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子どもと遊んで気がついたこと

 平日に休みを取った日は、特別嬉しくなります。特別にとった休みなので、用事が入っているのですが、時間まではフリーダムです。そんな日には、ワタクシだけでなく子どもの要求もできる限り聞いてあげたいのです。
 一人遊びで宇宙に出かけたり、海底探索に出かけるようになった息子ちゃん。心も体も成長していくスピードがとても、はやく感じます。
「一緒に遊ぼう」と誘ってくれるのは、いつまでかな。

 だから、今日はいっぱい遊んでみました。そこで気づいたことを記録の為にも残します。
 仕事と家事につかれたワタクシがいつの日か、また読めるように。

☞自然と笑っちゃうよ

 平日は、仕事と家事に追われ子どもとの関りも、『お世話をする』ことばかりが多くなり、遊ぶことが少なくなりました。
 そして、正直なことを言えば遊ぶことが大人になって、母親になってから少し『面倒なもの』になってしまったように感じます。
 遊ぶことが面倒なんて、悲しですよね。

 大人になると、ある程度先を見通して行動できる力が身につきます。仕事の段取りをつけるためにも、子どもたちを20時には寝かすためにも発揮される力です。

 自分の動きや周りにいる人の動きまである程度想定できるようになると本当に動きやすくなります。そして、仕事に関して言えば、私の想定していない斜め上のことをする大人は、まぁ出会わないわけです。

 だがしかし、子どもは違いますよね。斜め上どころか、なぜそうなったのか理由を聞いてもこちらは理解できず。スッキリできない。そんな不思議で面白い存在です。そのような存在に付き合うと、先も見通せず、あとから色々な設定が付け足され、挙句の果てには、違う遊びになっていることに混乱し通しです。

 そうなると、時間に追われている平日には、子どもちが満足するまで遊んであげられない。お互い消化不良になってしまうのです。

 だけど今日は、余裕があるから『面倒』と『訳がわからん』の壁を超えてみると、とても面白いものが見られました。

 だるまさんが転んだをすると、ダンゴムシになって近づく息子ちゃん。かくれんぼだと思ったら忍者修行になっていて、私は忍者の頭としてさまざまな任務を新米忍者の息子ちゃんに与えているのです。5歳児の膝立ちで見上げる姿は、可愛く一生懸命で、自然と笑顔になり笑っていることに気づきます。

☞奇跡が見れる

 日常にそう起こらない奇跡が見られるのも、子どもとの時間の良さです。

 例えば、ボール遊びをすると、こんな狭く曲がった隙間をすり抜けて私のところにボールが返って来るのかと驚きがあります。再現してしてみたくなり、こちらが熱中しているわけですが、これも奇跡みたいなことです。

 かくれんぼをしたときは、どこを探しても見つかりません。見つからないのが、面白くなってクスクス笑っている子どもの声を辿ると、日頃はデッドスペースで活用方法を見出せなかったところにしっかり収まっているのです。

 ほんの小さな奇跡(ミラクル)を見た時、それが一人ではないことが嬉しいのです。けれど、一緒に顔を、目を見合わせて「今のすごかったね」とその体験を共有できることが、本当の奇跡なのかもしれません。

☞無意識ストレッチ

 息子ちゃんや娘ちゃんがある程度、成長したから気がついた事です。日頃、運動をしない方には朗報です。

 あまりにも幼い時だと、大人が本気を出すことがほとんどありません。だから、ついだらだらした態勢で対応していました。体を使って本気の遊びをしてくれると、自然とこちらも体を使って遊んでいます。

 息子ちゃんがはまっているボール投げ。ただ部屋の端と端に座ってボールをオーバースローで投げるだけのことですが、侮るなかれです。

 眼精疲労や頭痛のもととなる肩こり解消にすごく良いのです。肩を使うことで、肩甲骨を広がり、姿勢もよくなりました。ボールを拾いに行くのに動きたくない気持ちが、腕や足を最大限に伸ばす無意識ストレッチにもなっています。20分ほどただ投げる&拾うをするだけで、代謝もよくなるのかじんわり汗をかきます。子どもと遊びで、代謝も上げているなんて一石二鳥でした。毎日20分のストレッチより、誰かと一緒に無意識ストレッチをお勧めします。

☞豊かな気持ちになれる

 仕事で忙しくしている連れ合いに、こんなことがあったよと話したいと思うのは自然なことでしょう。

 話す自分の姿、聞いている連れ合いの姿を想像し、心がほかほかになります。話した後、きっと二人で寝息を立てる子どもたちの姿を確かめに行くはずです。そして、「大きくなったね」「生まれた時はこんなに小さかったのにね」「そういえば、こんなこともあったね」と話が広がることでしょう。

 『日常にはたくさんの幸せ』があって、小石みたいに転がっている幸せを時々、掴んで眺めてみたり、太陽にかざしてみたり、ポケットに大切に入れてお守りみたいになっていいかもしれません。

 でも小石は、いつの間にかポケットや手からこぼれ落ちてしまうから、また新しい小石を拾って生きていきたいと思います。今度はどんな小石があるかなと毎日を楽しく過ごすことも心を豊かにしてくれる要素になるでしょう。

 今だけの遊びかもしれません。友達の輪が広がり、行動範囲が広がると親との遊びは閉鎖的に感じるかもしれません。ダメというわけではなく、より楽しいものを見つける天才が子どもです。「時々ならいいよ」と言ってもらえれば、両手いっぱいの幸せを感じられることでしょう。

 『面倒』と『訳分からん』の向こう側にいつまで連れて行ってくれるか、それもまた愉しみです。

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