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『哀れなるものたち』の正体はベラ?誰が哀れなるものたちだったのか

★人によってはネタバレ注意

『哀れなるものたち』を娘と観てきた。
ある編集者さんが、おススメされていたので、ぜひ観たいと思ったのだ。1人の女性が、赤ちゃんの状態からどのように成長していくか、自立する映画だとか言っていたような。

あらすじは、外科医が若い女性の遺体(?)を川辺でみつけて、女性のお腹にいる胎児の脳を女性の頭に移植して実験する話である。
グロテスクな場面が出てきて、18-R指定の映画。
成人の娘でさえ、始まって10分ぐらいで「私、気持ち悪いから寝ているね」と言った映画である。

白黒画面から始まる。ピアノの奇妙な不協和音が鳴り響く。画面一杯に広がる違和感。これは、どのように観ればよいのか。どのような場面展開?グロテスクな場面と、人間のぎくしゃくした動き。

私は、さすがに正視に堪えない場面は目を逸らしつつも、ストーリー展開がどうなるか、興味津々で映画の世界に浸っていった。

舞台装置・衣装・背景もアートの世界があふれている。昔と現代が合体したような映像と発想が展開される。

これは、ベラという女性が胎児の状態の年齢から成長し、自分を見つけ出していく映画。
しかし、1人の女性だけの話ではないと思う。
これは、世界全体の女性が自立していく歴史を表わしているのではないだろうか。

(ここから先は、「男性は」「女性は」など、主語が大きい。独断と偏見で世の中を見ているかもしれないが、自分で思ったことである)

昔から男性は、女性と対等になるのを恐れ、自分の地位を脅かされるのを恐れていた。腕力が強いのにもかかわらず、女性が自分の上に立つのを恐れていた。そのため、世界は恐怖にあふれていると女性に思いこませ、世界を自由に見せようとしない。目隠しをする。自分の庇護のもとにいれば、守ってあげられると、女性を囲おうとする。あらゆる腕力・権力・お金を使って。

女性は、雑食動物。自分の子孫を守るために、環境の変化に強い。自分の意思にかかわらず、環境が変化せざるを得ないことが多い。結婚、出産など、女性が変化を迫られる場面が多い。
生理的にも、女性は子どもを産む体を持っている。もし男性が子どもを産むとしたら、その痛みには耐えられないと言っている人がいた。女性が出産に耐えられない体だったら、人類の歴史がこんなに続いた訳もない。

与えられた世界、囲われた部屋の中だけを見ていたベラ。
始まりは白黒で、ピアノのBGMは不協和音。
この不協和音の違和感は、ベラそのものの違和感だったのだ。赤ちゃんの脳を大人の女性に移植したので、もとから精神(心)と身体のつり合いが取れていない。身体が心を拒絶し、心が身体を拒絶していた。世界から拒絶された自分。自分も世界を拒絶している、不協和音はその象徴。
突然この世に、自分の心とはフィットしない身体を与えられたベラ。

そんなベラが、外に出ていき、世界・世の中の仕組みを知る。始めは欲望の赴くままの行動をしていたが、知性を蓄える。だんだん世界の色彩が豊かになっていく。そのうちに自分の足でしっかりと歩けるようになる。始めの、よちよち歩きが噓のような足取りで、自分の家に帰るベラ。

自分が見て、体験したことによって、自分の世界を築いていく。
与えられたものではなく、自分の世界を作っていく。

始めは、哀れなるものとして生まれたベラだったが、本当のところ、誰が哀れなるものたちであったのか。



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