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言葉を交わしても吞まれるな!?

 古代ギリシャは、ペルシア戦争に勝利し、アテネを中心にポリスの民主政治が発展していきました。そうした背景もあって、政治参加する市民層は拡大し、豊富な実用的政治知識や優れた弁論術が求められるようになった。
 弁論術は利己主義のための手段、自分に有利になるように議論を進めて弁論に勝つための、単なる道具へと変わり果てる。

『倫理・哲学の特別講義』大磯仁志(著)  
  清水雅博(監修)

日々、言葉を用いて交流を重ね
良き人間関係を積み重ねる。

言葉を通して人となりを理解する。

会話が潤滑油となり組織運営が
円滑に行われる。

言葉の力をnoteを通じて
痛感しているところです。

しかし言葉を、自分の主義主張を表現するための方法だけに使っているなら、引用文さながらの智の武闘が繰り広げられているのかもしれない。

言葉をどのように用いるかは
語り手の思惑の有無が大きく影響する。

しかし、一方で受け手の話のとらえ方で
語り手の思惑もあったことにも、なかったことにもなる。

あえて「かわす」ことで、智の武闘を制することができるかもしれない。

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先日、上司とした会話を
ここまで記した内容でとらえ直してみた。

状況☞急な配置転換であり、欠員が出た分の仕
   事がワタクシに回ってきた。
   とにかく一週間のうちに仕事を進めなく
   てはならない。
   しかし、その仕事相手となる方の様々な
   事情から、打ち合わせなどが
   一週間ほど先延ばしになった。

上司:
「ワタクシさん、非常に残念ですね。この打ち合わせをとても楽しみにされていたのに。」

ワタクシ:
「本当に、そうなんですよ。もうね、(腕を回しながら)準備万端で楽しみにしていたんですけどね。」

☆別の日☆
上司:
「ご活躍の時が刻一刻と近づいてきていますね。本当に、今のワタクシさんは最高の状態なのに、一週間後なんて・・・ね?」

ワタクシ:
「本当に、すぐに取り掛かれなかったのが悔しいです。のどの調子を整えておきますね!あー、楽しみだ!早く仕事がしたいですよ。」

と、あと二回ほど同じような会話が重ねた。
どの会話も、たのしかった。
二人とも笑顔だった。

一回り以上も違う上司とニコニコとジョブを打ち合う会話。
なかなか社会人生活もうまくいっている。
自分の中で、うまい返しができたな( ̄ー ̄)ニヤリ
なんて思っていた節があった。


そんなときに、『倫理・哲学の特別講義』を読み始めた。

ふと、ソクラテスが現れる前の古代ギリシャで手が止まった。

上司の言葉が、弁論術さながらの思惑があったとする。ワタクシがそれに気がついていない場合、まんまと言葉の暗示にかかり仕事を楽しむ気持ちが確立される。いいのだが、何だかしてやられた感が残る。自らの器の小ささにしょんぼり。

ワタクシが上司の思惑を知りながら、かわしていた場合、ワタクシの方が一枚上手で楽しい会話を成立させている。( ̄ー ̄)ニヤリ

上司に何ら意図もなく、突発的に起こった仕事を少しでも楽しくしてもらいたいと言う善意のものなら(これも思惑か?)、ワタクシが色々角度を変えて考えていることはただの思考実験ということにしたい。

やっぱり器が小さいのか?

そう結論づけるのは、まだ早い。
明日から、本格的に打ち合わせが始まる。
そこでかけられる上司からの言葉が、
如何なるのか。
そして、ワタクシは何と返すのだろう。

智の武闘 第二ラウンドに入る。

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