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コールセンター物語④中野さんという人

中野さんは総務を担当している。
中野さんの出勤時間は9時から17時。いわゆる”9時5時”だ。
ジェーン・フォンダも9時から17時までだ。
9時から出勤というのは”勤める”という漢字が入っているように、その時間から仕事をする、というもの。
しかしこの出勤時間の概念は都合のいいように使われているのが現状だ。
要するに9時なら9時、10時なら10時といったように、決められた時間までに会社にくればいいというように捉えられている。
PCのスイッチが入っていなくても、とりあえず9時には自席についていればOKということだろうが、あくまでも時間ちょうどまでが許容範囲だ。だから、ほどんどの従業員は決められた時間前5〜10分前には着席する。

しかし中野さんは違う。
中野さんの出勤時間は6:2:2の割合で
「ピッタリ:1〜2分の遅れ:それ以上の遅れ」で構成されている。
時間前に来たのを見たことがない、と他のアルバイトは口を揃えていう。
いや、マネージャーの前田も「「見たことないっすね〜」と言ってのける。

おまえ注意してないんかい


前田のアホな話はまた別の機会に話そう。
今日は中野さんの話をしたい。
自分は中野さんの隣の席で仕事をしていた。
隣といっても、中野さんが業務として2台のPCを使用しているため、
席を一つ隔てたお隣さんである。

中野さんはいつもどおり9時ちょうどに現れた。彼女の自宅は知らんが、会社まで徒歩圏内らしく、実際歩いて通勤をしているようだ。遅刻魔の彼女にとって電車やバスの遅延を言い訳にできないところが辛いところだろう。しかし悪知恵が働くというか、5分以上遅れる時は必ずって言っていいほど、別のフロアに保管しているファイルか何かを抱えて現れる。出勤してからファイルをとってきましたアピールだ。そのファイルは結構重いらしく、はぁはぁ息切れをしている。

だったら5分早く自宅を出ろ

しかしそんな小手先の悪知恵を神は許さなかった。
分かれて業務をしていたフロアを統一することになったのだ。
これによって中野さんの「ファイルとってきました〜はぁはぁ」なんて言い訳はできなくなったのだ。が、彼女はそれを不服と思っている様子は全くない。今日も元気に1分過ぎ出社だ。そんなことを自分は毎日気にしてしまう。小姑のようだと思うが、しかし気になるのだ!
なぜだ!
なぜ前田は何も言わんのだ!

前田はアホだからさ。

オペレーターが”前田に頭に来た”とグチっていると、達観した古参オペレーターがにべもなく言い放った。
前田のアホな話は別の機会に話そう(二回目)

そんな出勤時間の中野さん、独自の感覚でいろんなことをしてしまうのだが、つい先日は執務室の窓を自分の感覚だけで開け放ってしまった。
コロナ対策?いやいや、業務用のでっかいウィルス除去の空気清浄機を何台も導入している。その上で窓を開けると意味はなくなってしまう。

やめてくれ。


職場のあるビルの斜向かいでは大掛かりな工事をしているので、その音もうるさいし、埃だって入ってくる。
「いや〜むわっとして、なんか暑いし」
でもさ、埃だってすごいし、掃除しないなら開けないでほしいんだけどさ。

そう、開けたはいいが、全く掃除をしないのだ。言われたところの掃除はするが、それ以外のところは何もしない。それが中野さんなのだ。
つい先日だって別フロアの窓を開けていたことによって、その窓の桟は虫たちのサロンと化していた。そのサロンは大盛況でそこで命をまっとうしている虫たちもたくさんいた。その清掃をしたのが、他ならぬ自分なのだ。
なんで教育担当の自分が虫の死骸を片付けにゃならんのだ。

中野さんにはそんな前科がある。絶対にやめさせなくては。
自分はどうしたもんかと思案していた。

そうして昼間際に

ブーン

小さなハチが中野さんの目の前を通過した。
中野さんは「ハチですね!」と言い、小物の入っていた小さなポリプロピレンの箱を片手にとった。そして掬い上げるようにハチを誘い込み、
そのまま床にフタをするように置いた。そしてもう片方の手に持ったクリアファイルを素早く差し込み、再び箱を持ち上げた。捕獲成功だ。

「外に放ってきますね」

どことなく誇らしげに廊下に出てった中野さん。
どう考えても窓を開けてたことが原因でハチが入ってきたのに、
うまく捕獲したことで、なんかいい人っぽくなってる。

というわけで窓が閉まることはなかった。
中野さんは通常業務に戻っている。
なんかイライラしてしまう。
すると中野さんはこっちを見てニコッとした。
全く悪意のないその顔を見てさらにイラついてしまった。
「ハチが入ってきたのに窓閉めないんだ?」と言ってみたが、
声がイラついている。自分心狭いのか、いやそんなことはない!
よくわからない自問自答をしていると、自分のイライラが中野さんに伝わったのか、彼女は言った。

「私って、もれなく人をイラつかせる才能があるみたいなんですよね〜」

自己分析のできる中野さん。

脱力感が身体中を襲う。
重力に逆らえずに、ガクンと首を垂れると、ちょっと先に何かがある。
なんだ?近づいてみると

クモだ。でっかい!
5歳児の手のひらくらいはある。
中野さんは?いない。トイレか?
あ!悠太がいる!奴になんとかしてもらおう!

「平山さーん!」
「竹山さん、どうしたんですか」
「これクモだよね。でっかくない?」
「・・・・」
「どうした?」

「俺、クモダメなんですよ〜〜〜」

身長182センチの男、クモが怖い。
そんなのいらんから。
しかし悠太は後退りをして2メートルほど後方に行ってしまった。
ふとみると、先ほど中野さんが捕獲したポリプロピレンの小箱が目に入ったので、ひとまずフタをする。
そしてこのクモがどんなクモなのかインターネットで調べることにした。

アシダカクモ。どうやらこれらしい。
巣を張らずにゴキブリなどを食べてくれる、いわゆる益虫だ。
なんだ、いい奴じゃん。
フタをしたことで安心した悠太が画面を覗き込みながら
「アシダカクモでしたか・・なら大丈夫ですね」
何言ってんだ。失神しそうな勢いだったくせに。

と、そのとき中野さんが戻ってきた。

「どうしたんですか〜」
呑気に言ってくる中野さんに対して、

「今度はクモが入ってきたよ」
自分、しれっと言ってみた。

すると中野さんはみるみる形相が変わり、今にも泣き出しそうな顔になった。

「クモ!!!」
「やだ〜〜〜〜〜〜〜」
「マジっすか〜〜〜〜」

そう言いながら、すでにフタをして捕獲してあることに感謝をし、
例の如くスルッとクリアファイルを差し込み、フラフラしながら外に放ちに行った。自分で行くんだ、そこは感心した。

悠太が中野さんに
「あれ、アシダカクモだから危なくないクモですよ」と
普通に言った。ビビって2メートル後退りしたくせに普通に言った。
中野さんもその知識はあったようで、
「ああ、いいクモらしいですね〜」と力なく言った。

「ゴキブリも食べて巣も張らないらしいから、家に持って帰ればよかったのに」と言ってみたが、秒で却下された。

まもなく窓は開けられなくなった。

そんな職場を自分はまもなく退職する。



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