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30年前の原宿美容室事情はどんなだった?

私が原宿にサロンを出した31年前はまだまだ美容室の数も少なく

どちらかというと全ての原宿で働く美容師さん達が原宿にある美容室の名前を全部言えるのではないか?と思うくらい今よりは数が少なかったんです。

とは言ってももちろん数件だけなんて事はありません。

原宿、青山と言えば当時から「激戦区」いや「大激戦区」でしたので。

逆に言えば有名店にならないと残れない。

だからこそ有名になりたい人達が集まる・・・から面白い。

「何か」を持っていないとそこには残れない特別な場所だったんです。

その時代を反映する雑誌と言えば数多くのファッション誌を出版しているマガジンハ●スの「a●a●」や「オリー●」など。。。そこから発行されている雑誌に出られたらそれは本当にすごい事でした。

そしてそんな雑誌に出ているサロンに入る事が、
有名になりたい美容師の卵達の憧れでもありました。

もちろん入社するにもかなりの倍率。。。それくらい原宿という土地は手の届かない場所でした。

今とは違いクーポンを出したり安売りをして集客をするなんて事は

本当にありませんでした。

もちろん携帯電話もない、家の固定電話だけ。。。

SNSなんてないしクーポン雑誌もない。

頼りはファッション誌と口コミだけなんです。。

お客様もわざわざ遠くからファッション誌を見て原宿に髪を切りに集まってくるんです。
※当時は近所でカットするのが当たり前の時代でしたので「わざわざ」だったんです

雑誌に出て有名になるか口コミで紹介を頂きお客様を増やすか??の二択くらいでしか生き残れませんでした。

そんな中で私は24歳で運よく神宮前丁6目に出店したわけですが周りは民家ばかり。。。そうです、人の通らない裏通りだから出せたんです。

路面店なんて本当に家賃が高くてお店なんて出せない。。。

そんな状況下で裏道に立つ三階建ての建物の二階にある物件を見てピンときました。

・・・誰でも入れる場所ではなく探さないと来れない場所・・・

私にとっては理想的な場所でしたが当時ではかなりの「勝負的」な場所でした。

裏道にある建物だと目の前に人通りもない・・・その為、通りすがりの人にお客様として来店してもらう事を期待するのはほとんど無理だったからなんです。

当時の私の友達曰く・・・

「2年もてばいい方かな。。。。」と思っていたそうです・・・。

※10年後に本人から聞いて驚きましたが

そしてお店の開店後。。。

地獄のような現実を見る事になりました。。


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