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【名盤伝説】 ”Bill Champlin / Single” フラワー世代のSSWが華麗な転身。AOR界永遠のスーパースター。

お気に入りのミュージシャンとその作品を紹介しています。キャリア十分のSSWビル・チャンプリンの初ソロ作『Single (邦題: 独身貴族)』(1978)です。

ビルは1947年USカリフォルニア出身、今年(2024年)77歳になります。時代のヒッピーブームに呼応したサイケデリックなサウンドで鳴らしたバンド、サンズ・オブ・チャンプリンで活動していました。77年にバンドを脱退と同時に、当時はまだ若手だったプロデューサーのデビッド・フォスターに見いだされ、大きく路線転換。一転メロディアスな作風でコンポーザーとして活動し、ジェイ・グレイドン、フォスターらとともに作った名バラード「アフター・ザ・ラブ・イズ・ゴーン」を人気絶頂のファンクバンドのアース・ウィンド&ファイアーに提供しています。実際はビルのソロアルバム用に用意していたものを、アースのモーリス・ホワイトがフォスターに懇願して強奪したとのこと。後にセルフカバーしています。

満を持して発表された初ソロアルバムがこの『Single』。プロデュースはフォスター。さらにグレイドン全面参加ということで、あの名盤『AIRPLY』がリリースされて、後追いで日本でもかなり話題となりました。

収録曲は、まずはなんと言ってもこのアルバムのテーマ曲(笑)、M1「What Good Is Life」。イントロからいきなりグレイドンとルークのツインギターが唸ります。音の隙間があれば逃さず挟み込むグレイドンのオブリガート。典型的なロック全開時期のフォスターアレンジです。

M2「I Don’t Want You Anymore」は、サンズ時代のビルを彷彿とするハードなブルースナンバー。こぶしの回ったビルのボーカルは最高です。

M3「We Both Tried」は一転、オーケストラアレンジが美しいフォスターバラード。硬軟いずれも歌いこなせるビルって、やっぱり上手ですね。

M6「Love is Forever」フォスターのピアノ・ワークが美しいミディアムテンポのバラード。曲の後半でにコーラスとホーンが順々に絡みだし、曲をより感動的に盛り上げていきます。ナイス・アレンジです。

このアルバムリリースの後に、再びフォスター制作でアルバム『Runawy』(1981)をリリース。AORブーム真っ只中でファンには人気ですが、個人的にはこの頃のフォスターのロックアレンジは苦手です。個人の好みなのでご容赦ください。

そんなフォスターが、人気の低迷していたブラスロックバンドの大御所シカゴのテコ入れのためにプロデュースを依頼され、その最終兵器として何とビルに白羽の矢を立てます。ビル・チャンプリンがシカゴに加入!。シカゴなら来日の可能性もあるし、ビルが見たくても単独公演など期待できなかったファンは大興奮。シカゴの新作がどんな出来でも、このメンバーで日本に来たら絶対に観に行くぞ!!・・・と私。そして待望のジャパン・ツアーが実現しました。

個人的には許容範囲だった『Chicago 16』(1982)を引っ提げて来日したシカゴ。武道館の二階席(券種的には一階席)から、ステージ上手奥のオルガンを前に陣取る、生の動くビルの姿に釘付けでした。実はそんなファンが世界中にいたようです。そのことが後に尾を引くことになろうとは、当時は知る由もありません。

そんなシカゴの作品やその後のビルの活動については、また別の記事で紹介したいと思います。

時は流れて・・・いつのことだったか忘れてしまいましたが(汗)、CWF (ビル、ジョセフ・ウィリアムスピーター・フリーステッド)のブルーノート東京での公演の時に、終演後にスタッフの制止を搔い潜り、ほんの一瞬だけでしたがビルと握手できました。
私にとっても、いつまでも永遠のスーパースターです。

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