪を感じることができる。
それは雪も同じだろう。



この映画を観ながら、いつかの旅の途中に、長く語らったあの人との時間を思い出した。
縁側ではなかったけれど、いろんな喫茶店で、いろんな話をしたこと。元気でいてくれたらそれでいい、といつでも受け入れてくれる人。会う機会が極端に減っても、いつでも大切に思いあえる存在があることで、なんとかかんとか生きてこれている。

きっとあなたも気に入ると思うよ、いい映画だったよ、と
あの人に手紙を書こうと思う。

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